一④

「ああ、ゆうえん様だ」

「相変わらずのゆうさだな」

 こうして宮中を歩いているだけでそんな声が耳に届くので、しよう憂炎は右に左にと聞き流す。時たまろうひかえるかんがんと目が合えば微笑ほほえむが、その程度でほおを赤らめてくれるのだから、彼らは単純だ。

 第一、同じ男の微笑みなどうれしいものなのだろうか?

「憂炎」

 廊下を急ぎ足で進んでいた憂炎は顔を上げ、前方の人物の姿を認めて一礼する。

 たますだれをくぐってやって来たのは、この国の国王陛下であるらんりゆうえいだった。

 隆英と憂炎はともに二十二歳で、五つのとしからおさなみのように育ってきた。

 だが、今やたがいの立場は天と地ほどにちがう。

 ほかの大臣と打ち合わせるためにやって来た憂炎は地味な黒いほうに身を包み、髪をっていた。この色は、憂炎が三ほんの官位を与えられているのを意味する。

「本日もごげんうるわしゅう」

「おまえも元気そうで何よりだ」

 対する隆英が身につけている黄色の絹の長袍は、えりからあしもとにかけてりゆうがのたうつ。北の国境にあるてんがいほうから国を見下ろすとされる龍が画題だろうが、隆英はそこまでは考えていないだろう。

 一針一針心を込めた細かなしゆうがなされ、糸の色味をみように変えて龍のうろこおうとつを表現している。刺繍は宮女たちが手がけたもので、国王しか使えぬ色と文様だ。ぼうな隆英にしてはめずらしくえつけんもない日なので、彼は頭にきんかぶっていた。

 彼の後ろからは宦官がつき従い、でんほどこしたぼんを両手でかかえている。宦官が持っている盆には書物が積まれており、どうやら、隆英はこれから読書にふける予定のようだった。

「どうなさいましたか、陛下」

いそがしそうだな」

「そろそろ宮女たちがやってくる季節ですので、いろいろと手配に追われています」

「宮女?」

 憂炎の言葉に、隆英はしんげなおもちになる。

「あれはきゆう殿でんの中のめんどうを見るものたちだろう? おまえに何か関係あるのか?」

「今年はいつもよりも宮女のなり手が少ないらしく、問題になっているのです。それで、どうにかならぬものかと財部のものと話しておりました」

 財部とは国の財政をつかさどる部署で、大勢の官吏と宦官が働いている。彼らがいなければ、今や、暘国は回らない。

 頭を下げたまま憂炎が言うと、隆英は「顔を上げよ」とうながした。

「なぜだ? 働き手が余っているわけではないだろうが……」

 このきゆうていあるじでありながら、隆英は仕組みをあまりよくわかっていない。

 宮女たちは王のだいわりのたびに集められ、王が退位するまでここで暮らす。給金は高いとはいえないが、衣食住の保障がされているのが利点だった。

 彼女たちは掃除やさいほうに明け暮れ、国王やきさきしよう、部屋で使う調度品などを作るのが仕事となる。けつこんして出ていく女性もいるが、たいていは独身でしようがいを終える。彼女たちが各地方からまんべんなくしゆうされるのは、安全上と政策上の理由からだ。地方の有力者に情報を送られたり、あるいは、そうした連中の手下がまとめて入り込んで宮中でそうらんを起こしたりという事態を防ぐためだった。

 しかし、くも厳格にしてしまうと、有力者は娘が宮女になってもうまみがない。

 宮女から後宮に取り立てられる機会はほとんどないし、掃除と刺繍に明け暮れていては貴族にめられるきっかけもまずないからだ。

 特に地方の有力者にとっては、娘を宮女にするよりはほかの家にとつがせたほうがましとなってしまう。結果として、先代の国王がそくしたころからは宮女の質の低下がささやかれており、それは今回も同じだろう。地方によっては、なかなか宮女の数がそろわないようで、苦戦しているらしかった。

 宮女に旨みがないと正直に述べるのは、さすがにはばかられる。もちろんそれは隆英とてにんしきしているだろうが、それを言語化するのはまた別の問題だ。憂炎はわずかに考えてから、「親許をはなれたくないものも多いのでしょう」と答えた。

「なるほど、孝行者揃いなのだな」

 少しばかりやさしすぎる隆英は、さびしげに目をせる。

「そなたの言うとおりだ。あえて宮女となったものたちには手当てをはずみ、可能な限り給金を増やしてやれ」

「給金は限度がありますが、先ほど申しあげたとおりたく金は増やします」

「うむ」

 それくらいはかまわないだろうと、憂炎は軽く頭を下げた。

「それから、お妃選びの件もお忘れなく」

「また、それか。余にはげつけいがいるし、ひんはほかに三人もいるではないか」

 隆英の正妻は家からめとった月桂皇后で、そうめいで美しくおんは常にかぐわしいと囁かれる。

「それでは足りません。王族の力をばんじやくにするには、子孫が必要です。王を支えるのには、貴族では心許ないのです」

「……わかっている」

 隆英の足許が盤石といえないのは、父の代で政争の末に相次いで兄弟が世を去ったためだ。そのえいきようは隆英にまでおよび、はくひようむような状態だった。

 子孫は多いほうがいい。

 彼らが相争う可能性はあるものの、暘に危機が起きれば助け合うこともあろう。

 貴族の史家、くん家、しや家。史家が多少は先を行くが、実質的には三すくみだった。一応は憂炎の実家の祥家も次に続くものの、貴族はほかにも何十家と控えている。

「しかし妃が増えれば争いも増す。余は、それがいやなのだ」

「それでも、です」

 どうあっても争いを生まないじようきようなど、作りようがない。あとりがいないよりは、争いのほうがましだろう。

「面倒ではあるが、善処しよう」

 隆英はどこかゆううつそうな面持ちでうなずいた。

「それにしても、おまえだって妻を娶っていないだろう。そのおまえに説かれるのはな」

「陛下にぎが生まれなくては、私も安心できぬのです」

 こんいんは親からもかされているが、憂炎にも理想がある。

 自分に付き従うのではなく、ともに歩む女性とげたい。しかし、世の女性はしとやかすぎて、憂炎には物足りないのだ。

 おのれの理想のためにほむらごとく生きる烈女というのは、なかなかに珍しいらしい。

「……なるほど」

「とにかく、今年の宮女が働きものであることを望みましょう」

「そうだな」

 隆英には言っていないのだが、今年は宮女の数を例年より少しばかり減らしている。どのみち妃嬪が少ないのであれば、少々宮女が不足していても何とかやりくりはできる。それで経費をさくげんして支度金を増やすつもりだった。

 いずれにしても、宮廷からこの国を変える。それが憂炎の目下の目的だった。

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偽りの華は宮廷に咲く 和泉 桂/角川ビーンズ文庫 @beans

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