第53話 世界への扉

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アンコールの最後の演奏を終え、神矢かみやゆうはほんの少しの間、鍵盤の上から顔を上げられないでいた。

やっとの思いで顔を上げると、そのまま天を仰いだ。

その瞬間、拍手喝采。

スタンディング・オベーションで、観客達は悠の演奏を讃えた。

15人のオーケストラも、立ち上がり拍手を送る。

悠は天を仰いだまましばらくの間拍手を浴びた後、ゆっくりと立ち上がると観客の方を向いた。


『きゃゃー!!!』

『わー!!!』


悠は恍惚の境地に立ちながら、精一杯に笑い左手を胸に置き、観客達に深く頭を下げた。

頭を上げて観客を隅から隅まで見渡すと、もう一度頭を下げて舞台を後にした。




――『これをもちまして、神矢悠【Be rebornツアー】the final公演は終了となります。お忘れ物のない様に、お気をつけてお帰り下さい。ご来場頂き、誠にありがとうございました。』





――――――――――――――――――――


「はぁ、はぁ、はぁ。」


悠は早歩きで息を切らしながら、開けっぱなしにしている大部屋のドアをすり抜け、真っ直ぐ私に向かって来た。

その勢いで抱きつかれ、少し体が傾いてしまった。


「ちょっ、ちょと、どうしたの!?」


「わかんない!!」


「はぁ?(苦笑)」


「どうしたんだろ!俺!?」


「わかったわかった。みんな見てるから、ね!?」


悠の体を剥がし顔を見た。

焦点が定まっていない。

表情がコンサートの成功を物語っている。



「これを経験出来たらもう、やめられないわよ(笑)」


エマが満足そうな顔で笑った。


「どういう事ですか?」


「表現者しか経験できない恍惚よ。これを経験したらまた味わいたくなるの。悠くんはこれからコンサートをしたがるわよ(笑)」


「こんな顔、初めて見たから…。そうなんだ…。」



「俺、ちゃんと弾けてた?最後、記憶が無いんだよ!」


「凄かったよ!ちゃんと弾けてるどころか、体力も気力も全部出し切ってまさに全身全霊!魂で弾いてるって伝わったよ!気絶して倒れちゃうかと思ったもん!本当に本当に素晴らしかった。カッコよかったよ(泣)」


「良かった…。」


徐々に正気に戻って来た悠が、いつもの笑顔を見せてくれた。



「あのぅ、すみません。」


亜弥が私とエマに声を掛けた。


「ニューヨークで悠さんを世話していたと言って、ジェームズさんとおっしゃる方が会いたいと。お通しし」


「すぐに!連れて来て下さい。」


悠が亜弥の言葉を遮って言った。

悠の顔は、真剣な表情に変わっていた。





「お久しぶりです。」


悠がそう言うと右手を差し出した。

190センチ以上はありそうな、アメリカ国籍で日本とアメリカのハーフのジェームズが右手を差し出し握手をした。


「手に力が入って無いね(笑)それだけ全力を尽くしたと言う事だ。素晴らしい。」


「今日はもしかして…見てくれたんですか?」


「観させて貰ったよ。最初のツアーと今回のツアーで2回観させて貰った。ちゃんと正規ルートで取ったチケットだからね?(笑)」


「そんな…ご連絡くださればご招待させて貰ったのに。」


「いや。意識させたく無かったからね。」


「本当にありがとうございます。あの、紹介します。」


悠はまずエマをジェームズに紹介した。


「僕をプロデビューさせてくれたエマさんです。」


「初めまして、矢沢エマです。」


「初めまして。ジェームズ・スミスと言います。」


エマとジェームズが握手をした。



「エマさんと会う前にお世話になっていた、ニューヨークの事務所の社長さんです。」


「お話は伺っておりました。」


「そうですか。今、良い事務所に居る様で良かった。」


「ありがとうございます。」


「それから…。」


悠は私をジェームズの前に誘導すると、そのまま紹介してくれた。


「彼女が…妻の杏実です。」


「あぁ、あなたが噂の(笑)ジェームズです。」


「初めまして。」


私も握手をした。

ジェームズは悠に向きを変え話し出す。

腕時計を気にしている。

時間があまりない様に見えた。


「あれから拠点を、イギリスに変えてね。」


「そうだったんですね。」


「今夜の便で帰らなくてはいけないんだ。急いでいるんだが、話があって。疲れているのに申し訳ないが聞いてくれるかい?」


「はい。伺います。」


「近々、イギリス王室で結婚式があるらしいんだ。王室と言っても国王の甥っ子にあたる人物なんだが。結婚式で演奏する者を探しているそうなんだ。音楽のジャンルは問わず、祝いの音楽であれば民族音楽でも良いらしい。音楽の好きな王子で音楽に溢れる結婚式にしたいらしい。出席出来る条件は…」


ジェームズは右手親指を出した。


「事務所に所属していて…」


次に人差し指を出し


「犯罪歴のない事。」


次に中指、薬指と続けて出した。


「そして、素行が良く既婚である事。」


悠の表情が柔らかくなった。

何を考えているのか、手に取るようにわかる。


「面接や実技選考もあるが、君なら条件を満たしているんでは無いかと思ってね。王室の結婚式に出たなんて事になれば箔がつくだろう?挑戦してみるかい?」


「やりたいです!どうすれば良いですか!?」


「噂によれば、申し込みをすると身辺調査が行われるとかって聞くんだが、君は大丈夫かい?」


「大丈夫です。何もありません。」


「そうか。良かった。ではここからはプロデューサーと話がしたい。紹介してくれるかな?」


「私がプロデューサーです。」


ジェームズが驚き私を見た。


「あなたが?そうだったんですね。」


「公にはしていないので…。いえ、そんな事より何をすれば良いんでしょうか。」


「今日の公演はもちろんですが、以前の公演の録画はありますか?」


「はい。録画も録音もありますが…。」


「素晴らしい。名刺を渡しますからメールで動画を送って下さい。書類など用意する物をお知らせします。」


「あの…。失礼を承知で申し上げますが…。録画も録音も我々には貴重で大切なものなんです。ここであなたを知っているのは、悠くんだけです。悠くんと連絡を取り合っていた事も無かったですよね?あなたの事、信じて大丈夫ですか?」


「やめろよ!」


悠が割って入って来た。


「何言ってんだよ!」


「ちょっと待って。」


悠を制止しジェームズに話を続けた。


「急に現れて、そんな話を持って来たのはどうしてですか?」


「王室が演奏家を探しているのは本当の話しです。調べたら出てくると思いますよ。僕の事務所にいる時に、力になってあげられなかった事、申し訳なく思っているんです。いや…。」


ジェームズが首を横に振り、ほんの少し苦笑いを浮かべた。


「正直に話すしか無いですね…(苦笑)申し訳ないと思っているのは確かです。でも、下心もある…。実は私の事務所は…、昔も今もうだつの上がらない事務所でして…はぁ。彼にこんな才能があったのに見抜けなかったんですから、そりゃそうですよね(苦笑)だけど、悠紫が王室の結婚式に出席出来たら、仲介したうちも注目されます。悠紫の可能性に力を借りたいわけです。」


「そちらの事務所に、所属している訳ではないのに、随分勝手なお話ですね。」


「お互いに良い方向へ向かう事を期待しての事です。騙そうだなんて思っていませんよ。ちゃんと仲介しますから、安心して下さい。悠紫が選ばれたら、それはそれでそちらは安泰ですよね?そんな良い話、蹴って良いんですか?」


「分かりました…。ひとまずは信じるとします

。」


「ありがとう。では、また、会える事を祈っています。」




ジェームズを見送ったあと、悠が私に詰め寄った。


「さっきの態度はなんなんだよ。」


「私にはアーティストを守る義務があるの。あちらだって事務所の社長なら、こんなのは想定内に決まってるでしょ。」


「はぁ。」


「エマさん。どう思いますか?」


「まず、その話が本当かどうかを調べましょう。私だってあの場面だったら、あぁそうなんですね!なんて手放しで喜んで見せたりしないわ。」


「悠くん…、もしこの話が本当なら、どうする?」


「やるよ。決まってるだろ。」


「あなたの事を利用するって、言ってるんだよ?」


「もし、選ばれたらの話だろ?それに…、悪い事に利用される前に、プロデューサーなら何とかしてくれますよね?」


「当たり前でしょ…。」



そう答えながらも、心の中に言いしれぬ不安が渦巻いていた。



「だったら、挑戦させて下さい。」




――――――――――――――――――――

悠は追加公演最終日の翌日から、ありとあらゆる音楽雑誌の撮影やインタビューをこなし

新曲の作成やレコーディングなど、目まぐるしい毎日を送っている。

私たちが調べたところ、本当にイギリス王室は演奏家を探していた。

私たちは急遽、即席の写真集を作りアルバム2枚と、コンサート映像3曲分の動画を用意した。

動画にはコピー防止の為に『sample』の文字を動く様に入れて。

申し込み方法や諸々、不備がない様に準備をする為に調べている時間がない。

ジェームズを全面的に信用している訳では無いが、致し方なく頼ることにした。



ジェームズに任せて1ヶ月経ち、今から全員を集めて緊急会議を行うところだ。

活気ある部署で忙しく出来ているからか、部下達の目が光輝いている。

私はその目を見るのが好きになった。



「おはよう。」


『おはようございます!』


「今日集まってもらったのは、例のイギリス王室の経過報告です。」



全員が固唾を飲んで私の言葉を待った。



「王室から来たメールに…悠くんの事をもっと知りたいと書いてあった。」


「よしっ!」


「すご〜い!悠さんさすがですぅ。」


神田が手を叩き声を上げた。

亜弥が小さく拍手をしながら喜んでいる。

全員が顔を見合わせ色めき立った。



「前進したんだな?」


「はい(笑)」


「そりゃそうよ。悠くんだもの(笑)」


エマが嬉しそうに笑っている。

そして悠も、ホッとして一瞬嬉しそうな顔をした。




「結婚式に相応しい曲を3曲、1週間以内に送る様に言われているんだけど、悠くんどうする?」


「1週間で3曲か…。」


「うん。ストックから出すのが無難だけど…、一曲でも作れたら、話題にもなるし喜ばれるよね…。」


「杏実の時みたいに、挑戦してみたいんだけど…。良いかな?」


「録音もあるから時間、掛けられないよ?」


「うん。」


「でも、きっと、悠くんなら…出来ると思う。」


「直ぐ取り掛かるよ。」


悠がそう言って立ち上がると、エマと神田も立ち上がり、一緒にスタジオへ向かった。

残されたスタッフ達も立ち上がり、自分の与えられた仕事に即座に取り掛かった。

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