第2話 怪我

 7月上旬、全国インターハイ予選県神奈川県大会決勝。


 息を切らしながらも懸命にコートで走り回る選手たち、響き渡るボールの音と観客の声援、試合のボルテージは最高潮に達していた。


 試合は、第4クォーター残り1分。

 川見高校は72対77でリードを許していた。


 残り時間わずかの中で迎えた川見高校の攻撃。

 俺は自分をマークする選手の様子を窺っていた。

 右へ2、3歩移動して、相手の視線が一瞬ボールへ移ったところを見逃さずに、瞬時にターンをして相手の逆を突く。

 相手選手は俺のフェイクに引っ掛かり、しまったというような表情を浮かべた。


 よしっ!


 完全に相手選手のマークを振り切ったと確信した時――


 ドンッ


 鈍い音と共に、俺は相手選手と足同士が交錯してしまう。

 俺は一瞬よろけたものの、何とか体制を整え、相手選手を振り切ることに成功する。

 そのまま、ボールを持っている航一へ声を上げた。


「航一、パス!」


 声に気付いた反航一は、アイコンタクトで瞬きをしてから、自身のディフェンスをドリブルで振り切り、相手ディフェンスを引き連れたところで、俺に針の穴を通すようなパスを出してくる。

 右斜め45度、スリーポイントラインより少し外側の位置で航一からのパスをノーマークで受け取った。


 第4クォータ残り時間40秒。

 スコアは72対77の5点差。

 逆転するためには絶対に外せない重要なシュート。

 俺は緊張しつつも、いつも通りのモーションで膝を曲げ、ばねのように飛び上がり、スリーポイントシュートを放った。

 放たれたシュートは、綺麗な放物線を描きながら、リングへと一直線に向かっていく。


 ――決まった。


 心の中でそう確信して、つい頬が緩みかける。

 シュートを見送りながら、大樹は地面に足を着地させた。



 ブチッ!



 刹那、今まで聞いたことのない、糸の切れるような音が身体の中から響き渡ったかと思えば、俺の左膝に強烈な痛みと衝撃が降りかかる。

 

 「ぐっ……⁉」


 声も出せないような強烈な痛みに、俺はその場へ倒れこんでしまった。

 ほぼ同時に、今日一番の大歓声が会場に湧き上がる。

 どうやら、俺が放ったスリーポイントシュートは、見事に決まったらしい。

 俺が安堵したのも束の間、会場が次第にどよめき始める。


 ピィーッ


 審判の笛が鳴り、試合がいったん中断する。


「大樹!!」

「大樹!!」


 コートにいた航一こういちと、ベンチで記録員をしていた梨世りよが一目散にこちらへ駆け寄ってくる。

 審判やチームメイトだけでなく、相手選手までもが大樹の元へと駆け寄ってきて、心配そうに様子を窺ってきていた。


「おい、しっかりしろ大樹!」

「大樹、大丈夫⁉」

 

 航一や梨世、チームメイト達の声が聞こえてくるが、痺れるような痛みが膝へと襲い掛かり、俺はうずくまったまま苦悶の表情を浮かべることしか出来ない。

 受け答えもままならないことから、航一がすぐにベンチ声を掛ける。


「おい、運ぶの手伝ってくれ!」

 

 航一が声を上げると、すぐさまベンチに座っていたメンバーの数名が駆け寄ってくる。


「大樹、立てる…?」

 

 心配そうに大樹の顔を覗き込み、梨世が声をかけてきた。


「いやっ、ちょっと無理そうだわ……」

 

 俺が痛みを堪えながら答えると、梨世は心配そうな表情から一転、引き締まった顔つきへと変わり、後輩たちにコートの外へ運ぶように指示を出して、自身はアイシングの準備をするためその場を離れた。


「しっかり掴まれよ!」


 航一が力を入れて、俺の体を起き上がらせる。


「反対側持ってくれ」


 航一の指示で、後輩が反対側の腕を掴んで肩を貸してくれる。

 俺は航一と後輩に肩を貸してもらいながら、引きずられるような形でコートから会場の外へ運ばれていく。

 会場の外にある広場へ出ると、間もなくして梨世がアイシングを手に持ちながらこちらへ向かってきてくれる。


「うちのお父さんが正面に車用意してくれたから、大樹は今すぐ病院に――」

「いや、大丈夫だ。痛みもさっきよりは……イッ⁉」

「無理しないで! こんなに腫れてるのに……。ひとまず、アイシングで痛めたところ冷やして、少しは痛みが引くはずだから」

「わかった……」


 俺は観念して柱にたれかかってへたり込む。

 梨世が用意してくれた氷水がたっぷりと入ったアイシング用の袋を膝に当てると、タオルで縛って固定してくれる。

 袋が膝に触れた瞬間、キーンと冷え切った氷水で身体が震えた。

 刺激を必死に我慢して、梨世に処置を任せることにする。


 冷たさと負傷からくる二つの痛みと、太もものあたりを触られていくすぐったい気持ちを抑えている間に、梨世は応急処置の手当てを終え、その場から離れた。

 それを意図したかのように、梨世のお父さんが車から降りてこちらへ向かってくる。


「大樹くん大丈夫かい、立てるかい?」

 

 梨世のお父さんは、大樹の体を力強く持ち上げて、腕を肩へと回してくれた。


「手伝います!」


 隣で様子を見ていた航一が、すぐさま手伝いをかって出たものの、それを梨世のお父さんが手で制す。


「ここは僕に任せていいよ航一君。君はまだ、試合が残ってるだろ」


 そう、まだ試合は終わっていない。

 航一はこんなところで俺の様子を心配している暇などないのだ。


「試合に戻れ航一、俺はもう平気だからさ」

「そうよ、大樹は任せて試合に戻って航一!」


 おそらく、俺のシュートが決まったことで、残り時間約35秒、スコア75対77といったところだろうか。


「わかった……大樹の事、よろしくお願いします」


 航一は、梨世のお父さんに律儀にお辞儀をしてから、踵を返して会場へと戻ろうとする。

 しかし、一歩踏み出したところで立ち止まり俺の方を振り返った。

 まっすぐな瞳で俺を見据えて、グっど親指を立ててくる。


「ナイスシュート大樹、あとは俺に任せろ!」


 航一は自信たっぷりな笑顔で、こぶしを大樹の方へ突き出ししてくる。

 トレードマークのヘアバンドに汗をにじませ、疲れている様子も見せずに俺を見据える眼差しは、バスケを心から楽しんでいるからこその笑顔。


 戦友、そして親友として、これ以上に頼もしいものはない。

 必ず勝って、全国大会へ出場するという強い意志を感じ取ることが出来た。

 そんな航一の意志を感じて、俺は少々照れ臭かったものの、ふっと笑みを浮かべて拳を航一へと突き出した。

 二人が拳を交わし合い、俺は航一へ試合のすべてを託す。


「あとは頼んだぜ」

「任せとけ。こんなの余裕だ」


 航一はへっと笑ってから、今度こそ踵を返して、試合会場へと戻っていく。

 去っていく航一の背中はとても大きく、逆境を跳ね返してやろうという強い意志が宿っている。

 その後姿を見て、俺は安心することが出来た。

 航一ならやってくれる。

 そう信じて、俺が勝利を確信した瞬間でもあった。


 この後、最悪の結末を迎えることも知らずに……。

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