最終話

 明崎さんから話しかけられ、なんやかんやあってオタ甘の2巻を貸した翌日、僕はまた放課後の誰もいない教室で、オタ甘とは別の作品を読んでいた。


 陽キャには帰宅してからもSNSという仕事があるので、まさか1日で僕が貸したオタ甘の2巻を読み終えるなんてことはないだろう--そう思いながらも、昨日僕の横に座って2時間程度で一気に1巻を読み終えたことや、明崎さんが陽キャであることに嫌気がさしていたことを考えると、昨日の内に2巻を読み終えた明崎さんが昨日の今日で感想を話すために話しかけてきてもおかしくはない。


 実は今日は母さんから買い物を頼まれていて、本当は教室にいる時間なんて無いにも関わらず、明崎さんが僕に話しかけてきた時のために教室に残ってラノベを読んでいる。

 来るかどうかもわからないのに母さんから頼まれた買い物を放棄してまで教室に残り明崎さんを待つなんてバカのすることだってのは理解してるんだが--。


「関谷くーん! 2巻貸してくれてありがとねー!」


「明崎さん? ってちょ⁉︎」


 僕の元に走ってやってきた明崎さんは、2巻を貸してもらったお礼を言いながらそのままの勢いでラノベを読む僕の後ろから勢いよく抱きついてきた。


「いやー2巻も面白かった! オタクのクセにあんなに甘いセリフで--」


「いやそんなことどうでもいいですから! これ陽キャの距離感ですから!」


「あーごめんごめん、いつものクセで」


 この距離感がクセになっているとは、やはり陽キャはどうかしている。

 同性でこの距離感になるのはまだ理解できるが、異性の僕に対してこの距離感はあり得ないだろ。


「クセって言葉だけで片付けていい距離感じゃないですよねこれ。というか普通陽キャでもここまで近付かないんじゃないですか?」


「みんなこんな感じだよ?」


 陽キャ、恐るべし。


 どうやら陽キャは陰キャの僕が知らないうちに、これまで人類が到達したことのない未知の領域に到達してしまったらしい。


「少なくとも陰キャはこんな距離感では話さないので離れてください。陰キャになりたいって言ってたのにこれじゃ陰キャから遠ざかる一方じゃないですか」


「確かにっ。気をつけるね」


 そう言って僕から離れた明崎さんの表情は、自ら距離を離れるよう促すなんてどれほど勿体無いことをしてしまったのか、と後悔するほど純粋で、可愛くて、綺麗で、魅力的で、癒し以外の何物でもなかった。


「そんなことより2巻だよ! 面白すぎて思わず関谷君に抱きついちゃうくらい面白かった!」


「面白くて抱きつくってのはよくわかりませんけど、楽しんでもらえたみたいでよかったです」


「えー、私に抱きつかれて喜ぶ男子いっぱいいるはずなのに反応悪くない?」


「昨日も言ったじゃないですか。僕は明崎さんと付き合えるなんて微塵も思ってないので、ちょっと抱きつかれたくらいで色めき立ちはしないんですよ」


 明崎さんにはそう言っているが、流石に色めき立ってます、胸の鼓動が速くなってますごめんなさい。


「出たそのよくわからない理論、まあいいけどっ。いやぁー2巻は主人公の感情が表に出始めてて最高だったよ。特に主人公がヒロインに--」


「ちょっ! それネタバレ! 僕まだ2巻読んでないんですから!」


「あっ、そうだったね。ごめんごめん」


 危うくオタクが一番嫌うネタバレをかまされるところだった。


「でも面白さを共有したいと思うくらい楽しんでもらえたのは嬉しいです。自分が素晴らしいと思った作品は仲間と共有したいと思うのがオタクの性ですからね」


「お、じゃあ私も少しは陰キャに近づけてるってことだね」


「そうなりますね」


「そうそう、この本面白すぎてさ--」


 そう言って明崎さんはカバンの中を漁り始めた。


「1巻と2巻、どっちも買っちゃったんだよね」


 カバンから取り出しニヒッと笑いながら僕に向かって自慢げに見せてきたのは、オタ甘の1巻と2巻だった。


 そんな明崎さんの姿に、僕の目頭はジワァッと熱くなっていた。

 陰キャで存在価値なんて無いと思っていた僕の、好きな物の話を真剣聞いてくれて、そして本気で好きになってくれるなんて思っていなかったから。


 明崎さんは自分のことを私利私欲のために僕を利用した酷い女の子だと言っていたが、それはやはり間違っている。

 明崎さんは陰キャの僕とも同じ目線で話してくれて、人には理解してもらいづらい好きを共有できる最高の女の子だ。


「……余程ハマったんですね」


「そうなんだよ。早く3巻が読みたいなぁ……ってあれ、どうしたの? 目にゴミでも入った?」


「あっ、はっ、はい。ゴミが入って突然目が痛くなって……」


 明崎さんが陰キャに寄り添ってくれるのが嬉しくて、陰キャを陰キャ扱いしないのが嬉しくて、僕の目には涙が浮かび、その涙が頬を伝い始めてしまった。

 そして僕は涙を流していることに気付かれないよう必死に目を擦った。


「いや擦りすぎでしょ大丈夫?」


「大丈夫です。それより3巻の発売日まだ先ですけど、続きが読めるの知ってます?」


「えっ、何それ⁉︎ そんなチート技あるの⁉︎」


 僕は自分の涙から明崎さんの視線を逸らすため、とっておきの情報を伝えた。

 この情報だけで気を逸らすことができるとは思っていなかったが、目を輝かせて僕の方に迫ってきた明崎さんを見るに、上手く気を逸らすことに成功したらしい。


「チートっていうか元々この作品は小説投稿サイトから書籍化した作品なので、ネット上では続きが読めちゃうんですよ」


「小説投稿サイトから書籍化とかするんだ」


「昔は小説投稿サイトから書籍化なんて滅多に無かったでしょうけど、今となっては鉄板ルートになってますね」


「私の知らぬところで時代は進んでるんだねぇ」


「どこのおばあちゃんですかそれ。まあ偉そうにネットなら続きが読めるって言ったくせに僕がオタ甘を買ったのはイラストを描いてる絵師さんが好きだからなので、2巻以降の話はまだ読めてないんですけどね」


「それでその小説投稿サイトってのはどれなの?」


「カクヨムっていうサイトで読めます。アプリもありますよ」


「アプリもあるんだ。えーっとカクヨムカクヨム……。あっ、あった。この青いやつ?」


「そうですそれそれ」


「続き気になりすぎて夜も眠れなさそうだったからネットなら読めるって教えもらって助かったよ。また感想伝えるね」


 今回に関しては意図したわけでは無かったが、カクヨムでオタ甘の続きが読めるおかげで僕と明崎の関係はここで終わることなくまだ続いて行くことになりそうだ。

 普段から小説を読ませてもらっている感謝と一緒に、今回の件についても感謝しなければならないな。


「僕も続き読んでおきますね。ネタバレにならないように」


「あっ、そういえば昨日連絡先交換してなかったね」


「えっ?」


 明崎さんが陰キャの僕と連絡先を交換しようとしていることに一瞬驚いてしまったが、陰キャを陰キャだからといって軽蔑しない明崎さんなので、こうして僕と連絡先を交換しようとするのもなんら不思議なことでは無いのか。


「嫌だった?」


「あっ、嫌とかでは……」


「まさか私以外誰も友達がいなくて私が初めて連絡先交換する相手だったりー? って流石にそれはないか! 失礼なこと言ってごめんね」


「……」


「えっ、まさか?」


「聞かないでください」


「……ふふっ。ごめんごめん」


「えっ、ちょっ、今笑いました⁉︎」


「失礼だってのは理解してるよ? でもなんか嬉しくってさ」


「酷い! 僕に友達が一人もいないのが嬉しいなんてどんな悪魔ですか!」


「こんなに可愛い女の子を悪魔というとは何事だ。天使の間違いでしょ」


「まあそれは確かに」


「だからそういうとこっ。陰キャだから素直に褒められるとか言ってたけど、普通の陰キャならそんなこと言わないでしょ」


「僕は訓練された陰キャなんで」


「訓練するだけでそんなことが言えるなら誰も苦労しないって。はい、スマホ出して」


 そして僕はスマホを取り出して、明崎さんと連絡先を交換した。

 まさか僕が明崎さんと連絡先を交換できる日が来るなんて思ってもみなかった。


「よしっ、これで直接会わなくても24時間感想を伝えられるね」

 

「いや深夜とか授業中はやめてくださいね? 普通に迷惑なんで」


「何でそこは冷たいのさ〜。優しくしないとネタバレしちゃうぞ?」


「それだけは本当に勘弁です」


「ふふっ。冗談冗談」


 陰キャの僕の前で、陰キャになりたい陽キャの超絶美少女、明崎さんがケタケタと笑い笑顔を見せるこの癒しの時間がいつまでも続けばいいなと、思わずそんな贅沢なことを考えてしまっていた。


「それにしても明崎さんがこんなにラノベにハマるなんて思ってませんでした」


「私も驚いてる。もしかしてもう完璧な陰キャになれたんじゃない?」


「そうですね。急に抱きついたりさえしなければ」


「それはこれから気をつけるって。あっ、そういえば陰キャになって良かったことがもう一個あってね?」


 明崎さんが陰キャになろうとしているのは妹をいじめていた人間と同じ人種でいたくなかったからだが、それ以外にあった良いこととは何なのだろうか。


「良かったこと?」


「妹もオタ甘のこと知ってたみたいでさ」


「へぇ、そうなんですか」


「不登校になってからほとんど話せてなかったんだけど、私がオタ甘の本を持ってるとこ見たら話しかけてきてね、普通に話せるようになったの」


「それは良かったですね」


「……えっ、なんか反応薄くない? 気付いてないかもだけど私めちゃくちゃ喜んでるからね?」


「そうなんですか? そんな風には見えませんでしたけど」


「そりゃそうでしょ! ずっと喋れてなかった妹が私に話しかけてきてくれたんだから嬉しすぎて息止まるかと思ったんだから!」


「それならもっとわかりやすく喜んでください」


「……本当にありがとねぇ関谷くぅん!」


「ちょっ⁉︎ だから抱きつかないでって言いましたよね⁉︎」


「関谷君がもっと喜べって言ったんだよ? それに関谷君の反応が薄くて面白く無かったから大袈裟喜んでやろうと思って」


「あなた自分が陰キャからどんどん遠ざかる行動してる自覚あります⁉︎」


「それを言うなら関谷君こそ自覚あるの?」


 突然自覚があるかと訊かれても、何に対して自覚を持てばいいのかもわからないが、明崎さんは何の話をしているのだろうか。


「……え、何の自覚ですか?」


「君自身がラノベの主人公になってるって自覚」


 そう言いながら明崎さんが見せた笑顔は、これまで見たことの無い少し頬を赤らめた愛らしく女性らしい笑顔だった。


「--えっ?」


「よしっ! それじゃあ帰ろっか!」


「えっ、そっ、それどういうことですかぁ⁉︎」


「さあねー! よーく考えなー!」


「ちょっ、明崎さん⁉︎ 明崎さぁーん⁉︎」


 明崎さんは僕がどれだけ引き留めようとしても止まることは無く、僕はそんな明崎さんをひたすら追いかけていた。


 明崎さんの発言をそのままの意味で受け取るとするなら……。


 いや、まさか、まさかそんなはずは無い。


 結局明崎さんの発言の真意は分からずじまいだったが、そこから僕と明崎さんの陰キャ? ライフが幕を開けたのだった。

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陰キャになりたい明崎さん 穂村大樹(ほむら だいじゅ) @homhom_d

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