壱②
物と人、人と人、モノとヒトの間には無数に
黄季はここ数日、毎日のように妖怪に襲われていた。そして毎回この庭に落ちてもいた。つまり黄季は妖怪ともこの庭とも縁が結ばれている。もし黄季を
そう。強力な結界で囲まれて外界と
「っ……えっと、あー……とにかく、そこの
体中が
でも、もう引けない。
だってここには彼がいる。
──名前、
「危ないから、屋敷の中まで下がっていてください。俺じゃ
……そう、お
だけど。
「……戦うのか? お前が?」
男を背に
「お前も、退魔師の端くれなら分かっているのだろう? 私は……」
「分かってます」
その声にどんな感情が乗っていて、彼が今どんな表情をしているのか、彼に背中を向けている黄季には分からない。
「こんな強力な
分からないからこそ、こんな口を
「生き延びることを第一に考えるならば、多分貴方を説得して戦ってもらうのが一番
話している間にも、黄季の視界に映る景色はゆっくりと
どこまでも広がっていた優美な庭は、崩れかけた
結界が解けて現実に
黄季だって退魔師の端くれだ。最初に池に落ちた時から、この世界のカラクリは理解していた。
同時に、思ったのだ。こんなに悲しい世界に独りでいる彼には、きっとそうしていなければならない深い事情があるのだろうと。
「それでも貴方だって、俺が守るべき存在だと思うから」
たとえ仮に彼が黄季よりも強大な力を持っている存在だったとしても、自らの意志で戦う道を選ばなかったのであれば、守るべき民であることに変わりはない。
きっと
それでも、黄季はその判断を
「俺、戦いたくない人は戦わなくてもいい世界を、
黄季は一瞬だけ男の方を振り返って、笑ってみせた。もしかしたらその
それでも、彼に笑顔を向けたかった。安心してほしいというよりも、『貴方はそれでいいんです』という
「理想論だってことも、世の中そんなに甘くないってことも、分かっています。でも俺、先の大乱を経験して、心底本気でそう思ったんです。だから俺、ヘッポコでも
そんな黄季を見た男はゆっくりと目を丸くした。死人のような
──あ、俺、今の顔が一番好きかも。
「勝手な印象ですけど、貴方はもう何もかもと戦いたくないから、ここにいるんですよね? 戦わなくてもいいこの世界から連れ出されたくなかったから、俺と
この男は、今までに一度だって黄季に危害を加えようとしてこなかった。
ただ単純に相手にするのが
──それに、あの目。
『
──あれは、死ぬ気力さえなくなった人の目だ。
大乱の折に、黄季はあんな目をした人をたくさん見てきた。自分の周囲はおろか、自分自身にさえ関心が
かつての自分もそんな目を
──だからこそ。
「俺には、貴方がそう望んでいるように思えたから」
体が震える。正直言って
だけど、引けない。
「だから、お
聞く人によっては、『自己
だけど
「だから貴方は下がっててっ!!」
黄季が
「『この
次いで
「『息吹
呪石と池の
「……っ!!」
──でも、これでできるのは足止めだけ……っ!
結界を
結界を壊される前に何か
──でも、やるっきゃない……っ!!
──やれるか分からないけど、こんなことになってんだから
奥歯を噛み締め、足元から
その瞬間、黄季の視線の先で、一瞬、妖怪の動きが止まった。
「……え?」
黄季の
「こうなったのは、別にお前のせいではない」
「確かに、お前が結界をすり
「え?」
「お前の帯飾り、細工がされている」
「え? 細工?」
スルリと
「……なるほど」
黄季の頭上には
「……まぁ、いい。結界に穴を開けたのはお前だが、あの妖怪は
──え? 何か今『全部分かった』みたいな
男が疑問を生むだけ生んで解説する気がないことを察した黄季は、思わず何とも言えない目で男を見上げた。だが胸中には少しだけ、男の言葉に
──でも、俺のせいじゃないって、その部分は説明してくれた。
だがそんな
「お前の心意気に
「えっ!? でも」
「お前は大口を
──気に入った、って……
黄季が目を
「……戦わなくていい、と」
ふと、男が呟いた。
「そう言われるだけで、ここまで心が救われるとは」
──……この人、
そこに込められた色が分からない感情に、黄季は思わず男の横顔を見つめる。
だが黄季が何かを口にするよりも男がスッと目をすがめる方が早かった。男の
「私は
男が打ち出しているのは
──それをあんな正確に、暴れる妖怪に打ち込めるなんて……!
「どんな攻撃でも、必ずお前の術がヤツに通るように道を作ってやる。だからお前が仕留めろ」
驚く黄季の視線の先で最初に額に入った刃は、次いで
「お前は、お前が知っている攻撃呪の中で一番強いものを打て。必ず成るように、必ずあれに通るように、支えてやる」
──って、呆けてばっかじゃいられない!
黄季は足を
「『これは天の声 天の
黄季が紡ぎだしたのは
退魔師が
だけど、今は。
「『
黄季の言葉を笑うことなく受け止めてくれたこの人の、その心に、心意気に、応えたい。
「『
黄季の絶叫とともに男の指先が舞う。ブワリと空間に満ちた霊力が黄季の
それが分かった瞬間、黄季の五感は目の前で
……その瞬間から、一体どれだけが
「……ここで『轟来天吼』を選ぶ辺り、お前の度胸の良さを感じるな」
黄季の五感を呼び覚ましたのは、変わらず涼やかな男の声だった。
ハッと我に返って目を
「……
──俺が? あんな大物の妖怪を?
信じられない気持ちで男を見上げると、変わらず黄季の隣に立っていた男は無表情に
「あれで倒れない妖怪だったら、最初からもっと問題になっていると思うが?」
つまり、
黄季は相変わらず信じられない気持ちで己の両手を見つめた。
「すっげ……」
「お前、度胸はいいが、霊力の巡らせ方に難がある」
涼やかな声と
「そこを改善すれば、伸びしろはまだあるだろうな」
──あれ、これって……
どう聞いても助言にしか聞こえない言葉に黄季は目を瞬かせる。そんな黄季に気付いていながら、男は黄季を
「っ……あのっ!」
そんな男に向かって、黄季は期待とともに口を開いた。
「こ、こんなに
男の氷のように
「俺、またここに来てもいいですかっ!? 今度は自分の意志で……っ! あ、その、それでっ! ご、ご迷惑でなければでいいんですけど……っ!!」
──
「……またこの屋敷に、お前が来られたら、な」
最後まで言葉を続けることはできなかった。
「まぁ、お前とは、この先、
ソヨリ、と。
氷で作られた大輪の
「……っ、名前っ!! 名前教えてくださいっ!!」
男が軽く煙管の先を
「……
あ、
「昔、私をそう呼ぶ人もいた」
声が、消える。
その時には黄季はいつも通り
──『そう呼ぶ人もいた』ってことは……本名じゃなくて、
それでも『彼』を呼ぶ名前を知った。
モノを
「氷柳さん……氷柳さん、かぁ……」
『戦いたくない人は戦わなくてもいい世界を
そんな彼が、名を呼びたいという求めを拒絶しなかった。
そのことが、この上なく
「今度も会ってもらえるように、ちゃんと
声に出して
それから気合いを入れるために
● ● ●
ふと、空気が
筆を筆置きに
「……そうか、鷭黄季が見つけてくれたか」
「あの日から八年、俺が泉部を預かるようになってから五年、か。……ったく、
その
「……見つけたからには、
呟いた唇が、
「嫌でも
満足の笑みを浮かべた
「なぁ、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます