第11話 悠紫と杏実の新生活

『杏実さん…』


『大好きだよ。』


『ずっと僕の側にいてね。』


『愛してる。』



(私もだよ…)



“彼” の顔が曇って行く…



(ねぇ、やだよ。)



『やっぱり違うな…。』


(待って!お願い!)


『好きだと思ってたんだけどな。』


(待って!お願い!行かないで!)



『俺を捨てた罰だよ。』





「はっ!」



いつも見ていた夢。


慌てて悠紫がいる事を確認した。


確認するまでもなく、私の右手や右足に悠紫の身体の感触がある。

私の持って来たシングルベッドで、そのまま寝た記憶もある。

だけど、視認せずにはいられなかった。



叫び声は……あげなかった…みたい。

でも涙が出ていて、呼吸が乱れている。

心臓の動きも早い。


(良かった…。でも、何で、この夢?)



私の隣で悠紫は、スヤスヤと眠っている。

寝顔を見ながら涙を拭いた。



それにしても

なんて美しいんだろう。



悠紫の顔の左側、小鼻と頬に小さなホクロが斜めに並んでいる。

至近距離で見ていると、触りたくなってしまった。

そっと身体をうつ伏せに回転させて、上半身を起こした。

左手の人差し指でちょっとだけ、頬のホクロに触れてみた。


(へへ(笑)起きない。じゃ…)


悠紫の左の頬に、軽くキスをした。



(!!!!)


目が合ってしまった…。



「いま、何したんだよ?(笑)」


「何もしてないしっ。」


「はぁ?(笑)キスしたろ?」


「夢でも見たんじゃない?」


「あっそ(笑)」



悠紫はまた目を瞑り、頭の上に腕を伸ばし手だけでスマホを探した。

見つけるとロック画面を見た。


「7時16分?早くない?(苦笑)」


「起きちゃったの。」


「コーヒー飲む?」


「うん。」



下着1枚で寝ていた悠紫は、Tシャツを着ながら部屋を出てキッチンに立つと、慣れた手つきでコーヒーメーカーにお水とコーヒーの粉をセットした。


私はタンスからロングTシャツを1枚出し、それだけを着て部屋を出た。

食器棚の前で悠紫に声をかけた。


「カップはここからでいい?」


「うん。」


「このマグカップ可愛い…マイセンじゃん!」


「食器は全部貰い物。」


「これ?全部?こんな高い食器なんか貰うんだ?」


「親が貰ったやつ。使わないらしいから。」


「あぁ。そうゆう事?他のも良さそうなのばっかりだね。」





ガラステーブルに、マグカップを置くと床に座った。

フカフカのラグマットが、素足に気持ちいい。

遅れて悠紫も床に座った。

90度法で座っているせいで、ガラステーブルの下で足が触れ合っている。



「このコーヒー美味しい。」


「だろ?(笑)スーパーをもう少し行った所にコーヒー豆の店があるんだ。試飲も出来るし豆が無くなったら一緒に行こ。」


「うん。」


静かに微笑み合った。




テレビも付けず、だからと言って話す訳でもなく…。

コーヒーを飲む音と、ガラステーブルにマグカップを置く音が、静かな部屋に響く。


まだ眠そうな悠紫が、目を細めて右手を床につきながらコーヒーを飲んでいる。

悠紫の右腕が私の太ももや左腕に当たっている。

悠紫は元々、パッチリしたお目々では無いけれど、それでも細過ぎる目に笑ってしまった。



「ははっ(笑)ね。目開いてる?(笑)」


「開いてるけど?」


無理やり目をこじ開けて、両目にクッキリ二重を作った。


「あはは(笑)」


「何笑ってんの?失礼だな。(笑)」


「やめてよ(笑)面白すぎる。」


「はあ?(笑)」


「ふふっ。コーヒーお代わり、入れてこようか?」


「ううん、それは後で…。」


悠紫は身体を起こし、ガラステーブルを押して退かすと、私に身体を密着させキスをした。


悠紫の右手が私の頬を撫でる。

幸福感にうっとりしていると、悠紫はおもむろに立ち上がり、私の手を引っ張った。

望み通り立つと、そのまま腕を引きながら防音室の隣の部屋の前に、連れて来て扉を開けた。

悠紫が明かりを点け私を中に入れた。


そこは悠紫の寝室だった。

カーテンも机も本棚も、全て黒で統一されている。

ダブルベッドのシーツやカバーも黒。


観葉植物の緑と、ノートパソコンやライトの銀色、カラフルな背表紙の音楽関連や美術関連の本のおかげで洗練された都会のおしゃれな男性の部屋を醸し出している。


暗黒と色彩の絶妙なバランス。


関心していると、悠紫はベッドに入るよう促した。



「わぁ。フカフカだぁ(笑)」


「杏実のベッド固いよ(苦笑)今夜からここで寝な?」


「良いの?」


「うん…。」



ゆっくりと演奏の様なキスが始まった。

その後は、身体の反応に従うだけ。

もう泣く事は無かった。


ただひたすら、性的快感の波に身を任せた。



「ヤバいヤバいっ。」



時間に余裕があると思って、終わってからもイチャイチャしてたら急がないといけない時間になっていた。


慌てて服を着て、慌てて化粧をする。

これくらいの事は、広告代理店で働いていた時に身についている。


私は朝食をちゃんととるタイプだ。

昨日の夕食で残ったバケットとコーヒーで朝食をとり、家を出る準備をした。



「悠紫くん、今日のスケジュールは?」


「今日は午後から大学に行く。」


「あのさ、理由は聞かないで私の言う事聞いてね。」


「あ? うん。」


「もし、エリカちゃんに会っても私と再会したことを絶対に言わないで。バレない様に気をつけてね。」


「…うん。」


「それと、エリカちゃんが何か変な動きをしたら逃げて…。なに振り構わずに逃げて。」


あまりに真剣に言うからだろうか、悠紫は不思議そうな顔をして何も言わなかった。


「ね、大事だからちゃんと答えて!」


「わかったよ。」


「じゃ、行って来ます。」


「あ、待って。」


悠紫は玄関まで着いて来るとハグをした。


「行ってらっしゃい。」


「うん(笑)」




――――――――――――――――――

新しい住処の自由が丘から横浜まで、乗り継ぎ無しで30分。

悠紫がいつも乗っている時間の電車に乗れた。

駅からは少し歩く。



幸せな気怠い身体を引きずり歩く。


(こんな気怠くなるもんだっけ?やらな過ぎて忘れちゃったよ。そもそも経験あった?朝から…だってそんな、、あんな…きゃーっ。)


店に着くまでに、ニヤニヤする表情を何とかしなくては…。

思い出しては嬉しくて、ニヤニヤしてしまう。



「ふぅ。よし…。」



「おはよ。」


「おう、おはよう。 ひっ…こし、どうだっ…た?」


星准が振り返り私の顔を見るなり、表情が変わった。

様子がおかしい。


「荷物も少ないしすぐ終わったよ。」


星准がじーっと顔を見ている。


「何?なんか付いてるの?」


「お前、なんか変だよ?なんだろう。」


「な、なによ。」


「気持ち悪ぅ。」


「は?」


「女みたいな顔してる。」


「私、女ですけど?」


「あははは!そうだっけ(笑)」


――プルルルル、プルルルル


店の固定電話に着信があり星准が出た。


(この人の勘が鋭いの何とかしてっ。)



「はい、SJ楽器です。あぁ、どうも。はい分かりました。用意が出来次第行きますね。ありがとうございます。はい。失礼いたします。」


「注文?」


「うん、例の川崎の音楽高校。ギターの弦だって。そこ行ったらそのまま配達行って来る。」




星准が店を出て、1時間程経った時スマホにラインが入った。

確認すると悠紫だった。



《LINE》


悠紫:いま、オーナーいる?


杏実:配達でいないよ



――カランコロンカラン♪


「いらっしゃいませ。えー!なんで?(笑)」


「杏実、忘れ物してんだもん(笑)」


「え?うそ。何?」


「財布!」


「財布?」


「昨日買い物行くのにトートバッグに入れただろ。そのまま入ってたよ。ソファーにあったから気になって見たら入ってんだもん(笑)」


「うわぁ。ごめんね。ありがとう(苦笑)」


「駅で気付かなかったの?」


「スマホにSuica入ってるから…」


「あぁ(笑)まあ、あれだな。会えたから良いけど(笑)」


「ふふ(笑)」


悠紫は優しく笑うと、ハグをしてくれた。


「早く夜になるといいのにね。」


「終わったらすぐ帰るね。」


――カランコロンカラン♪



店の扉が開いた音がした瞬間、悠紫がすごい速さで離れた。

一瞬、何が起こったのか理解が追いつかない程の早技だった。


振り返ると星准が居た。


「お、おかえり。」

(見られたかな??)


「ただいまぁ。お、悠紫くんどうした?」


(良かった…。)



「こ、こないだ買った五線譜ノートが良かったので買いに来ました。午後から大学です。」


「そうか。ありがとね(笑)あ、そうだ、あのメガネの音楽高校の先生さ、ヤバかったよ。」


「ヤバい?」


「雰囲気全然違うから何かあったんですか?って聞いたらさ、好きな人とケンカしたって。」


「うん、まあ、そんなのよくある話しじゃ無いの?」


「だよな?だけど、その先生さ、地面見てボソボソ言ってんの。焦点合ってなくてさ。ちょっと近付いて聞いてみたら『絶対に許してあげないんだからね…』とか何とか言っててぇ!こえーのなんの!あれはホラーだよ(笑)」




――――――――――――――――――――

【悠紫side】


五線譜ノートは実際気に入ってるし、いくらあっても良い物だから買う事は何とも無い。

ただ、オーナーに見られて無かったかが心配だな。

あの感じだと、大丈夫かな?


それよりも…オーナーの話しって、エリカだよな。

あれから何日経ってんだよ?

やっぱりヤベェ奴だな。

探りの為にも、こっちからエリカに連絡してみるか?

いや、調子に乗らせるだけか。


杏実は何回聞いたって、何があったかは言わないだろうし…。

だけど、このまま放っておくのは危ないし…。


「あぁ!答えが出ねぇ…。」



杏実の事は心配だが、やる事がある。


答えは出ないが、まずは大学に向かう事にした。

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