私が人工衛星の地上管制官になるまでの回顧録

回顧録

 宇宙に関わる仕事がしたい。初めてそう思ったのは、いつだっただろう。

 これは、私が人工衛星の地上管制官になるまでの、回顧録である。



 小学生の時の卒業文集を読み返したら、警察官になりたい、と書いてあった。

 ペイント弾を発射する拳銃の挿絵を描いたことは今でも覚えている。

 きっと、何だかカッコよかったのだろう。思い返せばそんな気がした。


 中学生の時の卒業文集には、「空気も必要なく、ずっと生きられる身体になって、宇宙を漂いたい。」そう書いてあった。

 テーマは将来の夢だったのだけれど、私はSFの世界で生きたかったようだ。もちろん現実的な話ではなく、あくまでも夢の話だから、こんなことを書いた私を笑って許してほしい。当時は大真面目だった気がするし、今でも、なれるならなりたい。

 私はSFもファンタジーも、昔から今まで変わらず大好きだ。


 これで思い出したことがいくつかある。


 中学生の時、大地は今も動いて、変動し続けているという話を知った。いずれかの時点で、今地球にある5つの大陸がすべて合体して、一つの大陸になるらしい。

 気になる人は、「パンゲア・ウルティマ大陸」でGoogle検索してみてほしい。

 私は、ずっと先の未来で、その一つになった大陸を宇宙から見てみたかったのだ。見てみたかった、というよりは、見てみたい、という表現の方が、正確ではある。


 同じころ、教師から、「ビッグバン」の話を聞いた。

 当時、何をどこまで聞いたかはもう覚えていないけれど、理科の授業で受ける範囲の話だと思っていいだろう。

 私はこれを聞いて「宇宙すごい」という気持ちでいっぱいだったような気がする。

 すいきんちかもくどってんかいめい、当時何回呟いただろう。


 ビッグバンについて、宇宙について、そのあと沢山調べたけれど、学術的な意味での言及は避けようと思う。

 私から言うより、よっぽどきちんと教えてくれる人も本も、たくさんある。


 けれどこれは言いたい。

 ビッグバンを「突然の世界の始まり」と言うなら、始まる前には何があったのだろうか、と考えることがやめられなくなったのだ。

 今に至るまで、このことをずっと考えている。

 宇宙は膨張しているというけれど、じゃあ、宇宙の外には何があるのだろう。

 始まる前には無しかなかったというけれど、じゃあ、無って何なのだろう。

 次元の話だって、たくさんしたいところだけれど、本来の趣旨から外れてしまうので、やめておく。仕方がない。

 私とこれについて語ってくれる人が欲しいところだ。


 さて、流れ星ではないが、それらしきものが爆速で消えていくのを目にしたのもこのころだ。

 部活が終わった後、帰り道で空を見上げたら、すうー、っと、明るい線が夜空に走っていた。そして途中で消えた。

 これはよく覚えている。明らかに流れ星ではないものが、途中で消えたので、不思議体験をしたと感じてしまった。

 興奮して、流れ星が途中で消えた!と、連絡帳に書いたら、担任の教師から返ってきたコメントは「何かの見間違えだろう」というなんとも現実的なものだった。誰にあの感動を共有したらいいのかもわからなかったけれど、担任の教師はその役目には適切でなかったことだけは当時の自分に向けて言っておきたい。


 あれがおそらく地上から観測した国際宇宙ステーションだったことには、大人になってから気づいた。

 見たのが何年の何月だったかも覚えていないので、こまかく調べたわけではない。

 けれど、実際に夜勤中に職場のみんなで見に行った国際宇宙ステーションの明るい線をみて、気付いたことだ。



 そんな事がいくつか重なって、私の中の「宇宙すごい」という気持ちは日増しに膨らんでいったことは間違いない。


 私はいわゆる高専に進学した。

 ご存じない方に向けて少し説明すると、高等専門学校という、全国に57校ある国立の教育機関だ。2023年現在は国立ではなく独立行政法人となっている。

 高専は実践的な教育をすることで即戦力になる技術者を養成することを目的とした学校で、一般科目のほかに電気電子工学や流体力学、情報工学、電磁気学など様々な専門科目を学ぶことが出来る。

 期間も、3年間ではなく5年間だ。実験実習やレポートなども多い。


 ここで私は、ダメ押しの攻撃をくらう。

 ある年に転任してきた校長が、実はJAXAの元役員だったらしい。

 雑談の多かった数学の教師からその話を聞いたのはよく思い出せる。


 その時は聞き流していたけれど、就職活動を始める4年生の春ごろになって、そう言えば宇宙に関連した仕事があるな、と、数学の教師の言葉を思い出したのだ。


 私は電子工学を学んでいた。

 今の勉強内容を生かすとしたら、人工衛星の部品を開発する人なんて、とても現実的じゃないか!

 私が作った部品が宇宙に打ち上げられるなんて、夢がある。夢しかない。ここで、就職先としての第一候補は宇宙関連企業になった。


 4年生になって、学校が行かせてくれた職場見学の中に、とある大企業が含まれていた。

 宇宙関連の部署があると説明を受けたが、そこを希望したらその通り配属されるか質問してみれば、新卒で入ったとして配属先を個別で希望することは出来ないと分かった。

 大企業とはそういうものだと知った。世知辛い。自分のやりたい事が少し遠のいた気がした。


 自分がやりたいことが明確にあるならば、若いうちは大手ではなく、それが出来る会社を探した方がきっといい。大手を否定するものではないが、やりたいことが出来ない可能性は考慮に入れた方がいい。

 私はそう思う。


 ところで、高専には、就職先への「推薦」というものが存在する。

 学校に対して企業から求人票を送ってくるので、その中から選んで、推薦してもらうのだ。


 求人票の中に、宇宙関連企業を見つけた。業務のほとんどが宇宙に関わるもので、人工衛星の管制、運用を主とした企業だ。正直、このころは、運用って何をするんだろうと思っていた。想像の範囲外だ。一般的な仕事ならまだしも、右も左も分からない学生は、首をかしげるしかなかった。

 けれど、それを深く考える間もなく推薦をお願いして受けたら、すんなりと内定が出てしまった。初めての就職活動で、私が受けたのはこの一社限りだった。

 きっと私は運がいい。こうして回顧してみるに、運が良かった、としか言えなくなってくる。


 そうして新社会人になって、配属された先で出会ったのは、人工衛星の地上管制という仕事だった。

 業務内容については守秘義務のため割愛させてもらいたい。言ってはいけないことも、世の中にはたくさんある。


 こんなまとまらない回顧録をここまで読んでくれた人の中で、宇宙に関連した仕事がしたいという人がいるならば、言いたいことはひとつだけだ。


 何でもやってみないと、わからない。何を学んでもきっとつながる。

 結局のところ現場で求められるのは、知識と技術の研鑽と地道な努力だけだ。

 人間、出来るまでやればなんだってできるのだから、あきらめずに道を探せば、どうとでもなる、ということ。

 いつでも前向きであれ、という言葉が、私の今の人生の指標だ。

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