よう国の北の国境に近いの村は、五十戸ほどの集落がいくつかまとまって共同体をなしている。このあたりでは木造の質素な家々が、きんいろらす小麦畑のあいだにぽつりぽつりと建てられていた。

 大国のほうとの国境になる山脈は険しくそびえ立ち、さいこうほうであるてんがいほうはまさに天をくほどの標高で、とがったような山頂は秋のおとずれから春の終わりまでずっと雪をかぶっている。言い伝えでは、雲の上から天涯峰の山頂に神がりゆうに姿を変えて降り立ち、そこから暘国を一望したと言われている。

 今も、あの高峰には龍が住むそうだ。

 時には一つの国を焼きくすほどのりよくを持つ龍だが、彼は花をこよなく愛す。美しい花がこの世界にき乱れる限り、世はあんたいなのだとか。

 雪は花をしむ龍のなみだで、暴風はため息とうわさされる。今年は龍が暴れることもなく、何とかへいおんな一年が過ぎた。

「はあ……」

 はくえいせつは高峰を見つめながら、白い息をき出した。

 ようやく、長い冬が終わりに近づいていた。

 今や分厚い氷がかなりけ、そこかしこに春の気配がただよう。

 春になれば、父が帰ってくる。

 ここ、牟礼の村は暘の国でも辺境に位置している。

 暘では複数の集落を束ねた一群が村と呼ばれ、村の集合が郡、そして郡をまとめたものは県となる。この牟礼はびんぼうな寒村で、男たちの多くは冬場は鉱山にかせぎに向かう。その稼ぎで、翌年の種やら何やらを買うのだ。しかし、永雪の父である柏かいほうの行き先は少し変わっていた。

 彼はすごうでちであり、あちこちで囲碁の勝負をいどみ、そこで金を稼いでくるのだ。

 得た金を自分のためだけでなく、自分がいないあいだに村の仕事をあれこれやってくれるりんじんたちのためにつかうので、父はみなから感謝されていた。

 永雪にとって、懐宝はほこりだった。そんな父が、そろそろ帰ってくるはずだ。

 一度家に水を置いた永雪は、村の大門へ向けて歩きだす。

 日暮れが近いし、早くしなければ間に合わない。

「懐宝のおむかえかい!」

「今日じゃまだ早えんじゃねえのかねえ」

 あたりを行きう村人たちに声をかけられ、永雪は「一応」とはにかんで答える。

 上はつつそでの短衣、下はすそふたまたに分かれてしゅっとしたを身につけるのがしよみんの暮らしぶりだ。夏も冬も同じで、冬は毛皮を重ねる。幸いこのあたりはしゆりようができ、良質の毛皮が手に入るからだ。服は一枚しかないので、り切れるまで着る。

「そうだな、迎えにいっておやり」

「はーい」

 牟礼は小さな村で、かいどうれてまでわざわざ立ち寄るものはいない。

「今日もまだかなあ……」

 そうしているうちにぐんぐんが落ちてきた。いい加減村にもどらなくては、野生の動物たちがはいかいして危なくなる。

 そろそろ帰ろうと考えたき、道の奥に、黒っぽいひとかげが見えた。

「父さーん!」

 声を上げながら大きく手をると、男がぶんぶんと右手を振り返してくれる。

 やはり、あれが懐宝だった。がっしりとした体格の懐宝は、つかれているようだったのに、足取りがたんに軽くなった。

「ただいま、せつ

 身をかがめた懐宝が、両手をばしてぐりぐりと永雪の頭をでた。

「お帰りなさい!」

「元気にしてたか? ほら、お土産みやげだぞ」

「なあに?」

 手早く父が出した茶色いとうびんふたがされているが、何だろう?

とうけだ。果物の砂糖漬けはめずらしいだろ?」

「わあ! 高いんでしょう?」

「そりゃ高いけど、一人息子への大事なお土産だ。それに、父さんの囲碁の腕はこの国一番だからな」

 懐宝は胸を張る。

「ねえ、俺にも碁を教えてよ」

「どうしてだ?」

「父さんみたいに、お金を稼ぎたいんだ。そうしたら、こんなところでしけた暮らしをしなくていいし」

「……阿雪」

 懐宝は不意に真顔になって、永雪の両目をのぞき込んできた。

「そんなことを言っちゃいけないよ」

「どうして?」

「碁打ちの中には、命をけてまでおまえにいどむやつも出てくるだろう。おまえはそういう相手にも、きっと情をかける。勝負に非情になれないやつは向いてないんだ」

「そっかあ……」

 よくわからないまでも、確かに勝負ごとは苦手なので、なつとくができた。

「そのうえおまえは顔がれいだからな。目が大きくてねこみたいだ。それじゃめられるし、やつかいのもとになる」

「でも俺、父さんみたいに宇宙を手に入れたいよ」

「ああ……そうだな。ばんは宇宙って話したっけ。けど、おまえには碁盤はただの四角いますにしか見えないだろ?」

 そう言ってから、懐宝は声を立てて笑った。

「ま、おまえの身の振り方は、そのうち、師父が何か考えてくれるさ。おまえは、おまえに合ったやり方で宇宙を手に入れればいい。ちゃんと勉強に通ってたんだろうな?」

「うん!」

 呉師父は変わりものの老人で、こんな田舎いなかで子どもたちに勉学を教えているもとかんがんだ。たくわえもほとんどないが、謝礼に持ち込まれる食料で細々と食いつないでいて、ほうしゆうらしい報酬はほとんど受け取らない。

「それに、この村は薬草が採れる。何かあったら、おまえはくすになればいい」

「……そうだよね」

 牟礼は北の土地なので、作付けできる作物が限られている。そのため、近くの高山に生える珍しい薬草を配合し、薬を作る技術を持ち合わせていた。

 それらのおかげで、村人は厳しいかんきようでも何とか生き延びられている。

「よーし、帰ろう」

「はーい!」

 父と連れ立って家路を辿たどる。夕陽が背中を照らし、長いかげあしもとに伸びている。

 ささやかだが、これが自分の思いえがく幸せだ。

 永雪はそんな日々が、永遠に続くと思っていたのだ。

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