第20話 解かれた手

「ただいまぁ。」


「おかえり。」


「何してたの?」


「寝室にある美術書とか読ませて貰ってた。良い物ばっかりだね!」


「お。流石だね。分かるんだ(笑)」


「当たり前じゃん。ちっ(笑)」



悠紫ゆうしにいきなり抱きしめられた。


「どうしたの?」


「俺の匂いってどんな匂いなの?」


「お酒の匂い。」


「違う!(笑)」



悠紫が離れて笑った。


「どうゆう事?」


「去年末に星准せいじゅんさんに匂いが違う!って言ったんだって?」


「あぁ。口止めする相手間違えた。」


「男2人のサシ飲みだなんだよ?しかも同じ人が好きなのにさ。口止めされようが話すよ。」


「ふ〜ん。」


「で?どんな匂いなの?」


「白い肌と同じ、お砂糖みたいな甘い匂い。」


「くだらねぇ。」


「こうゆう事言われるの嫌なの?(笑)だけどホントだよ?」


「去年の年末、その時にひどく泣いてたって聞いたよ。何があったの?」


「その時は…」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《去年の年末》



明日からお正月休みに入るため、お店には年末の挨拶を兼ねて沢山のお客様が来てくれた。

その中にピアノをやっている常連の女子高生が居た。


その子はとても可愛らしい子でいつも会話をしてくれる。

その日のその子は、全身から嬉しい気持ちが溢れていて声を掛けて欲しそうにしていた。



「どうしたの?何か良い事あったの?(笑)」


「わかりますかぁ〜。ふふふっ(笑)」


「わかりやすいよ?(笑)」


「聞いて下さいよぉ。あのね!私、神矢悠かみやゆうっていうピアニストのファンなんですけど知ってますか?」



笑っている顔が引きつってしまった様な気がする。

慌てて表情を作り直した。

後から冷静になって考えると嘘なんてつく必要なんて無かったのに

咄嗟に、知らないと嘘をついてしまった。



「すっっごくカッコよくて、ピアノも素敵なんですよ!でね!ファンレターを書いたらね!返事が来たのぉ!」


「そ、そうなんだ。それは、良かったね…。」


「お姉さん!見て下さい!」



そう言うと、その子はカバンからファイルを取り出し、1枚のポストカードを抜き取り差し出した。


出す手が震えてしまった。

手に取るとそのポストカードは分厚くしっかりした作りで、お金が掛かっている事が分かる。

悠紫は事務所で力を入れて貰っている。

ポストカード1枚で、悠紫の待遇の良さが見えた。


片面いっぱいに悠紫の上半身の写真が使われている。

そこに手書きのメッセージ。

悠紫の字に間違いなかった。


――――――――――――――――――――

聴いてくれてありがとう。

これからも応援宜しくお願いします!

                神矢悠

――――――――――――――――――――



「すごいでしょ!?一生の宝物!!」


「良かったね…。」


ポストカードを返すと、その子は悠紫の写真を見て嬉しそうに笑いファイルに仕舞った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《現在》



「ファンレターを出せない自分と、嬉しそうな女の子が違い過ぎてさ…。自分だけ置いて悠紫くんがどんどん知らない世界へ進んで行ってるって。嬉しくもあり悲しくもあり…私を忘れていくんだろうなぁって。単純にその子が羨ましかったのかもしれないね。」


「杏実の3年間には、俺が沢山居るんだね。」


「そうだよ。だって...こんなに人を好きになるなんて初めてなんだから。忘れ方なんか分からないよ…。」


「星准さんの気持ちに気付かないフリをしてたのはどうしてなの?好きだって事はわかってたんだろ?」


「星准の気持ちを受け取ったら、好きになってしまうかもしれないと思ったから。」


悠紫の表情が曇っていく。

だけど、話し続けた。


「もう、悠紫くんとは会わないって決めてたから、毎日寂しかった…。人にすがりたい夜もあったよ。側にずっと星准がいてさ…星准を好きになれば楽になるのは分かってた。でも悠紫くんを消せなかった。もう少し長かったらどうなってたかな。」


「星准さんと付き合ってた?」


「多分ね。そんな顔しないでよ(苦笑)例え話なんだから。」


「星准さん、良い人だって分かるから…。ちょっとヤキモチ…。」


「星准の事はこの先も好きにならないから安心してよ。」


「はぁ。わかった。」




――――――――――――――――――――

翌朝

ベッドをそっと抜け出し朝食を作っていると、悠紫が起きてきた。



「おはよう。」


「おはよ。うるさかった?ごめんね。」


「ううん。俺さ、今日からちょっとやる事いっぱいで忙しくするけど心配しないで。」


「最近学校も行けてなかったもんね。」


「連絡はするから。」


「うん、わかった。」



悠紫が片付けを引き受けてくれた。

行って来ますのハグをして家を出た。



――――――――――――――――――――


通勤中の電車の中で考えた。

どんな顔をして会うのが正解なのだろうか。

この3年の事を思い起こすといつも星准がいた。

ブレずに真っ直ぐ悠紫を好きな姿勢は貫き通していたが、それでも申し訳ない気持ちが湧いてくる。

感謝もしている。

今日は、星准を思って泣いてしまうかもしれない。




店の裏口が既に開いていた。

早めに家を出たのに、もうすでに星准が来ていた。



「おはよ。」


「うん、おはよ。」


私と目を合わせない様にしている。

今までそんな事は一度も無かった。


「あの…あれだな。悠紫くん、良いやつだな。カッコいいし。」


「星准…。ありがとね。」



星准の横顔を見ながら泣きそうになった。


やっと星准と目が合った。



「何がだよ。」


「色々と、だよ。」


「色々じゃ分かんないだろ。一つずつ言ってけ!」


「やだよ!」


「はぁ?(笑)逃げられるとでも思ってんのか!甘いんだよ!(笑)ほら!1個目は何だ?」


「えぇ?(苦笑)う〜ん。拾ってくれてありがと。」


「はい、次は?」


「働かせてくれてありがと。」


「うん、で?」


「悠紫くんに優しくしてくれてありがと。」


「うん…。」


「いつも、側にいてくれてありがと…。」


「……………。」


「気付かないフリしてごめんなさい。それから…、私を好きになってくれてありがとう。ごめんなさい。」



我慢しきれず泣いてしまった。



星准に抱きしめられた。


「ごめん。ごめん。頼むから拒否しないでくれ。しばらくこのままでいさせてくれ。頼む…。」


「星准…。ごめんなさい(泣)」


「振ったお前が泣くなよ。ずるいな。」


「ごめんなさいっ。ごめん…(泣)」


「お前が好きだよ。」


「うっうっ(泣)」


「だけど、手を離してやる。ありがとう。…今まで楽しかった。」


「私も…。楽しかったよ…。感謝して...もしたり無い...くっ、くらい感謝...してる(泣)」


「杏実、好きだよ…大好きだよ…(泣)」


「ごめんなさい(泣)ううっ。」


「くそっ。泣くつもりなんて無かったのに。」



苦しい位にキツく抱きしめられた。


「ごめん。…好きだから、手を離すんだ。それだけは忘れないでいてくれ。お前を不幸にしたくない。」


「わかった…。ありがとう。」


「よし。気持ち、入れ替えるよ。杏実から離れたら気持ち入れ替える。」


そう言うと、ゆっくりと力を抜き、離れて行った。


「これからも店長として、この店のこと宜しく頼んだよ。」


「はい。宜しくお願いします。」


「今度からは、泣いたりして業務に支障をきたす様なことがあったら給料減らすからな。」


「もう、多分無いはず(苦笑)」


「もう泣く必要が無いってか!くっそ〜!!(笑)」


「ふっ(笑)」

「はっ(笑)」



―あははは!



2人で笑った。


やっぱり…星准はよく笑う人。


えくぼの可愛い、笑顔の似合う人だ。

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