第18話 なにが彼女を怒らせた?

 その日、僕は居酒屋の仕事は休みだった。ガンザさんの傷は深かったけど、ミルテさんの応急処置がよかったのか幸い化膿することもなく快方に向かっていた。でも、傷は治りそうでも僕とガンザさんとの間柄はなんだか微妙なままだった。

 挨拶はするけど会話は減ってしまい、彼女はケガの理由も教えてくれなくて、僕はさりげなく避けられているような気がした。


「ちょっと出かけてくるね。」


「そうか。」


 ちょうど約束の刻が迫っていたし、なんだか気まずい空気から逃れるように僕は小屋の外にでた。まだこの異世界の街には慣れてはいなかったけど、僕は勇気をだして目的地をめざしてひとりで歩き始めた。



 なんとか教えてもらった場所に着いたら約束の刻ギリギリだった。そこは本当にばかでかい屋敷で、マンガでしか見たことがないような立派な門がどっしりと構えていた。


「3回、1回、2回だったっけ?」


 聞いていた通りにライオンみたいなノッカーで門扉を打つと、ギギギと扉が開いた。ちょっとした森みたいな中庭を通り抜けると、やっと屋敷の本館にたどり着くことができた。


 そう、僕は商会長であるジョンズワート氏の屋敷にやってきていた。居酒屋に来ていた商会員の客にとりつぎを頼んだ時、最初は相手にされなかったけど、ある殺し文句で客の態度は変わった。



 だだっ広い応接間で僕は延々と待たされた。出された焼き菓子を食べながら冷めた紅茶をすすっていると、ドアが開いて背の高いおじさんが入ってきた。想像していたよりもずっと精悍な感じの人だった。僕は緊張したけど、考えてきたことをうまく言えるように頭の中を整理した。


「君が本当にカズミくんかね? 若いご婦人と聞いていたが?」


「は、はい。僕がカズミです。」


「そうか。私が商会長のジョンズワートだ。まあ楽にしたまえ。」



 どっかりと僕の真正面のソファに座った商会長は、遠慮なく僕をジロジロ見てきた。商会長はロングタキシードみたいな服ががっしりとした体に似合っていて、居酒屋のオヤジと違って上品な口ひげの似合う、まさに紳士という印象だった。

 僕は自分の上下ジャージが場ちがいで恥ずかしくてたまらなかった。 



「さて、カズミくん。私にお話というのはなにかな?」


「はい。実は、今日は商会長さんにお願いがあってここに来ました。」


「ほう? お願いとは?」


 僕は深々と頭を下げ、話を切り出した。




 屋敷を出ると、もう夕方だった。僕は門を見上げて、思いのほかうまくいった話に満足していた。しかも、たくさんお土産までもらった僕の両手は大きな手さげ袋でふさがっていた。僕は意気揚々とガンザさんの小屋に戻った。


「帰ったよ。」


「ああ。」


 ガンザさんは眠っていたようで、寝ぼけまなこで僕を見ていた。彼女は、ミルテさんが作ってくれたタンクトップみたいな服を着ていて、胸は布を巻いていた時よりも余計に大きく見えて、僕は見ないように努力した。


「遅かったから心配したぞ、カズミ。」


 ガンザさんは横になったまま手を伸ばしてきて僕の髪に触れようとした。 


「カズミの髪は綺麗だな…。」


「え?」


 そういえば、僕みたいな黒い髪色の人はこの街では見かけなくて、珍しいのかもしれなかった。


「どうしたの、ガンザさん?」


「イヤな夢を見た…カズミが遠くに行ってしまう…そんな夢を…。」


 そう言いながら目が覚めてきたのか、急にガンザさんは上半身を起こした。なんだか彼女の顔はひどく赤くなっていた。


「なんでもない! なんでもないんだ!」


「そ、そう?」


 僕は聞かなかったことにして、それよりもガンザさんに早く報告したいことがあった。


「それよりも、ガンザさん聞いてよ! もう危ない仕事をする必要なんかないんだよ!」


「なんだと?」



 僕は大戦果をガンザさんに聞いてほしくて、一生懸命に説明した。このとき、僕は本気でそれが彼女のためだと思いこんでいたんだんだ。



「聞いてよ。僕、ジョンズワート商会長さんに会ってきたんだ。」


「な、なんだって!?」


 いつも物静かなガンザさんが、このときばかりは目を見開いて驚いてる様子だった。


「やっぱり、ガンザさんのターゲットはジョンズワート商会長さんだったんだね?」


「どうしてそれがわかったのだ?」


「それよりも、聞いてってば。」


 


 僕の話を聞いて、商会長さんは豪快に笑い出したのだった。


「はっはっはっ! 君、カズミくんだったかな? お気持ちは嬉しいが、どこでそんな話を聞いてきたんだい?」


「それは…噂です。それに、あなたの命は本当に狙われているんです。居酒屋で、殺し屋らしい人たちが偶然に話しているのを聞いたんです。だから、僕はあなたに悪い商売をやめてほしいんです。」


 僕は半分くらいウソもおりまぜながら懸命に話をした。商会長さんは笑みを絶やさなかった。


「いいかい、私があくどい商売をして異種族を弾圧しているなどというのは、私の商売敵が流している悪質な嘘の噂さ。まあ、念のために腕のたつ護衛は雇っているがね。」


 商会長さんは立ち上がり、僕の隣に腰かけてきた。


「むしろ私は異種族を尊重し、積極雇用したり、貧困層には寄付もたくさんしている。調べてもらえばわかることだよ。」


「そ、そうなんですか?」


「それに、ごく一部の無能な部下が異種族の方々に狼藉をはたらいた場合には、私は厳しく処分している。」


 商会長さんは自信たっぷりに言いきり、嘘を言っているようには見えなかった。僕はなんだかひどく失礼なことを言ってしまったような気がした。早く帰ってガンザさんの誤解を解かないと、大変なことになるところだった。腰を浮かしかけた僕を、商会長さんは手で制した。


「まあ待ちたまえ。君は勇気を出して私に忠告をしにきてくれた。ぜひお礼がしたい。そうだなぁ…。」


 少し考えてから、商会長さんは僕にすごい申し出をしてくれたのだった。




「カズミを雇うだと?」


「うん。商会が新しく開発する希少金属の鉱山で働かないかって。もちろん、僕は楽な事務仕事でしかも高収入なんだって!」


 僕は興奮してガンザさんの表情がどんどん曇っていくのにもかまわず話し続けた。


「それで、僕の友だちもみんな雇うから連れてきてもいいって! だから、ガンザさんとミルテさんもどうかなって…。」


「ふざけるな!」


 

 あまりのガンザさんの激しい拒絶に、僕は凍りついた。どうやら僕は彼女の逆鱗にふれてしまったみたいで、いったいなにがいけなかったんだろうか、さっぱり僕にはわからなかった。



「ガンザさん? どうしたの?」


「出ていけ。」


「えっ?」



 僕はガンザさんがオーガだということを忘れてしまっていたのかもしれなかった。するどい牙をむいた彼女は、はてしなくおそろしかった。


「今すぐここから出ていけ!」

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