第6話Take to escape
◆
クリムの国境付近を覆う森。
晴れ渡る真昼の時間は、木々がざわめく穏やかな空間が流れるのだが、発狂してしまった彼にはそんな事を感じている余裕など微塵もなかった。
(殺される!死にたくない!)
必死で逃げる緋色。
自分がどうやって監禁部屋から逃げ出してきたのか、そして何処へ向かっているのかも分からないまま只々走る。
(誰か、助けてくれ!誰か!)
ユリィの言葉を聞き錯乱した緋色は暴れるも、彼女の峰打ちで気絶させられた。
そして目が覚めて真っ先に思ったのが、命の危機だ。
三日前に腕を切断された記憶が生々しく残り、恐怖を覚えるにはそれだけで十分だった。
(俺が、何をしたって言うんだよ!)
やけになりそうな気持を精一杯抑え込み、一先ず誰もいない場所に逃げ込むしかないと考えた。
けれどどうしたって焦りの方が強く浮き立ち、記憶も残らない程には無我夢中で、今現在この森に居る。
余裕など到底在りはしない。
そんな慌てていた緋色は、蔦に足が引っ掛かり転倒する。
あまりにも無様な自分自身に、情けなさよりも悲しみの様な感覚の方が先立っていた。
「何で、俺なんだよ……」
嘆く事しかできない緋色。
自分には何の力もなく、誰の理解も得られない。
絶望以外の感情が湧く筈もないと、こんな場所へ導いた神を恨みたい一心であった。
すると突然そこに声が掛かる。
「──やっぱり、わたくしって運が良いみたい」
倒れたまま見上げた緋色の目には、高価そうな衣服を纏った女の姿が写った。
肌に突き刺さるような寒気を感じ取り、心拍数が否応なしに上がっていく。
「ようやく会えたわね。まさかわたくしの事、忘れてはいないでしょうね?」
そう言葉を発したルベール帝国の王であるエリカが、ゆっくりと緋色の元へ歩み寄って来る。
「く、来るな!俺に近寄るな!」
あからさまな怯え方をする緋色。
それを見たエリカは違和感を覚えたのか、疑問を口にする。
「……あら?怯えているの?貴方が?」
「やめろ、来るな!」
それでも歩みを止めないエリカに、恐怖で顔が歪む緋色。
もうすでに立つことも難しい。
それくらい目の前の女から、異様な何かが放たれているように感じる。
全身の毛が逆立ち、身体中が震え出す。
人はこんなにも何かに恐れを覚えられるものなのだと、緋色はこの時初めて知る事になった。
「まあいいわ。貴方は人を騙すのが上手だから、それも演技なのでしょう?」
そう買い被るエリカは、是が非でも自国へ連れて帰るつもりでいた。
「さあ、いらっしゃい?帰ったら貴方の歓迎会をやるの。楽しみで仕方がないわ」
愉悦な微笑みを浮かべる女。
それを見た緋色は、死よりも恐ろしい事が待っているのだと悟った。
そんな時だった。
「ほら、早く──っ!」
エリカの言葉を遮ったのは、頭上からの攻撃。
目を凝らさなければ見えない程の、ピアノ線の様な糸が地面に突き刺さった。
すると一人の人物が姿を現す。
まだ幼そうに見える少女であった。
「……誰?」
「私が誰かなんて、わざわざあんたに教える義理とかないから」
不快感を露にする王に向かって啖呵を切ったのは、カレンの腹心であるアーシェだ。
「何してんの!さっさと逃げてよ!」
「……え?」
呆けていた緋色に逃走を促すアーシェ。
言葉の意味が理解が出来ない緋色を横目に、今度は強目の口調になる。
「早く!」
緋色は何とか立ち上がり、その場から走り出す。
(何なんだよ!訳わかんねーよ!)
自分が何故こんな目に遇っているのかも分からず、求めていた筈なのに逃げろなどといざ言われても、やはり理由だって理解出来ない。
だけどひたすら走る。
唯一わかるのは、自分がまだ死にたくないと思っている気持ちだけだ。
それからどれくらいが経ったのか。
やはり走っても走っても進んでいる気はしない。
そもそも何処へ向かって誰に助けを乞えばいいと言うのか。
多分、初めから決まっていたのだろう。
(この世界に、救いなんて無い……)
やがて体力の尽きた緋色は諦めと共に崩れ落ち、そのまま眠りに就くのであった──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます