第38話 嘘つきな君に奏でる愛の音②
16社目は、私も
それほど大きくないテナントビルの5階にそのオフィスがある。
――トントン
「失礼します…。」
デスクに向かい仕事をする社員達は、私たちを一瞥するも立ち上がる気配がない。
この異様な状態に、悠紫と顔を見合わせた。
「あのぅ。MGAエンターテイメントから来ました…。どなたかお話しを聞いて頂けないでしょうか?」
「君達、何?」
50代であろう男性社員が立ち上がりこちらに向かう。
純和風な顔立ちとスリムな身体。
細身のスーツを着こなし左腕に大きな腕時計が見えた。
「突然の訪問で申し訳ありません。今売り出し中のピアニスト、
私がそう言うと、悠紫が頭を下げた。
「御社でうちの神矢悠を使って頂けないでしょうか。少しお時間を頂きたいのですが…。」
「あぁ、悪いけどそうゆうのやってないんだ。帰ってくれ。」
「あの!名刺だけでも、受け取って頂けませんか?」
その男性社員が背を向け自分のデスクに戻ると、2度と顔を上げる事は無かった。
他の社員も同じように無視をキメている。
悠紫と私は黙って外へ出た。
・
・
「なんなんだよ。本人が居てもダメなもんなんだな。」
「こんな会社はさ。売れてから何か言って来ても蹴飛ばしてやる!」
「そうだな!」
「次!次!」
・
・
次はDVDやCDのレンタル会社だった。
この業界でトップとは言えないが名前は知っている。
知名度はそこそこにある会社だった。
この会社は自社ビルがあり、私たちは受付に声を掛けた。
「いらっしゃいませ。」
「MGAエンターテイメントより来ました
「少々お待ち下さい。」
受付のキレイな女の子が、どこかに内線を掛けて聞いてくれていた。
悠紫と私は話す事無く待った。
「柊さま。」
「はい。」
「担当が参りますので少々お待ちください。」
「ありがとうございます!」
話を聞いてもらえる。
嬉しくて悠紫と顔を見合わせた笑った。
5分ほどして背の高い40代であろう男性社員がこちらに向かって来た。
整った顔をしているが、仕草が一々鼻につく。
一目でわかる。
完全なるナルシストだ。
「で?彼?ピアニストなの?」
「はい。神矢悠と申します。御社でどんな形でも構いません。使って頂けないでしょうか。」
「ふぅん。」
そう言うと視線を悠紫から私に移し、上から下まで舐めるように見た。
こういった男に出くわすのは、一度や二度ではなかった。
次の展開に向け身構える。
すると予想通り、私の耳に顔を近付け囁いた。
[良かったね。俺、今日空いてるよ?そうゆう事なら楽しもうよ。]
悠紫には話の内容は聞こえていない。
ただ雰囲気を察し怖い顔をしていた。
私は自分自身と、悠紫も守らねばならない。
「御社は社風がなんと言いますか、とても…古いんですね。昭和初期かと思いましたよ(笑)」
「は?(苦笑)」
「うちの神矢悠は時代の先端を行くピアニストです。御社には合わないようですね。失礼致しました。」
「何?意味わかんない(苦笑)」
「では、はっきり言って差し上げますね。私は枕営業なんてしません!!」
「ちょっ!」
慌てる社員をそのままに、悠紫の手首を掴み外へ出た。
悠紫と喧嘩をさせる訳には行かない。
早く離れる事が得策だ。
手首を掴み歩き続ける私に、悠紫は抵抗するかのように立ち止まった。
「杏実…。」
「何?ケンカとか絶対にダメだからね!?悠紫くんは笑って良い事だけ言ってれば良いんだからね!?」
「俺のために…。もう良いよ。やめて帰ろ。」
「私がやらなくても誰かはやるんだよ。エマさんなら?亜弥さんなら良いの?そうじゃ無いでしょ?」
「…………。」
「だから帰って欲しかったのに。悠紫くんはただ表舞台で笑っていれば良いの。もう帰りなよ。」
「…自分の事は、自分でやれないと。だよな。」
・
・
この後…
悠紫は、人が変わったかのように積極的に営業をした。
幸い、枕営業を持ち掛ける人間も冷たくあしらう人間にも出くわす事なく、30社を回り切る事が出来た。
事務所に戻りフロアに行くとエマが笑顔で迎えてくれた。
「お疲れ様。悠くんも一緒なんだ(笑)」
「はい。途中から一緒に行きました。」
「名刺は?何枚無くなった?」
「20枚です。」
「へぇ。やるじゃない(笑)」
「ありがとうございます。でも、悠紫くんお陰ですけどね(苦笑)」
「結果が全てだから良いのよ。」
「はい…。」
「改めて詳しく話が聞きたいと3社から連絡が来てる。杏実に任せるわね。」
「ほんとですか!?良かった…。でもあと2社…。」
「もういいわよ。杏実をチームから外すわけ無いでしょ。バカね(笑)」
悠紫がホッとした顔で笑った。
私は、ドッと疲れが出て来て椅子に倒れ込む様に座った。
「エマさん。ありがとうございました。良い経験になりました。」
「ほんと、俺も…良かったです。みんなが俺のために…。本当にありがとうございます。」
「私、営業に回りながら色々考えたんです。この仕事って凄いなって。悠紫くんと別れても辞めたく無いって思いました。」
「別れたら辞めさせるわよ。」
「えぇ?なんでぇ?(苦笑)」
エマさんが珍しく大きく笑っている。
それが嬉しかった。
悠紫との話は残っているけど、きっと辞めずに済むはずだ。
この仕事を続けたいと願う私の気持ちを、悠紫も汲んでくれるに違いない。
2人の関係がどの様に変わったとしても…。
エマさんは私たち2人に
「疲れたでしょ。」
と、すぐ帰る様に言ってくれた。
おまけの『明日の午前中休み』まで付けて…。
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――――――――――――――――――――
悠紫と一緒に会社を出て近くの公園に入った。
家に帰るまでに解決しておく方が良いと思った。
ブランコに座りゆらゆらと揺れながら悠紫が口を開く。
「今日、俺のためにありがとう。」
「ううん。」
「昨日は…ごめん。杏実、俺のこと好き?」
「……好き…、じゃない。」
「じゃあ、家…出てくの?」
「うん。」
どうして、私はこうなんだろう。
素直になろうとすると言葉が喉につかえて出て来ない。
そして反対の事を言ってしまう。
「うっ。ひっく。」
泣く位なら素直に言えば良いのに。
このままでは捨てられちゃうね…。
「
「違う!関係なんて持った事ない!」
悠紫がブランコから立ち上がり、私の手を引き立ち上がらせた。
「杏実、ごめん。」
そう言うと私を抱きしめた。
「ごめん。俺忘れてたよ。杏実の嘘は照れ隠しだって事。」
「うぅ。」
「嘘をついちゃいけない所では、ちゃんと本当の事を言ってくれてたね。」
「ひっく。」
「俺のこと好き?」
「きら、い。」
「ごめん。」
「悠紫くんなんか大っ嫌いだ!」
「ごめん。杏実、ごめん!出て行かないで。」
「私の事…、追い、出したい…のかと思った。」
「そんな訳無いだろ。次に杏実が居なくなったら生きていけないよ。」
「証明なんて出来ないんだよ?」
「もう、いい。わかってるから。」
「どこにも行きたく無い。私…家族も居ないのに。もう、ひとりぼっちは嫌だよ(泣)」
「ごめん。本当にごめん。許して。」
「許してあげない!」
「それは…、どっち?(笑)」
「こんな時に、何笑ってんだよ。」
悠紫の身体を軽く突き飛ばしてやった。
私はこんなに泣いているのに、笑える程の余裕にムカつく。
本気で怒ってはいないけど…。
「ぷはっ(笑)だって嘘つきだからどっちか分かんないんだもん(笑)」
「ムカつく…。 …ぷはっ。」
我慢が出来ず、つられて笑ってしまった。
悔しいけど、やっぱり私は
この人に弱いのだ。
「お詫びに何でも言うこと聞くよ(笑)」
「そんな事言われても直ぐに思いつかないもん。」
「じゃあ、無しでいいね。」
「はぁ?ほんとにやな奴!」
嬉しそうに笑う悠紫を見ながら、何をしてもらおうかとアレコレと考える。
「あ!」
「ん?」
「良い事思いついた!」
「何?」
「あのね……………」
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――――――――――――――――――――
「いらっしゃいませ。」
「先程お電話させて頂いた神矢です。」
「神矢さま。2名さまですね。こちらへどうぞ。」
公園で思い付いたお詫び。
それをやれるレストランをスマホを使い手分けして探してみると、近所にあった。
悠紫は直ぐに電話を掛けたが、現在19時。
予約でいっぱいと断られた。
そんなやり取りを3回繰り返し、探す範囲を広げると5つ隣の駅に一軒見つけた。
一つ星のその店にダメ元で電話をすると、キャンセルが出たからと受け入れてくれた。
ラストオーダーは20時。
電車とタクシーを使い急いだ。
「僕たち、ドレスコードは大丈夫ですか?(苦笑)」
「えぇお二人とも、とっても素敵です。」
案内係の男性がニコリと笑ってくれた。
店内は落ち着いていて、でも開放感があり明るい。
中央に置かれた白いグランドピアノが目を引く。
ドレスアップした女性ピアニストが、ゆったりとジャスを弾いていた。
私たちは嫌いな食べ物もアレルギーもない。
おまけにお酒も大好き。
おすすめだと言うコース料理と、食前酒もワインもお任せして選んで貰った。
『初めて行くよく分かんないお店は、お任せでって言えば良いのよ。良い店はそう言うと、その日に入った良いモノを出してくれるし、店主も喜ぶし一石二鳥よ。』
広告代理店にいた時の上司、早苗さんがよく言っていた事。
私はそれを真似する様にしている。
・
・
料理もワインも、お任せして大正解だった。
コース料理が終わり、残すはデザートという時さっきの案内係の男性が私たちに声を掛けた。
「今、お聞き頂いている曲がもう少しで終わります。そのタイミングでどうでしょうか?神矢さまの演奏が終わりましたらデザートをお持ち致します。それともデザートの後が宜しいですか?」
「あ、いえ。デザートの前に行きます。」
「かしこまりました。お時間にすると、どれくらいになりますか?」
「4分程の曲を2曲弾きたいんですけど、ダメですか?」
「いえ。10分無いくらいですね。もう少し長くても大丈夫ですよ?」
「いえ、2曲で(苦笑)」
「かしこまりました(笑)ピアニストが立ち上がりましたらそのままどうぞ。」
「ありがとうございます。」
案内係が女性ピアニストにアイコンタクトを送る。
ピアニストは軽く頷きニコリと笑った。
程なくして演奏が終わり客の拍手を聞いた後、優雅に立ち上がり一礼。
笑顔でピアノから離れて奥へと入って行った。
「はぁ。」
「何よ(笑)嫌なの?」
「嫌じゃ無いよ。行ってくる。」
悠紫は膝に掛けていたナプキンをテーブルに置くと立ち上がり、ピアノに向かって行った。
周りのテーブルの客たちがそれに気付き、ざわざわとする。
――サプライズ?
――ピアノ弾くの?
そんな言葉が聞こえた。
そう。
私は悠紫に、
「ピアノのあるレストランで、私の為に演奏してよ。」
と、頼んだのだ。
言われた瞬間、悠紫は絶句していたが、
「お詫びに何でもするんでしょ?」
と言うと、観念したかの様に店を探し始めた。
自分の為にピアニストが演奏してくれるなんて、嫌がる女が居るはずは無い。
私だってそりゃあ、嬉しいに決まっている。
悠紫が恥ずかしがるから、私も恥ずかしくなるだけ。
共感性羞恥心というヤツだ。
だから、もう2度と頼んだりはしないつもり。
悠紫が悪い事をしない限りは…。
悠紫には、ピアノに向かう時のスイッチがある様だ。
パチンと何かが切り替わりピアノに向かう。
左足を椅子の下に入れたいつものラフなスタイル。
何度見てもカッコいい。
呼吸を整えた後、左に顔を傾け右手を上げる。
振り落とされた指が鍵盤を踊る。
周りの客達は手も口も止めて、悠紫に釘付けになった。
一曲目は、悠紫が私の為に作ったという
『Tomorrow is another day』だった。
私には、この曲の涙腺スイッチがある。
生演奏で泣かないはずがない。
初めて聞いた時と今では音がまるで違う。
素人の私が聞いても分かるほど。
愛に溢れた音は私だけではなく、この場にいるすべての人にも届いている様に見えた。
2曲目は『Meteor shower』だった。
私たちの思い出の流星群。
降り注ぐ星が楽しく踊っている様な明るい曲。
自然と手拍子が生まれる。
悠紫は客たちを笑顔で見回しリズムに乗る。
それを見て客たちもリズムを取りながら手拍子を送る。
従業員も女性ピアニストも出て来て手拍子を送っていた。
お店の中がコンサート会場の様だった。
私はその光景に胸が熱くなった。
この先の悠紫の未来が明るく見えた。
私は彼を絶対に、有名にする。
世界に行ける様に全力を尽くすと誓った。
・
・
大きな拍手の中、悠紫がテーブルに戻ってきた。
恥ずかしそうにしている。
スイッチを切ったようだ。
「デザート食べたら直ぐに出よ。」
「恥ずかしいの?(笑)」
「一々聞くなよ…。」
不貞腐れた顔でそっぽを向く悠紫が愛おしい。
「ふふっ(笑)じゃあ、しょうがない許してあげるね(笑)」
私がそう言うと、苦笑いをしながら私の顔を見た。
すると、前かがみになり何かを言おうとしている。
私も前かがみになり、言葉を待つと
悠紫が小声で一言
「愛してるよ。」
と、言ってくれた。
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