一①

えいせつ! 永雪!」

 どんどんとだれかが戸をたたいている。

「……?」

 夢、だろうか。

「永雪、起きろ!」

 やはり、自分を呼んでいる。

 盗人ぬすつとか何かだろうか。

 とんの上で身を起こした永雪はいつしゆん首をかしげたものの、ぬすまれるような金目のものは、この家には存在しない。

 立ち上がって戸口へ向かい、そのつっかい棒を取り除くと、すぐに戸が開いた。

「永雪!」

むらおささん……?」

 飛び込んできたのは、の村長だった。

「どうしたんですか、何かあったんですか?」

かいほうのことだ」

「父さん?」

 まだ、春は遠い。

 麦のこんじきれる秋は短く、り取りが終わると冬になる。

 冬のおとずれとともに旅立った懐宝の帰宅まで、少なく見積もってもふたつきはかかるだろう。そうでなくとも、彼が今回出かけた先ははるか向こうの都だった。

 都はもっと南のあたたかい場所に位置し、徒歩であれば二週間は要するそうだ。

 そこには国王陛下と貴族が暮らしており、この国の政治を決めている。都はたいそうきらびやかなところだそうで、かつてそこに住んでいた師父が都の風景画を見せてくれた。それはすでいろせていたが、子どもたちをおどろかせるには十分だった。

「よく聞け、永雪よ。落ち着くのだ」

「はい」

「懐宝が死んだ」

「……え?」

 まるで、世界中の音が消えせたかのようだった。

 ばくん。ばくん。ばくん。

 自分の心臓の音しか聞こえない。

「な、んて……?」

 ちんもくの中で永雪のかすれ声だけがひびき、世界に音が戻ってきた。

「おまえの父親が死んだ。しよけいされた」

「どうして、ですか?」

 父一人子一人の暮らしで、懐宝は苦労しつつも男手一つで永雪を十四のとしまで育ててくれた。

おそれ多くも、国王陛下を暗殺しようとしたらしい」

「そんな……」

 言葉がれた。

 そんなはずが、ない。あの懐宝がそんなきようこうに走るわけがない……!

 ようにおいて天子は天命を受けて王位をあたえられるが、天に見放された王は天にちゆうされることもある。そうして新しい王がそくすることは、これまでの歴史でもあったと習った。

 だが、父はしがない農民だ。

 まつりごとなど寒村には届かず、国王はただ税を納めるための相手でしかない。税が高いとこぼしてはいたが、懐宝は王を殺して位をさんだつできるようなうつわは持ち合わせていない。

 やさしいだけの父に、くも大それた所行はできないと断言できた。

「父さんが暗殺なんて……うそです。絶対にあり得ません!」

 都であるようでは、国王陛下に仕える貴族をはじめとして、商人やしよみん、合わせて十万のたみが暮らす。懐宝を手紙で呼び寄せたのは都の貴族だが、面識はないはずだ。それでも高額の指導料をもらえるということで、懐宝はとして旅立った。

「わかっているとも。わしとて、あいつに限ってあり得ないと思っている」

 村長はどこかくやしげな口ぶりだったので、永雪はほっと胸を撫で下ろした。いつもそつちよくな彼が、嘘をついているとは思えなかった。

「懐宝はこの小さな村を何よりも大切にしていた。かせぎを独りめだってできたし、都で暮らすこともできたろう。だが、あいつは自分の富を、村の人々に分け与えてくれた」

 貧しい牟礼の村では、冬のあいだは女は家で内職し、男は鉱山に行くかりように出る。雪がけ始めるとすぐに水路や橋の補修にかかるため、男手は年中必要だ。村の大事な行事に参加できないびとして、懐宝は稼いだ金の大半を村人に気前よく分配し、あるいは補修の費用につかってしまう。その貢献ゆえに、懐宝の行動がみなから許されていたのだ。

 懐宝は生まれ育った牟礼の村を愛し、に至上の喜びを覚える人物だ。

 彼がゆうこくの士であるとは、とうてい考えられなかった。

「何も、わかりません。俺には何も……」

 混乱した永雪が視線を落とすと、村長はその細いかたに両手をせた。

「永雪。わしらは懐宝とおまえの味方だ。だが、よく聞け」

「はい」

「都から、おまえの処刑をせよとの命令が来てしまった。誰であれ陛下にはんぎやくを示したものは、一族をみなごろしにされる。そういう決まりなんだ」

 村長は悔しげなおもちだった。

「どうして……、こんなことが……俺……わからない……」

 立ち直れない永雪の肩に載せた手に、村長はぐっと力を込める。

 彼のてのひらは、あたたかく力強く、父の大きな掌を思い出させた。

「わしにも、それはわからぬ。一つだけはっきりしているのは、おまえに弁明の機会はないということだ。だから、まずはげよ」

「ど、どこへ? うちはしんせきだっていないのに」

「ここは呉師父に相談しろ。あの方はきゆうていについてよく知っている。何かけ道を教えてくれるかもしれん」

 永雪から手をはなし、これを見せよ、と村長は懐から出した紙をわたす。これが、おそらくは手配書なのだろう。

「…………」

「すまぬ、急ぐつもりが思いがけず長くなってしまったな」

 うつむいた永雪の手をごういんに取り、村長は何かをにぎらせる。小さなぬのぶくろで、中には固いものが入っている。金だろうか。

「死ぬな」

 たんてきな言葉が、永雪の胸をえぐった。

じんで死んではならん。永雪、おまえは生きろ」

 何も言えない永雪は、自分の手の中の袋をじっと見つめた。

「これはわしらからの礼だ」

「礼って?」

「懐宝のおかげでこの村は、冬でもえを知らぬ強い村に変わった。その礼に、わしらはおまえのふるさとを守り続ける。だからおまえは、おまえの命を守れ。そしていつか、ここに胸を張って帰ってこい」

「──はい……」

 何一つ思いつかないまま、それでも、永雪はうなずいた。

「よし。では行け。夜が明けたら、陛下の使いが来る。おまえがやることは、わかったな?」

「でも、そうしたら村長さんたちがひどい目に!」

 そんなことはあってはならないと、永雪は声をうわらせた。

「いいんだ」

「よくないです!」

「平気だという意味だ。陛下の兵士は、おそらく数人。我々全員が知らぬとのらりくらりとしていれば、何もできんだろうよ。わしらは弱いけど、数だけはたくさんいるからな」

「……はい」

 村長が数の力をたよりに反発してくれるというのなら、それにけるほかない。

たくができたら、すぐにでも行け」

「わかりました。ありがとうございます」

「さらばだ、永雪。身体からだいとえよ」

「はい!」

 村長が足早に立ち去ったあと、永雪は自分の身なりを確かめる。

 まず、動くのに邪魔なので長いかみを一つにわえる。

 つうは農村の男たちは髪を短く切るが、子どもの髪は質がよく、都では高値で売れる。そのため、きんりんの村では成人前の子どもたちは髪をばし、それを売るのが常だった。

 着物は今着ている服くらいだし、もとに置いておきたいものは父が大事にしていたいしくらいしかない。だが、それすらも彼が旅路に持ち出してしまっていた。

 何にも、ないや……。

 自分が十四年を過ごしたあかしは、ここに何一つない。

 毛皮を羽織って家を飛び出した永雪は、呉師父の家へ急いだ。おかの上で一度り返ると、自分の家はどうにもまつでみすぼらしい。

 けれども、どれほどびんぼうでも、あの家こそが自分をはぐくんでくれた大切な場所だ。ここは愛着のある、父と暮らした故郷なのだ。

 そこから逃げ出せというのは、あまりにも理不尽じゃないのか。

 ──行かなくては。

 夜明けまであと数時間。それまでに村を出て、どこかへ逃げなくてはいけない。

 だが、しんしんと雪が降るこのふゆれの大地では、身をかくせるような場所はほとんどない。いったいどこへ行けるのか、見当もつかなかった。

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