第19話 宝物の返還

「はい分かりました。」


悠紫ゆうしがスマホを耳から離すと私に差し出した。


星准せいじゅんさんが代わって。」


すぐに代わると星准が早口で話し出した。

動揺している様だった。



「お前、あの女教師がそいつだって知ってたのか?」


「知らない。いま一緒に知ったんだよ。配達はさ、星准が行ってくれるでしょ?」


「それしかないだろ。」


「じゃあ、大丈夫だよ。逆に居場所が分かって良かったよ。いつ会っても良い様に警戒はしておくからさ。店に来た時が怖いけどね。」


「カウンターからバックルームに逃げたり出来るし、明日また考えよう。じゃあ、悠紫くんに代わってくれ。」


「うん。じゃあね。」


悠紫にスマホを返した。


「代わってって。」


「はい。代わりました。 特には無いですけど…。良いですよ。行きます。あ、でも今千葉に居て2時間位あとになるかもしれません。 はい、では後ほど。」


悠紫はスマホをタップしてポケットにしまった。


「今夜2人で飲みに行こうって誘われた。」


「うぇえ?なんで2人なんだよ(苦笑)余計な話ししないでね?」


「どうかな?」


「はぁ。不安だ。」


「帰ろ。」


もうすっかり暗くなってしまった実験場を後にした。




――――――――――――――――――――

《悠紫side》


横浜で飲む事になった。

静かに飲めるという店の地図が送られて来た。

駅のすぐ側だった。



「お疲れ。」


「お疲れ様です。」


ビールのグラスを軽く合わせる。

ここに杏実が居ないのは少し違和感があった。



「今日知ったんだけどさ、悠紫くん神矢悠かみやゆうっていうピアニストだったんだね。なのに大学院に戻ってんの?」


この人の口から神矢悠の名前を聞くとは思って無かったな…。



「そうなんです。あと1年あって。中退はしたく無いので。修士論文を作って通れば卒業が決まって世界デビューに向けて専念出来るんですが…。」


「世界デビュー!?そんなとこまで行ってんだ!?すごいね!(笑)」


「でも、杏実と再会してから色んな事があり過ぎて時間が無くて…。少し焦ってます。」


「アルバイトは…また新しい人を募集するから今日で退職って事にしようね。」


「あの…。すみません。ありがとうございました。あの店で働けた事は、僕にとって…貴重な体験でした。」


「こちらこそ、助かったよ。ピアニストを働かせちゃったなんて俺も貴重な体験をしたよ。あははは!(笑)さ、食べてよ。」


「ありがとうございます。」


「で、世界デビューは決まってるの?」


「まだ、具体的には決まってません。2枚目のアルバムを出してツアーが成功したら本格的に動けるって感じです。」


「絶対にデビューしてよ。俺色んな人に自慢するからさ(笑)アイツ、凄い喜んでるだろ?」


「まだ何も知りません。」


「え?なんで?(苦笑)」


「あの人...それを知ったら『迷惑になる』だの『私が居ない方が』だの言いそうで。そんな事ないよとかってなだめるの面倒なんで、しばらくは内緒にします。」


「あははは!確かに!やっぱり不動産屋紹介して!とかって言って来そうだね(笑)」


「ですよね(笑)」


2人で杏実の複雑な表情を想像して笑った。



「悠紫くんの笑うとこ初めて見たな(笑)」


「そうでしたっけ…(苦笑)」


「うん。…俺は、アイツの3年間を知ってる。俺はアイツの、生き証人だから。悠紫くんに3年間の話をしてあげようと思ってね。呼んだんだ。」


「はい、それを聞きに来ました。」


「そうか。」


星准さんはビールを飲み干すと、ビールを2杯注文した。


「俺は、アイツが好きだったけど…、アイツは一度も俺を好きになってはくれなかった...。一途に悠紫くんだけだったよ。」


店員がビールをテーブルに置き、空のグラスを回収して戻って行った。

星准さんがまた話し始めた。



「拾って宝物にしてたけど、悠紫くんに返すよ。とは言っても、俺のモノにはなって無いんだけどさ(笑)」


「今まで大切に守ってくれて…ありがとうございました。」


「俺にも3年間はあった訳でさ。その3年間、アイツでいっぱいなんだ。だけど、去年の年末に、もう絶対にダメだなって思ってからは側に居られたら良いやって切り替えたし、これで完全に諦める事にするよ。」


星准さんがため息をいて、おかわりのビールに口をつけた。

何を言えば良いかわからない。

だから、俺も飲んだ。


「だけど、まだ好きな気持ちは残ってるかもしれない。そんな俺の所で働かせてて大丈夫?」


「あの…大丈夫です。俺たちはもう、そんなとこに居ないので。」


「やられたぁ!(笑)くっそー(笑)まぁ、そうだよな。3年間お互いに気持ちが変わってないんだもんな!潔く諦めるよ。」


「なんて言って良いのか…。」


「いやいや、気にしなくて良いよ(笑)付け入る隙がなくて逆に良かったよ。」


「あの...去年の年末って、何があったんですか?」


「あぁ、大変だったよ…アイツなんの脈絡もなく突然、発作みたいに泣く時があってさ。出会った頃はしょっちゅうあって…。後で聞いたら初めて出会った日だの、告白された日だの言ってたんだけど。あの日は…」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《星准side》



《去年の年末》





明日からお正月休みに入る。

いつもよりも入念に掃除をしている時だった。


この後、杏実を飯でも誘おうかなとか

正月に初詣に誘おうかなとか呑気に考えていた。




「うっ、うっ、ううっあぁぁ、ひっ...」


振り返ると、杏実が雑巾を握り締めながら床に座り込んで泣いていた。

今までで1番ひどい泣き方をしてた。

呼吸困難で倒れそうな位に。



「どうしたんだ?」

「何があった?」

「どっか痛いのか?」



何を聞いてもダメだった。

質問が耳に入っているのかも分からない程に手が付けられない状態だった。



だから思わず…。



抱きしめた。




「や、めて…。うぅ。」


「何があったんだよ。今日の泣き方、変だぞ。落ち着け!!」


「やめて…。」


「ダメだ…。もう良い加減、忘れろ!」


「やめて…。ひっく。離してっ。違う…。」


「違う?何が違うんだよ。」


「やめて…違う!離して!」


「何が違うんだよ!」


「あの人と、違う…。匂いが…違う。」



杏実を思わず離してしまった。



匂いが違う?

匂いを覚えているのか。

そいつの匂いと比べて、違うから離せと言っている。

それほどまでに、まだ…。


完敗だ。


違うだろ(笑)

同じ土俵にすら上がってねぇよ。


もう、いっか?

疲れたよな?

女は沢山いるよ。


杏実は1人しかいない…。


考えるな。

もう、やめよう…。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《現在》



「匂い…ですか?」


「うん...そんな事言われたらさ、もうお手上げ(苦笑)結局理由もわからないし。どうしようもないから、もういいかなぁって(笑)」


無理して笑っている。

分かる。


まだ、この人は杏実が好きだ。



「幸せにしてやってくれ。」


「ありがとうございます。」


「今日は音楽の話もしようよ!ピアニストさんの話聞きたいよ(笑)」


「僕なんて、まだまだこれからですから。」


「何言ってんだよ。デビューするだけでも凄いんだからさ(笑)」



ほとんど音楽の話ししかしなかった。

それなりに楽しかった。

2時間ほど飲んで、杏実の待つ家に帰った。

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