一③

 あっさりと否定されてしまい、永雪は首をかしげた。

「え? だって、師父は宦官でしょう」

「宦官になるためには、去勢して自分の身体からだに取り返しのつかない負担をあたえることになる。それではおまえがことを成しげたとき、宮廷でしか生きられなくなる」

 言われてみれば、一時の激情だけで宦官の道を選ぶのは得策ではなさそうだ。

「それじゃ、どうやって」

「宮女になれ」

「……は? 俺が!?」

 宮女とは、宮廷で働く女性を指している。

 ひとつきほど前にこの村にも宮女をしゆうするおれが届いたが、そうでなくとも人手不足の村では、一度都に行って帰ってこない宮女など、出すゆうがなかった。

「女装しろってことですか?」

「うむ。おまえは見目がよいから、成長して男らしくなるまでは宮女もできるだろう。そのあいだに父親の死の真相をさぐり出せ」

 果たしてそんな真似が、可能なのか。

「確かに、かみばしてますけど……」

「昨日まで、わしが遠出していたのは知っているだろう? となりまちでも宮女になるものがおらず、しつこくなり手をつのっていた」

「でも、宮女って後宮に入るんですよね? すぐにばれちゃいます」

 さすがの永雪でも、後宮が存在する理由は学んでいる。しかし、師父はうすみをかべた。

「安心せよ、さすがに教養のない村のむすめでは後宮には入れんよ。宮女はただの下働きで、そうせんたくが仕事だ。陛下どころか、大臣、いや、下級かんにすら目通りがかなわんだろう。だが、万に一つも可能性はあるかもしれない」

「どっちにしたって、無理ですよ!」

「そこをどうにかするのがおまえの才覚じゃ」

 そんな無責任な。

「いずれにせよ、わしに手伝えるのはそこまでだ」

「…………」

「宮廷は危険なところだ。けれども、おそらくこれ以外に懐宝の一件について知る手段はあるまい。どうする?」

 無茶だ。あまりにも無謀すぎる。それじゃ、この村でしよけいされて死ぬか、宮廷で処刑されて死ぬかの違いにすぎないじゃないか。

 どう考えても、無茶な計画だった。

 とはいえ、いくら何でも犯罪者の子どもが宮廷にもぐり込んでいるとは誰も思わないはずだ。

 ──勝算は、ないとはいえない。いや、あるのではないか。

「わかりました。だったら行きます。師父、どうか俺を手伝ってください」

「よかろう。だが、さっき言ったとおりに刻限を念頭に置くのだ」

「え?」

「おまえは春で十五になる。声変わりはするし、のどぼとけも目立つはずだ。後宮でなくとも、宮女たちの住みに男がいれば大問題だ。あやしまれぬように振るえるのは、せいぜい一年やそこらだろう。たとえ成果が出ていなかったとしても、宮廷からげ出すのだ」

「はい」

 師父の言うことはもっともで、仕方なく永雪は頷いた。

「それから……名前も変えねばならぬな。雪中松柏にちなんで私がつけたが、永雪ではしすぎる。そうだな……うむ、れんと名乗るがよい。あわれという字に花だ」

「…………」

 永雪が目を瞠ったのは、その名前に覚えがあるからだった。

「母さんの、名前……」

「そうだ。そしてこの名は伝統があり、おまえにはふさわしい」

「師父がそうおっしゃるのなら」

 厳しい雪の中であっても色を変えない松や柏のように、己の志を貫けという意の名を永雪は気に入っていた。

「花を憐れむのは人の行い。己の意味を決めるのは、己の行いじゃ」

 さとすような師父の言葉は、胸にみてくる。

「では、出かけるぞ。夜明け前に出なくては、追っ手につかまってしまう」

「はい」

「よいか。生きていればどんなこともできる。それを忘れるな」

 もしかしたら、呉師父に会うのは今日が最後かもしれない。

「ありがとうございました。このご恩は、一生忘れません」

 たとえもう二度と会えなかったとしても、教わったことは消えない。

 それこそが、師の教えだ。

 芽生えた小さな志は、これから自分の心に、脳に、たましいに刻まれるのだ。

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