第二章・大きな夢に向かって

第29話 それぞれの第二章

――チュンチュン

――チチッ





――ブブッブブッブブッブブッ



(は!)



――ブブッブブッブブッブブッ



(やばいやばい!起きちゃう!)



スマホのアラームを止め悠紫ゆうしを見た。

まだ寝ている様だ。


(よし。)



悠紫を起こさない様に、そっとベッドから降り部屋を出る。

私は毎朝、朝ご飯を作り化粧をする為に悠紫が起きる1時間前に起きている。




あの一件から、早いもので


 



―― 半年が過ぎた。









「おはよ。」


「おはよー。朝ご飯出来てる。」


「うん。ありがと。」



悠紫は伸ばしっぱなしにしている髪を、黒いゴムでハーフアップに結びながらキッチンに入って行った。


肩まで伸びた髪も結ぶ仕草も

艶っぽくてカッコいい。


コーヒーを飲みながら出てくるまでを眺めるのが至福の日課。



「今日もありがとうございます。福眼です。」


「それは何よりです(笑)」


「ふふっ(笑)」




今は割と、自分の気持ちを素直に言えている方だと思う。

照れて目を合わせない悠紫が愛おしい。






「じゃ、先行くね。」


「うん、後でね。」







今も変わらず悠紫に見送って貰って職場に向かう。


でもそこは星准せいじゅんのお店では無い。




エリカが今更、何かをするとは考えられないが

普通の感覚を持っている人間では無い。

誰もが…星准でさえも、辞めた方が良いと口を揃えて言った。


SUGAYA自動車本社での話し合いの2日後、悠紫の父親が私の代わりに働いてくれる人を見つけて連れて来てくれた。

星准よりも歳下のその女性は可愛らしくてとっても感じの良い人だった。


星准は直ぐに求人を出したが、条件に合う人がなかなか見つからず、見かねたその女性が


「ここでずっと働らかせて下さい。無理に求人を出さなくても大丈夫ですよ。」


と言ってくれたらしい。

よく働いてくれると星准は喜んでいる。



部屋も、心機一転引っ越そう!

かと、思ったが

新しい職場まで自転車で10分という立地の良さや、部屋の広さなどから保留になった。




――――――――――――――――――――



――ピロン♪


「おはようございます!」


「あぁ、おはようございます。今日も元気だねぇ(笑)」


「それしか取り柄がありませんからぁ(笑)」


「あはは。杏実あみちゃんは明るくて良いねぇ(笑)」



新しい職場は、社員証をかざして入る仕組みのセキュリティーゲートがある。

そこにいる守衛のおじさんの1人と仲良くなってタイミングよく会えば会話をしている。


この職場に通勤する様になって4ヶ月。


入社して直ぐの頃は社員証を忘れて取りに帰ったりした。

最初は笑ってくれた悠紫も、3度目には笑ってくれなくなった…。

今では持っているかどうか、家を出る前に確認する習慣が付いている。





15階建てビルの6階。

そこに私の席がある。

その部署では私が1番下っ端。

誰よりも早く入り、机の上や周辺の掃除をしたりしてみんなの出勤を待っている。





「ふぁあ、おはよ。」


「おはようございます。また飲み会だったんですか?(笑)」


「お酒が美味しい季節になって来たじゃない?しょうがないわよね。」


「夏も言ってましたよ。ビールが美味しい季節だって(笑)」


「そうだっけ。ふぁあ。」



眠たそうにあくびをする姿も色っぽくてドキドキする。

私の上司…、ここでは上司という呼び方はちょっと違う。

私の所属する部署の最高責任者。

フランスと日本のハーフで、誰もがニ度見し振り返るほどの美人だ。

名前は、矢沢やざわエマ。

みんなからエマさんと呼ばれている。




「杏実も飲みに行こうよ。話し聞きたいわ。」


「いいですよ?(笑)じゃ、近いうちに。」


「そうしましょ(笑)さてと、会議室でお待ちしますか。」


「はい。直ぐに準備します。」







会議室に入ると私はコーヒーの準備をする。

トラブルがなければ、もうまもなく会議室に2人の男性が入ってくるはずだ。




――トントン


「はい!」


――ガチャ


「おはようございます!」


今日も時間通りに到着。



誰もがイメージする業界人そのままの雰囲気の神田かんだすすむが「おはよう。」と先に入り、その後を

「おはようございます。」

と、悠紫が入ってくる。




ここでは菅屋すがや悠紫ゆうしではなく神矢かみやゆうと呼ばれている。



そう今、私は

悠紫の所属する芸能事務所で、神矢悠の担当部署の一員になって働いている。

悠紫の芸名『神矢悠』の神矢は、神田さんの神と矢沢さんの矢を組み合わせたものだ。

この2人が悠紫をピアニストにしてくれた。


神田さんは「40代だよ。」と言うだけで年齢を教えてくれない。

見た感じ40代後半。

この業界が長く、昔は結構遊んでいたと噂に聞く。

いつも悠紫を家まで迎えに行き、連れて来てくれている。





「コーヒー淹れますね。」


「私、濃いのにして。眠気が取れないわ。」


「了解です。」





私は神矢悠のマネージャーとしてのスケジュール管理や、やれる事の全ての事をやらせて貰っている。


この事務所はアイドルや歌手を手掛ける事務所で、ピアニストの様な音楽家をデビューさせる部署がなかった。

でも、エマが悠紫のピアノに惚れ込み部署を作りデビューさせた。

新しい部署という事もあり、会社は人員を割いてくれないそうだ。

そのせいで、神矢悠を担当する社員が少ない。

人員が足りない事もあり私を引き抜きたかったようだ。

2枚目のアルバムをヒットさせて悠紫の名前を日本中に轟かせてやる。

この事務所にギャフンと言わせてやる。

私は密かに大きな野望を抱いている。




コーヒーを配り、私が席に着くのを合図に

エマが話し始める。



「さ、始めましょうか。悠くん、今日レコーディングは終わりそう?」


「そのつもりではいます。急に変えたくならなきゃいいんだけど。」


「スケジュール的にはまだ少し余裕があるから好きにやってくれて良いわよ。」


「杏実ちゃんスケジュール教えて。」


神田さんがニコリと笑う。


「今日は特にはありません。音楽雑誌のインタビュー依頼が13件ありますが、レコーディングが終わってからで良いと仰ってくれています。」


「じゃあ、今日はレコーディングだけで良いね。」


「はい。」


「そうか。ありがと。」

 


「悠くん、今日は一日スタジオの予定で良いのかしら?」


「そうですね。」


「じゃ、杏実お昼ご飯の発注をお願い。」


「はい。了解致しました。悠さん、何かリクエストありますか?」


「いえ、特には。お任せします。」


「かしこましました。」


「じゃあ、僕スタジオに行きます。」




神田と悠はスタジオに向かった。

エマは会議室に残りコーヒーのお代わり。




「今日、レコーディング終わるかしらねぇ。今の曲こだわってるみたいよね。」


「そうですね。こだわってますね。」


「なんで?」


「なんでってなんですか?(笑)」


「家で話したりしないの?聞いてない?」



この事務所でエマだけが悠紫と私の関係を知っている。

彼女が、私を4ヶ月前に事務所に入れてくれた。

エマは私の一つ年下で、歳が近いこともあり仲良くしてくれている。




「家では仕事の話ししないんですよね。元々そんなに話す人じゃ無いし。」


「ふ〜ん。そうなんだ。」


「それに、家で仕事の話しをしちゃうと事務所と変わらなくなっちゃうから、可哀想だなぁって思ったりするんですよね。」


「なるほどね。ところで最近、亜弥あやの風当たり強く無い?そんな事ない?」


「そうなんですよ。何なんでしょうね。」


「あの子、悠くんの事好きなんだと思うの。」


「だからって何で私にキツイんですか?」


「あなた達、バレない様にしてるけど時々おい!おい!って時あるわよ。」


「え?バレてますか?」


「バレては無いけど、仲良く見える。」


「うわぁ。気を付けないとですね(汗)」


「入社して直ぐなのに自分より仲良くしてるのが目障りなんでしょ。大丈夫?」


「悠くんのこと、話すわけにはいかないですからね。まあ、鬱陶しい時もありますけど、それ以外は全く問題ないので大丈夫ですよ。」


「アーティストを恋愛対象として見る事自体許されないのに、仲が良いからといってキツく当たるなんて最低よね。どこかで釘を刺しておかなくちゃ。私も気にして見ておくけど悪質になって来たら教えてちょうだい。」


「分かりました。ありがとうございます。」


「さ、私たちもスタジオに行きましょう。」





スタジオに入ると音響スタッフが真剣な顔で録音ブースを見ている。

ピアノの音に集中してみる。


調子は良さそうだ。




「あれぇ?まだ辞めてないんですかぁ?」



大学卒業後、新卒で入社し今年で5年目の谷崎たにざき亜弥あやが、私の顔を睨みながら近付いて来た。


私は、新しい環境でも

なかなか厄介な状態に、置かれている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る