第44話 2人の夢
『
匿名希望と名乗る人物のコメントだった。
ほんの一瞬、表情を変えた悠を
エマと私は見守るしか出来ない。
しかし悠の第一声は、焦燥する私たちとはかけ離れたものだった。
「わぁあ。」
と言うと、ほんの少し笑ってカメラに向かい、ゆっくりと言葉を続けた。
「どこにも出していない情報なのに、よく知ってますね。もしかして同級生ですか?(笑)ファンの方でご存じの方…いらっしるのかな。嘘はつきたくないので、知らなかった方の為にも説明しますが。SUGAYA自動車の菅屋光司は父親です。」
「う〜ん…。隠していた訳では無いんですが、僕は一切会社に関わっていないので、お話しする事が無くて。」
「本来なら、長男の僕が会社を継ぐのが当たり前の事なのかもしれませんが、僕はSUGAYA自動車を継ぎません。」
「僕には弟が1人居るんです。両親は僕たち兄弟に好きな事をやらせてくれていました。僕は小さな頃からピアノを弾くのが好きで、ずっとピアニストになりたいと思っていました。」
「SUGAYA自動車は、野心家であり有能な弟が継ぐ事になっています。僕が継いだらきっと潰してしまうでしょう。ははは(笑)」
「僕はこれからもずっと、ピアニストとして頑張りますので、ぜひ応援を宜しくお願いします。」
悠はカメラに向かい頭を下げると、ニコリと笑った。
「では、今日はそろそろ終わりにしたいと思います。また近いうちにお会いしましょう。」
カメラに向かい手を振るのを合図に、カメラマンが配信を切る事になっている。
悠がカメラに向かい、両手で軽く手を振ると打ち合わせ通りに配信が終わった。
コメント欄には悠の対応に戸惑う声で溢れていた。
この事が神矢悠の人生に吉と出るか凶と出るか、検討も付かない。
私は悠の居る配信スタジオに急いで向かった。
・
・
――――――――――――――――――――
「
「いつかはこうなるんだから気にするなよ。」
「だけどっ」
「バレるの早かったなぁ(笑)言っておくけど、
「え?」
「会社も継がずピアニストになった長男と結婚したのは誰なのか。馴れ初めは?玉の輿狙いか?色々探られて暴露されるよ。覚悟しておいた方が良いね。」
エマが引き取り続けた。
「そうね。それだけの会社だものSUGAYA自動車は。だけど悪い事をしている訳ではないんだから、堂々としていなさい。」
「はい…。ありがとうございます。でも…どうしたら…。」
「世論がどう出るのか。検討も付かない今は対応のしようが無いわね。迅速に動ける体制だけは整えておきましょう。」
「はい…。」
「悠くんはMV発表の後の配信を続けましょう。ここで止めたら悪く取られてしまうわ。質問にも真摯に答えていれば、ファンが味方になってくれるはずよ。」
「分かりました。」
――ガチャッ!
「失礼します。エマさん!」
亜弥が慌てた様子で配信スタジオにやって来た。
「問い合わせの電話やメールが殺到しています。どの様に対応したら良いですか?」
「近い内に公式発表すると伝えてちょうだい。企業と一般、どちらにも同じ答えを用意して。今日は音響スタッフも交代で電話対応しましょう。私も行くわ。」
「了解致しました。失礼します。」
亜弥が駆け足で配信スタジオから出て行った。
「杏実も電話対応をお願い。今日は悪けど帰れないわね。」
「私は大丈夫です。申し訳ありません。」
「あまり落ち込まないで。大丈夫よ。」
「はい。」
私が返事をすると、エマは直ぐに悠紫に向かい言葉をかけた。
「あなたは?やる事無いわよ。」
「杏実の側に居ます。」
「言うと思ったわ。好きにしなさい。」
・
・
オフィスに向かう途中、悠紫は歩きながらどこかに電話をかけていた。
「もしもし?ちょっと待って。」
そう言うとスピーカーにして話を続けた。
「お疲れ。遅くに悪いな。急で申し訳ないんだけど、ちょっとまずい事になってさ。」
「父さんも母さんも一緒に配信見てたよ。」
電話の相手は弟の
「そうなんだ…。」
「うん。だから、今後どうしようかっていま会議をしているよ。『だれだ!?』兄さんだよ。『悠紫か!?替わってくれ!』 兄さん、父さんが替わってくれって。」
「うん。」
「悠紫か!?」
「父さんごめんなさい。」
「謝るのは悪い事をした時だけにしなさい。あの場でのベストは尽くした。嘘もついていない。」
「うん。」
「会社の方に問い合わせが来ていてな。対応を考えねばならん。方針が決まったら連絡するから。あまり気にせず待っていなさい。」
「ありがとう。宜しくお願いします。」
通話が終わり、スマホをパンツの後ろポケットに入れた。
気にして見ていると、私の視線に気付いた悠紫がニコリと笑ってくれた。
「忙しいのに、迷惑掛けちゃったね…。」
「あの感じだと全然気にして無いから、大丈夫だよ。」
「うん…。」
・
・
――――――――――――――――――――
《悠紫side》
杏実は分かりやすく落ち込んでる。
慰めてやらないと。
出会った頃から今も変わらず、手のかかるお姉さんだ。
エマさんに、少し時間を下さいと頼むと
電話番は手が足りてるから、交代まで休憩してきなさいと言ってくれた。
杏実を会議室で待たせて、コーヒーを買いに行った。
・
・
「お待たせ。コーヒー、飲むだろ?」
「ありがとう。」
力なく笑う杏実を見て笑いそうになる。
菅屋光司の息子を、26年やって来た俺にはこうなる覚悟は出来ていた。
もう、隠しておく必要が無いと思うと、身が軽くなった気分だ。
杏実にも同じ気持ちになって欲しい。
俺にとって重要なのは、ピアノで高い評価を受ける事。
こんな事は通過点に過ぎないのだ。
すぐに理解してくれれば良いけど…。
「俺と結婚した事、後悔してる?」
「正直に言っていい?」
「うん。」
「全然してない!(笑)」
「えぇっ?(苦笑)」
杏実が俺に、無邪気な笑顔を向けている。
後悔して無いと言ってくれるとは思っていだけど、こんな笑顔を見られるとは思ってなくて…。
(なんて可愛いんだろう…)
そう、思ってしまった事がバレないように
平静を装い言葉を続けた。
「なんだよ。強くなったな(笑)」
「そりゃそうでしょ。今まで色々あったんだもん。」
「そうだね。確かに、色々あったな(笑)」
『あはははは!』
2人で大笑いした後、杏実の表情が曇った。
小さなため息をつく。
「でもね…。」
「うん。」
「このせいで…世界デビューが…遅くなったりしたら…不安で怖くて…ここまでコツコツと頑張って来たのに…」
「バカだな(笑)SUGAYA自動車なんだよ?(笑)」
「え?」
「隠しきれる訳ないだろ。世界的企業だよ?騒ぎにならない訳ないじゃん。たまたま杏実の思い付いた配信がきっかけだっただけでさ。考えるだけ無駄だって。」
「やな奴ぅ(苦笑)」
「あはははは!」
「それにしてもさ。」
「うん?」
「悠紫くんも強くなったね。」
「杏実が居てくれるからだよ。」
そう言った瞬間、杏実の事が愛おしくなって抱きしめてしまった。
腕の中の杏実の、照れながらも嬉しそうな声を聞いて、抱きしめる腕に力が入ってしまう。
苦しいかも?と思いながら、力を緩める事が出来なかった。
「へへっ(笑)どうしたの?」
「こうするの久しぶりだね。ずっと忙しかったから…。」
「悠紫くん。あったかいなぁ…。」
「最近…一緒に寝る事も出来ないしかまってあげられなかったけど…寂しくなかった?」
杏実は俺の身体から離れると、また笑顔を見せてくれた。
「側に居て、何をしているのかをずーっと見ていられんだよ?全然平気!(笑)私ね…。離れている間に悠紫くんがピアニストになってさ。嬉しかったけど、寂しかったの。初めて出したCDを一緒に聴きながらお祝いしたはずなのに…。おめでとうも言えなくて…。」
杏実の目にうっすらと涙が溜まって行くのが見えた。
俺だって、杏実と喜びを分かち合いたかった。
その時の想いが蘇り、胸が締め付けられる。
「私に1番に喜びを伝えたかったはずだし。私だって1番に伝えて欲しかった…。なのにお互い1人でさ…。悠紫くんの夢は、私の夢なの。だからね?」
「うん。」
「私の夢は、悠紫くんなの。」
「何それ?(笑)」
「分かんないの?分かるでしょ?」
「はいはい。わかったわかった(笑)」
「だから、寂しくなんかないよ。いま幸せ過ぎるくらい幸せなんだから…。」
「俺も幸せだよ…。」
唇を近付けると、杏実も同じ気持ちだったのか
素直に受け入れてくれた。
杏実は出会った頃も今も、俺と同じ方角を見てくれている。
唇を重ねる度に、俺を強くさせてくれる。
絶対に杏実と一緒に世界に行きたい。
ずっと、ずっとこのままで…。
一緒に…。
――ブブッ、ブブッ。
――――――――――――――――――――
《杏実side》
悠紫のキスはいつも私を、有頂天にしてくれる。
こんな私をこんなに幸せにしてくれる悠紫に、世界の舞台に立って欲しい。
神様が、私のわがままをもう少しだけ訊いてくれるなら…。
悠紫と一緒に世界が見たい。
こんな所で、躓かせる訳にはいかない。
何としてでも打破してやる。
絶対に…。
――ブブッ、ブブッ。
――ブブッ、ブブッ。
「んっ! ちょ、ちょっとっ。」
「なんだよ?」
スマホのバイブの音が、静かな会議室に響いている。
悠紫にだって聞こえているはずなのに、気にする素振りを見せる事なく、またキスをしようとした。
こんな時にかかって来る電話だ、
大事な電話に決まっている。
私は悠紫のキスを拒否して、電話に出るよう訴え続けた。
「ねえ!出てってばっ。」
「チッ。」
悠紫は舌打ちをしながら、パンツの後ろポケットに入れてあるスマホを取り出した。
「
「うん。早くっ。」
「もしもし。 うん。うん。…えぇ?」
悠紫が驚き目を見開いた。
驚いた顔の悠紫と見つめ合う。
悠紫は私の目を見たまま会話を続けた。
「どこで?…あぁわかった。…ありがとう。じゃ。」
弟の秀希との会話は短いものだった。
驚いた理由が聞きたい。
スマホをポケットに仕舞う悠紫に問いかけた。
「何?どうしたの!?」
「明日、親父と2人で記者会見するって。」
「記者会見!?」
私の単純な思い付きが、日本のマスコミを巻き込む程の大事になろうとは、夢にも思っていなかった。
でもこの時…
私の中で何かが瞬間的に切り替わり、少しの事では動じる事の無い、業界人とやらに変貌を遂げていた。
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