第39話 プロジェクト本格始動①
ほんの少しだけ欠けた
明るい大きな月。
風が潮の匂いを運んで来る。
星降る夜。
こんな夜に満月じゃないなんて…
私らしいよな。
と思う。
『杏実、愛してる。』
『ふふふっ。』
照れて笑う私を見て、
降り注ぐ星たちが、祝福するかの様に私たちの周りをグルグルとまとわりついている。
暗闇の中を青白く輝く星が、悠紫の顔を左から右へ、下から上へと照らし遊んでいる。
――あはははっ(笑)
・
・
「ははっ…。」
(はっ。)
自分の笑い声で目が覚めた。
慌てて右隣を見ると、悠紫が裸のままうつ伏せで寝ている。
泣いて飛び起きていたあの夢…。
『笑って起きる』
そんな日が来るなんて、誰が想像出来ただろうか。
嬉しくなって1人でほくそ笑む。
改めて右側に顔を向けると、悠紫の枕が無い。
キョロキョロと探すがベッドには無かった。
ベッドの下に落ちているのだろう。
(うつ伏せで寝るには枕が邪魔で、投げたんだな)
夜中の行動を想像しながら、またほくそ笑む。
(それにしてもキレイだなぁ)
悠紫の身体はかなりの細身で、鍛えているわけでは無いのに筋肉質で男らしい。
滑らかに波打つ広背筋が美しく、見惚れてしまう。
布団をそっとかけてベッドから出ようとした時だった。
不意に腕を掴まれた。
「どこ行くの…。」
「どこも行かないよ。」
悠紫はうつ伏せから体勢を変えて、私の腕を引き寄せ抱きしめた。
悠紫の温かい体温が、私の胸やお腹に直に伝わる。
昨晩のベッドでの記憶が蘇ってくる。
足まで絡ませ余韻に浸る。
なんて幸せなんだろう。
このまま何にも邪魔されず、ずっと2人でいられたら良いのに。
――ピロリン♪ピロリン♪
「誰だよ…。ふざけんなよ。…杏実だろ。チッ。」
悠紫も同じことを思っていたようだ。
目を瞑ったまま着信音に舌打ちをする。
ここでまた、私はほくそ笑む。
私のスマホへの着信には間違いない。
枕元を触って探すがスマホが見当たらない。
――ピロリン♪ピロリン♪
音に耳を澄ませると下の方から音が聞こえる。
スマホが床に転がっていた。
手を伸ばすが届かない。
「はぁ。」
ため息をつき、仕方なくベッドから出る。
11月の朝。
裸ではやはり寒い。
脱ぎ散らかされた服の中からロングTシャツを拾い上げ、素早く着てスマホを拾う。
「エマさんだ…。」
「エマさん?」
ベッドに腰掛けると、悠紫は寝転んだまま私の腰に抱きついた。
・
・
「おはようございます。」
「おはよう。午前休をあげたのに申し訳無いんだけどさ、準備が出来たら来てくれない?」
「分かりました。何か問題ですか?」
「そういう訳では無いんだけど…ちょっとね(笑)」
「何ですか?」
「来てから話す。
「分かりました。では後ほど。」
・
・
スマホの通話を切り時間を確認すると、9時48分だった。
10時に設定していたアラームを解除する。
「準備が出来次第来て欲しいってさ。」
「何かあったの?」
「分かんない。でも、なんだか嬉しそうだったよ。」
「嬉しそう?」
「うん。」
・
・
・
――――――――――――――――――――
会社には11時30分に到着した。
自分のデスクのあるフロアへ向かう。
アクリルの仕切りの中にエマと亜弥、神田の姿が見えた。
「おはようございます。」
「おはよう。あなた達やってくれるわね!」
エマが嬉しそうに言った。
亜弥も神田も嬉しそうにしている。
昨日の営業先から、仕事の依頼が殺到しているのかと思ったがそうでは無かった。
「これを見てちょうだい。」
A4サイズのコピー用紙にインターネットの画面がプリントされている。
手に取ると複数枚あり左上にホチキス留めがされていた。
悠紫と一緒に覗き込む。
・
・
――――――――――――――――――
『思いがけないお客様』
昨晩、私が専属でピアノを弾かせて頂いているレストランで嬉しい事がありました。
私が前から気になっていたピアニストさんがレストランにいらしてびっくりしたのですが、
それだけでは無くオリジナル曲を2曲も飛び入りで弾いて下さったのです!
名乗ることもなく突然でしたので、何か意味合いがあったのでしょうね…。
あえては言いませんが…。
お帰りになる時に、ファンだと伝えると喜んでくれて、快く握手もして下さいました。
CDを持って来てたら良かったのにな(泣)
サインいただきたかったです(泣)
彼のピアノはやはり最高でした。
CDとは聞こえ方が全然違っていて、才能のある方はやはり違いますね。
またのご来店をお待ちしております。
※プライベートでいらしてたので、名前は伏せさせていただきます。
・
・
――――――――――――――――――――
「何ですか?これ!?」
「覚えがあるでしょ?昨日あなた達が行った一つ星レストラン『ソレイユ』の専属ピアニストのブログよ。それだけじゃ無い。その後ろのXの投稿も見て。」
ページをめくり、また悠紫と覗き込む。
・
・
――――――――――――――――――――
◯初めて行ったレストランで
サプライズに遭遇!
めっちゃピアノ上手かった!
#ピアノ
#ソレイユ
◯行ってみたかったソレイユで
男性が彼女らしき人にピアノの演奏を
プレゼントされていました。
とても上手で…。気になったので調べたら
神矢悠というピアニストさんでした。
その時に演奏していた曲が素敵で
ダウンロードしてみたけど何か違う感じがし
て…。
アレンジだったのでしょうか。
[Tomorrow is another day][Meteor shower]
という曲でした。とても良い曲です。
皆さんも聞いてみて下さい( ´ ▽ ` )
#神矢悠
#ソレイユ
#soleil
◯ついさっきの出来事。
初めて行ったレストランで
お客さんがいきなりピアノを弾いたんだよ!
超イケメンで曲も良くて、その場で検索して
みたらまさかのオリジナルだった!
神矢悠だって!全曲ダウンロード完了!
連れてた彼女の方を気にして見たりしてて
さ!めっちゃカッコよかった!
この人……推せる!!
#サプライズ
#神矢悠
#soleil
◯一つ星で有名になったソレイユで
神矢悠に会った!
前から好きなピアニストさんで、
あまりの出来事に声をかける事が
出来なかった(泣)
店のピアノで自分の曲を弾いてました(泣)
『tomorrow is another day』と、
『Meteor shower』を聞けた(泣)
彼女かな…あの人…。
#神矢悠
#ちょっと傷心
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・
――――――――――――――――――――
「うわぁ…。…マジかよ…。」
悠紫が頭を抱えている。
Xの投稿には、ピアノを弾く姿の写真まで添付しているものもあった。
「毎朝恒例の神矢悠検索をしたらこれだもの。やってくれるわね(笑)」
「でも、ピアニストのブログなんてよく辿り着きましたね。」
「ご丁寧にレストランの名前がハッシュタグでついてたからね。色々探ってたらピアニストのブログに辿りついたの(笑)」
「こんなに撮られてるとは思わなかったな。」
「私は気付いてたんだけどね(笑)」
「はぁ?早く言えよ。」
「良いじゃないの。宣伝効果抜群よ。SNSの力は侮れないわ。良い意味で広がりつつある今、この波に乗らない手は無い。杏実が回ってくれた会社からも問い合わせが来てるのよ。」
「えぇ!? やった!(笑)」
嬉しそうに笑う私を、悠紫が睨む。
お返しにニコリと笑うと、悠紫は舌打ちをして目を逸らした。
何を思っているのか、悠紫の心の中が読めなかった。
お前のせいでこうなったのに。
とでも言いたいのだろうか。
「急遽、色々と決めたからあなた達にも知らせておくわね。」
エマはそう言うと新たにA4サイズのプリントを私に手渡した。
また悠紫と覗き込む。
・
・
・ボーナストラック録音
・MV作成
・ファンクラブ発足
・全国ツアー
・CM、広告作成
・YouTubeチャンネル開設
・駅前無料ライブ
・
・
「これ意外にも何か思い付いたら言って。その都度、検討しましょう。」
「なんか、これだけ見てもすごいですよね。芸能人みたい(笑)」
「チッ。」
「『tomorrow is another day』『Meteor shower』この2曲が特にダウンロード数が伸びてる。音の違いに気付いた人が居るみたいだから、今の音で録り直ししてボーナストラックにしましょう。3日後に録音するから練習しておいてね。」
「わかりました。」
「杏実は写真に撮られてるし恋人だと認識した人が居るから、これからは裏方に徹して貰うわね。申し訳ないけど。」
「いえ。大丈夫です。すみません。」
「2人の関係だけど…これから、絶対に探られる。恋人と曖昧な表現よりは、婚約者や妻の方が良いと思うんだけど。どうかしら?」
「近いうちに入籍するつもりです。」
悠紫が即答した。
「では、聞かれたら妻と答える様にしましょう。『tomorrow is another day』のMVを作ろうと思ってる。あと何曲か作りたいわ。神田さん。」
エマが神田の方へ顔を動かした。
「うん?」
「悠くんとMVの件、決めて下さい。」
「あいよぉ。後2曲は作りたいよな。」
「お任せします。亜弥には…。」
エマは亜弥の方へ顔を向けると続けた。
「ファンクラブ発足をお願い。ホームページ作成に、ファンクラブの特典内容とか思い付く限り企画してみて。早い内に企画書を見せてね。」
「分かりました。直ぐに取り掛かります。」
亜弥はそう言うと、自分のデスクに向かった。
「最後に杏実。」
「はい。」
「駅前で無料ライブのやれそうな所を探して欲しいの。それから、全国ツアーの会場を探す事とスケジュール作成。仮押さえと見積もり書の作成をお願い。」
「はい。了解しました。」
「それと、昨日行って貰ったトゥールレコードから連絡が来てね。熱血杏実さんと一緒だったら神矢悠コーナーを作る。って言ってくれてるんだけど何なの?」
「いやぁ、ちょっと…(苦笑)」
『熱血杏実』とあだ名がつけられ呼ばれている事に苦笑いしか出来なかった。
あの片岡さんなら悪気なく面白おかしく話しただろう。
安易に想像がつく。
だけど、神矢悠コーナーを作るの言葉に心が躍る。
早く会って話がしたい。
「まぁ、いいわ。日本国内の全店舗にコーナーを作ってくれるそうだから明日行って来て。」
「はい!」
自分のデスクに座り、パソコンを立ち上げた。
ふと悠紫が気になり振り返ると、部屋を出てアクリルの壁の向こうを歩いているのが見えた。
何を考え、何をしようとしているのかは分からなかったが、放っておく事にした。
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