第36話 杏実と星准の本当の関係

《悠紫side》




「はい!ゆうさん!すみません。中断します。」


音響スタッフのリーダーの沙知さちねえが、慌てた様子で演奏中の俺に声をかけた。


スタッフ達に目を向けると、エマさんが嫌な顔をして俺を見てる。



「はぁ。」



杏実との事、知ってんだな。

行くしか無い…。



録音ブースから出るとエマさんは俺を睨んだ。

心の中で舌打ちする。



「今日の録音は中止します。みんなも気付いてると思うけど、こんな音では録音しても意味は無いから。お疲れ様。今日は帰っていいわ。」



音響スタッフ達が戸惑った様子で『お疲れ様でした。』と言い合い出て行った。

スタジオにはエマさんと神田さんと俺だけ。



「神田さん。」


「ん?」


「悠くんに用があるので、仕事が残って無ければ帰ってくれて大丈夫ですよ。」


「そ?じゃあ、帰ろうかな。」


「そうして下さい。」


「りょうか〜い。お疲れぇ。」



神田さんはエマさんの行動を信頼している。

だから、何があるのかとか余計な詮索はしない。

いつ見ても良いコンビだ。



したがって、スタジオにエマさんと2人きり。

何言われんだろ。

覚悟は出来てる。




「よくこんな状態でピアノに向かえるわね。ケンカしたんだってね。」



やっぱり知ってたか。



「アルバムの真のコンセプトを分かってるの?上手く弾けば良い訳じゃ無いのよ?よくそれで録り直そうと思ったわね。ケンカの原因は何なの?」


「恥ずかしくて言えません。」


「どうせあなたが悪いんでしょ。」



チッ。

心の中でまた舌打ちをした。



「今のままじゃ録り直しなんて到底無理よ。とにかく解決しなさい。」


「はぁ。」


「謝って許して貰うのは解決じゃないわよ。あなたの事だから、ケンカの原因を解決しなきゃまた同じ事を繰り返すわよ。今日は使いものにならないんだから帰りなさい。解決するまで来なくて良いから。あ、そうそう、杏実には営業に行って貰ってるから。」


「営業!?」


「そう。神矢かみやゆうというピアニストがどんなに素晴らしいかを伝え回ってる。30社回って10社に名刺を受け取って貰い、5社から返事をもらう事。それが出来なければチームから外すわね。」


「そんな!!!」




何でそうなるんだ?

たかが喧嘩で…。



「チームから外されたくなければ、あなたの話を聞いて貰うために必死になるでしょうね。今日1日、あなたの事だけを考えていかに素晴らしいピアニストなのかを伝え回るのよ。どれくらいの成果があるかしら。楽しみね。お疲れ様。」



エマさんが振り返りスタジオの出入り口に向かった。

何やら独り言を言っている…。




「杏実に渡した会社名簿、どこに置いたっけなぁ。あぁ私のデスクの書類の山かぁ。上から回りなさいって言ってあるんだよなぁ。」



――カチャン



エマさんの机から名簿を持って行けば良いんだな。

わかったよ(笑)





――――――――――――――――――――

《エマside》


悠の担当部署のフロアでは、亜弥がデスクに向かい仕事をしていた。



「お疲れ。」


「お疲れ様です。コーヒー淹れますか?」


「うん、お願い。」





亜弥は砂糖やミルクのたっぷり入ったコーヒーをゆったりと美味しそうに飲んでいる。


アクリルの壁の向こうには忙しそうに働く社員達が沢山いる。

今日はあちらの手伝いをしてあげなきゃね。




「悠さん、確かに全然ダメでしたね。ケンカする位であんな風になっちゃうんだ(苦笑)」


「わかった?それだけ感情移入が素晴らしいって事なんだけど。些細なことも影響するから

危なっかしいのよ。世話の焼ける人達だわ。」


「ふと思ったんですけど、エマさんって悠さんへの愛情が尋常では無いですよね。」


「そうね。愛してるわよ。」


「杏実さんに嫉妬しないんですか?」


「何言ってんの?恋愛感情な訳ないでしょ。あなたとは違うのよ。」


「なーんだ。恋愛感情じゃないんだ。」


「恋愛感情より大きなものよ。菅屋すがや悠紫ゆうしという人間と、彼の音楽を信じて愛してるの。だから悠くんの大切なモノは、私も大切にしてあげたいのよ。親の気持ちに、近いかもしれないわね。」




――――――――――――――――――――

《悠紫side》


とりあえず駅に来たものの…。

今、どのあたりを巡ってんだろ。



リストを眺めても、一社にかける時間がわからない。


今会ってもどうしようも無いし…。

エマさんが言うように、まずは喧嘩の原因を解決しなきゃか…。

杏実がダメなら…あの人だな。




通い慣れた道。

星准せいじゅんさんの楽器店『SJ楽器』に向かった。

根本的解決はこれしか無い。


杏実は…



嘘つきだから。







――カランコロンカラン♪




「いらっしゃいませぇ。」


親父の連れてきた女性従業員が俺の顔を見て笑顔になった。

その女性従業員が口を開こうとした時、横から


「悠紫くん!」


と、男性の声がした。

良かった、配達中では無かった。




「おはようございます。」


「おう、いらっしゃい。1人?」


「はい。話があって…。時間ありませんか?」


「そうか。わかった。 ちょっと出るね。」



星准さんが女性従業員に声を掛けると、その人が


「うん。いってらっしゃい。」


と、ニコリと笑う。


ふ〜ん。そういう事か。





星准さんが自販機でコーヒーを買ってくれた。

星准さんと杏実が、前に遊んでいた公園のベンチに座る。




「もしかして星准さんの彼女って、さっきの人だったりしますか?」


「なんだ、わかった?(笑)」


「はい。雰囲気で(笑)」


「へぇ(笑) で? 何かあったの?」



そう言うと、コーヒーを一口飲んで俺を見た。




「あの…。どうしても知りたいことがあって。失礼なのは分かってます。だけど教えて頂きたいんです…。」







星准さんは俺の疑念を黙って聞いていた。

表情は固く怒っている様にも見える。

真実を知るよりも、怒ってしまって教えてくれない事の方が怖い。



頼む。

教えてくれ…。





「そうだよな。その通り。好きな女に手を出さない男なんて居るわけないよな。」



やっぱり…。



「何度か迫った事はあるよ。既成事実を作ってしまえば、付き合えるかもしれないと思ったし。」


「………。」


「単純に、好きな女とはやりたいよな。」


「………。」


「いつも上手く逃げられてたんだけど。やっぱり俺にも、我慢の限界が来たんだ…。」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《星准side》


【2年前】




毎日、杏実と一緒にいるのは楽しい。

泣いたり笑ったり忙しい所も、小さな仕草も可愛い。

時々触ったりしてちょっかいを出してるのに、まるで気にして無い。

年下の男の子が戯れているかの様にあしらう。


理性と本能の間をグラグラと綱渡りしてるみたいな状態が、自分でもちょっと恐ろしかった。

何かの拍子でどうなるかわからない、そんな危うい頃だった。



うちの店の近くに楽器教室を作るとかで、そこの若い社長が挨拶をしに来店してくれた。

話しが盛り上がり、楽器を全部うちで揃えると言う。

契約書まで書いてくれた。

かなりの売り上げだった。

杏実と俺は大口の契約に浮かれてた。



どこかへ行こうかとも思ったけど2人きりになりたくて…。

コンビニで缶ビールや食べ物を沢山買って、店のバックルームで細やかなお祝いをした。


バックルームの小上がりに折り畳みテーブルを置いてビールや食べ物を所狭しと並べた。

俺の家では無く職場というのもあって、杏実はどこか無防備に見えた。




「飲み過ぎたかな…。ちょっと暑いね。」



そう言ってブラウスのボタンを一つ外したのを見て我慢が出来なくなった…。




――ガタンッ



酒の力も借りて気が大きくなったのか、思わず押し倒していた。




「何!?やめて!」


「俺の気持ちわかってんだろ!?」


「お願いだから…やめて。」


「もう、無理なんだよ!頼むよ。」



キスをしようとしたら暴れて拒否された。



「やめてってば!!」


「杏実!」




逃げ惑っていた杏実が、抵抗をやめた。

表情は固かったけど、やっと受け入れてくれるのかと思って嬉しかった。

改めてゆっくりとキスをしようと顔を近付けた時、杏実が口を開いた。




「あのさ…。」


「ん?何?」


「そんなにやりたいなら、やらせてあげても良いけどさ。」


「バカなのか?ただやりたいだけじゃ無いんだよ。」


「だけどね…。私はずっとあの人が好きなの…。昨日別れたみたいにずっと忘れられない。目を閉じたらあの人が出て来るの。」


「………。」


「ずっと目を閉じてるけどいい?」


「………。」


「あの人とやってるって妄想してるね。」


「な…。」


「星准の事、あの人の名前で呼ぶけど良い?ならいいよ。やらせてあげる。」


「は?」


「明日、消えて居なくなるけど…それで良いなら、最後にやらせてあげるよ…。」



心が…



完全に、萎えてしまった。

なんて選択を迫るんだよ…。



ズルい女だな…。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【現在】



「ひどいなぁ。悠紫くん。思い出させないでよ(苦笑)俺、違う男の名前で呼ばれて興奮する様な趣味持ってねぇし。あん時はマジで萎えたわ(笑)」


「………。」


「やったら付き合えると思ったのに、消えるってさ(苦笑)アイツはそうゆう女なんだよ。よくよく考えると、そうゆう性格でしょ?杏実って。」


「………。」


「だからさっ。そこを疑ってやるのは可哀想だよ。ショックだったと思うよ。」


「そうですよね…。でも…そんな事があったのに何でずっと一緒に居たんですかね(苦笑)」


「見つけて欲しかったんだと思う。」


「え?」


「杏実の忘れられない男が、悠紫くんだったって知った時にわかったんだ。杏実は悠紫くんに見つけて貰うのを待ってたんだよ。」


「待ってた?」


「俺の店、希少なグランドピアノがあるだろ?」


「はい。」


「杏実、弾けないくせによく触ってたんだ。人差し指だけで音鳴らしててさ(笑)最初は適当に鳴らしてるのかと思ってたんだけど。」


「はい。」


「何回も聞いてるうちにメロディになってる事に気付いたんだ。でも何の曲か分からなくてね。杏実が辞めてから分かったんだよ。」


「何だったんですか?」


「悠紫くんのCDを聞かせて貰ったんだけど、アルバムに入ってる『Tomorrow is another day』って曲だったよ。」


「!?」


「杏実のお気に入りだったのかな(笑)」


「その曲は…。知り合って直ぐに杏実に作った曲なんです。疲れてる杏実を癒したくて作った曲…。」


「そうか…。杏実にとって…特別な曲だったんだ…。」


「俺にとっても特別な曲です。」


「じゃあ、おまじないだったのかもしれないね(笑)悠紫くんが私を見つけてくれますようにって、ピアノにおまじないを掛けてたのかもな(笑)」


「星准さん…どうしよう。俺、杏実にひどい事を…。」


「そうだね(苦笑)アイツ頑固だから家を出るって決めたらまずいんじゃ無い?」





星准さんにその場で別れを告げると、俺の手から缶コーヒーを取り


「早く行ってやれ(笑)」


と、笑ってくれた。



星准さんは、男の俺から見てもイイ男だから嫌なんだよ!

そんな事を思いながら駅まで走った。



俺の勘が働けば…。

杏実が別れたく無いと思っていてくれたら…。


杏実のかけたおまじないの効力が、まだ残っている事を祈りながら


杏実の気配を辿った。

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