第41話 愛を理解したピアニスト①

昨晩、最寄駅近くのスーパーに立ち寄り、食べたい物を手当たり次第に買った。

食べ切れないのは想定内。

残った物を朝ごはんとして食べた。


悠紫ゆうしは今日1日、家でひたすらピアノの練習をするらしい。

だから…起きて来なかった。


私は1人で出社し、朝の会議の後外回りに向かった。

まずは、ずっと行きたかった所に向かう。

誰にも言わず、独断での行動だった。




――カランコロンカラン♪


「おはようございま〜す。」



ドアベルの音と木の匂い。


毎日通っていたその場所は、何も変わってはいなかった。

辛く重たい日々を過ごした場所。

悠紫と…、再会出来た場所。




「あれ?杏実さん!?おはようございます。お久しぶりですね(笑)」



私がSJ楽器を辞める時、入れ替わりで働く事になった鈴木すずき真莉まりが笑顔で迎えてくれた。



「ご無沙汰してます…。あの…鈴木さん、SUGAYAに戻りたかったりするんじゃないですか?何だか申し訳なくて…。」


「え?もしかして気にしてたんですか?」


「全然職種も違うし気になりますよ。」


「ちゃんと納得して移動したんです。あちらに戻らずここにいると決めたのは自分ですし。私、ここにずっと居たいんです。星准せいじゅんさんが居るから。」


「え?…えっ?」


「私、星准さんと付き合うようになったんですよ(笑)」


「うぇっ!?」



「私から告白したんですよね(照)最初ははぐらかされたんですけどね(苦笑)言い続けていたら受け入れてくれました!」


「そうなんですか!?やるなぁ星准(笑)鈴木さんも凄いなぁ。今度詳しく聞かせて下さいね!」


「ぜひぜひ(笑)」


「ところで、オーナーは?」


「ちょっと待って下さいね。」



鈴木が大声を出そうとした時、店の奥から声がした。



「なんだ、珍しいな。」


「あぁ、居たんだね(苦笑)」


「うん、どした?」


「急にごめんね。今日は…神矢かみやゆうの営業に来ました。お話し聞いて頂けますか?(笑)」


「お聞きしますよ。バックルームにどうぞ(笑)」



カウンターを通りバックルームに入る。

4人掛けのテーブルに、向かい合わせに座った。




「仕事は順調なのか?」


「うん。やっとこれから忙しくなりそうなんだ。だからその前に来ておこうと思って。」


「そっか…。 あ!そうだ!悠紫くんがレストランでピアノ弾いてるの話題になってるな?(笑)」


「星准まで知ってるとは(苦笑)」


「彼女ってお前だろ?」


「そりゃそうでしょ(笑)これから…私の事、探られる様になっちゃうからさ…。」


「うん。」


「昨日…私たち入籍したんだ。」



星准の目が少し大きくなった。

まだ、そんな風に反応するのかと不思議な気分だった。



「そうか…。おめでと…。」


「星准には自分で知らせなきゃと思って…。」


「別れたり…すんなよ…。」


「やめてよ(苦笑)やだなぁ。」


「別れたりしたら俺…。全部捨ててお前」


「やめようよ!」


星准に全部言わせまいと慌てて遮った。

聞きたく無かった。



「何言おうとしたか知らないけど。やめようよ。聞きたくない。」


「何年経っても、お互いに立場がどうなろうが…。俺にとってお前は特別枠だから。複雑だよ。」


「やめてってば…。」


「ここに来る時は、あんまり幸せそうな顔。…してないでくれよ。」


「それは難しい注文だね…。」



2人とも次の言葉が見つからなかった。

必死に言葉を探していると、星准が沈黙を破った。



「あ、営業で来たんだろ?(笑)」


「あ、そう。そうなの。神矢悠の新しいアルバムが出たらCDとか楽譜集とか、このお店に置いてもらいたくて…。」


「なんだ、そんな事か。もちろん置かせて貰うよ。」


「ありがとうございます!」



彼女の居る場所で、いつまでも2人きりで居られない。

すぐにバックルームから売り場に出て、2人に礼を言いSJ楽器を後にした。




――――――――――――――――――――

次に私はトゥールレコードに向かった。

トゥールレコード日本本社に着くと、真っ直ぐエレベーターに向かう。

目指すは8階。




――トントン


「どうぞ!」


女性の声だった。

扉を開けると演奏家部門・最高責任者の片岡かたおか真守まもると目が合った。



「お、来たね。熱血杏実さん(笑)」


「おはようございます…。そのぉ、熱血杏実ってやめて貰えませんか?(苦笑)」


「あははは!(笑)あなたみたいな人初めてだからね。皆んなに話すにも分かりやすくて良いあだ名だよ(笑)」


「じゃあ…いっかぁ(苦笑)」


――あははは!



最高責任者と言っても30代後半だろうか。

フレンドリーで、なんでも許してしまえそうな雰囲気がある。

一緒になら良い仕事が出来る予感がする。

ここでは彼にお任せして、ついて行こうと思っている。




「あそこ行こう。」


片岡は私を誘導すると、部屋の隅にあるパーテーションを開け


「まあ、座って。」


と私を座らせどこかへ行った。

1分程で、ホットコーヒーを持って戻って来た。


「ブラックで良かったよね。」


「はい。ありがとうございます!」



インサートカップ式のコーヒーカップをテーブルに置きソファーに腰掛ける。

片岡の顔から明るい表情が消え、真顔になった。



「さてと。正直に言うとね。しばらく熟考してから返事をしようと思っていたんだ。」


「はい…。」


「だ、け、ど!」



また明るい表情に戻った。

一瞬の不安が解消された。



「神矢悠に縁を感じる偶然があってね。」


「縁、ですか?」


「うん。杏実さんが来た次の日、朝一で神矢悠に関して会議をしたんだ。皆んなに楽曲を聴かせながらね。」


「はい。」


「そしたらさ、1人『この曲!昨日聴きました!』なんて言い出す者が居てね(笑)」


「え!?」


「ちょっと待って。呼ぶから。」



そう言うと、片岡は立ち上がりパーテーションから顔だけを出して


「山本さん!」


と呼んだ。


「はい!今行きます!」


と明るい声の後、急ぐヒールの音が聞こえた。



「初めまして。山本と申します。」


名刺を手渡された。

名前は『山本やまもと友香里ゆかり

フレーム無しのメガネに明るい茶色の髪。

垢抜けていて、個性的な綺麗な顔をしている。


(この人の顔好きだな。)


と思った。

我に帰り、慌てて自分も名刺を渡す。

山田は私から名刺を受け取ると、私の顔と名刺を2回見比べて意味ありげな笑顔を向けて来た。

昨日、聴いたという事は…。




「今、ソレイユのサプライズが話題になってるね(笑)」


「はぁ。そうですね。」


「彼女、そこに居合わせたそうなんだ。」



山本の方を見ると、満面の笑みをこちらに向けていた。

私は、その笑顔に全て悟った。


「一昨日、ソレイユにいらしてたんですか?(汗)」


「そうなんです(笑)とっても素敵で心奪われちゃいましたよ!この業界、私もそこそこ長いので曲はバッチリ覚えていたんです。で、昨日片岡さんに聴かされて!もうビックリ(笑)」


「すごい、偶然ですね…。」


ひいらぎさん、神矢さんと一緒にいらっしゃいましたよね?(笑)」


「やっぱり…気付かれましたか(苦笑)」


「えぇ(笑)可愛い彼女連れてるなぁって思ったんですよね。」


「そんな。やめて下さいよ(苦笑)」


「お付き合いされてるんですか?」


「あ、いや、あの彼とは結婚してまして…。」



――うぇ!?


片岡と山本の声がハモる。

仰け反り驚く2人に苦笑いしか出来なかった。


「何!?何!?神矢悠って旦那なんだ!?」


「そうなんです…。」


「そうか!それでか!?なるほどね!益々面白いじゃない!」


「面白い?ですか?(苦笑)」


「うん(笑)」



片岡がスーツを正しソファーに座り直すと、私を真っ直ぐに見た。

真剣な話をしてくださると感じ取った私も、背筋を伸ばし座り直す。

私が姿勢を正したのを確認すると、片岡は口を開いた。



「うちのレコード店は、全国に80店舗あります。その全ての店舗で神矢悠のスペースを作り、当レコード会社の推しアーティストとして応援させて頂きます。」



その言葉を聞いて泣きそうになった。

胸がいっぱいで声が出ない。

じわじわと目に涙が溜まる。

片岡は言葉を続けた。


「店舗名を入れたサイン色紙を80枚、本人に書いて貰えますか?」


「も、も、もちろんです!書かせます!宜しくお願いします!(泣)」


「あははは!(笑)また泣くぅ(笑)さすが熱血杏実さん。では、そういう事で話を進めよう(笑)」


「ありがとうございます!宜しくお願いいたします!」



この後、3人での会議は終始和やかに滞りなく進んだ。

意気投合し、落ち着いたら飲みに行こうと約束までして…。


予備を含めた90枚のサイン色紙と店舗一覧を預かりトゥールレコードを後にする。

笑い過ぎて痛くなった頬をほぐしながら、駅に向かった。

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