第7話 若者2人の未来のために

「はぁ?遅くね?」


呼び出された交番に着くと悠紫ゆうしは苛立っていた。

電話を切ってから、初めて待ち合わせた交番に着くまでに1時間半も掛かってしまった。


「4、50分もあれば来れんじゃないの?」


「だってシャワー浴びちゃってたんだもん。化粧したりあるじゃん。」


「じゃあ、言えよ!」


「言う暇くれなかったじゃん!」


「はあ?」


「あのさ!」


「なんだよ!」


「お腹空いてイライラするのやめようよ!」


悠紫の表情が柔らかくなった。



「……ぷはっ。 あはははははは!」


悠紫が笑っている…。

ずっと、ずっと見たかった笑顔。

泣きそうになるのを我慢した。



「昔もお腹空いてケンカしたりしたよね(笑)もう、いいや!とりあえず飯!(笑)」


「じゃあ、お詫びにご馳走するよ。」


「じゃ、高いとこ行こ!」


「それはダメ!」


「あははは!じゃ、あそこ行こ。」



4年前、忘れ物を交番に届けてくれたお礼に行ったレストランに向かった。

悠紫と一緒に居た頃は、何度も行ったけど消えてからは1度も行ってない。



「このお店変わってないね。悠紫くんは来てたの?」


「杏実さんを探してた時はしょっちゅう来てたよ。来るんじゃないかと思って…。」


「ごめんね。私は悠紫くんと一緒に行ってたとこには行けなかった。」


「…なんでいなくなったかは…聞いても教えてくれないんだよね?」


「ごめんなさい。聞かないで。」


「杏実さん、笑わなくなったね。再会してからずっと眉間にシワ寄ってるよ?」


「え!?やだぁ!やばいじゃん!」


「やばいよ。」


「わぁ。どうしよう(泣)やだなぁ…。」


右手の中指で眉間を撫でていると悠紫が吹き出した。


「ウソだよ!ウソ!(笑)」


「はぁ??」


「大丈夫だよ。もう少しで34歳なのにキレイだよ。」


「歳をわざわざ言う必要ある?なんなの?」


「ふっ。だけど、杏実さんは笑ってる方が良いよ(笑)」


「悠紫くんに悪い事したのに…。それは難しいよ…。」


このまま、ずるずると悠紫に会ってしまっていたら消えた意味が無くなってしまう。

悠紫との縁を断ち切らなければ…。



「あのさ…。」


「うん。何?」


楽しそうに微笑む顔を目に焼き付けた。


「言いにくいんだけど…。最後にお願いがあるの。」


悠紫の顔が一瞬で曇った。


「さい…ご?」


「こうやって会うのは、これで終わりにさせて。黙って消えたりしてごめんなさい。再会出来て良かった。だけど、再会したからってまた一緒に居る必要も無い訳だし。再会する前の元の生活に戻ろう。バイトも辞めてさ…」


「何言ってんの?1人で何抱えてるか知んないけどさ。俺だって当事者なんだよ。黙って消えといて勝手な事言うなよな。そんなに俺との事を終わらせたいのかよ。」


「………。」


「バイトだってどうせ長くは続けられないんだし言われなくても辞めてやるよ。」


「私たち、ちゃんと付き合ってた訳では無かったんだし大した事ではないでしょ。ただ悠紫くんに幸せになって欲しいだけだから…。」


「なんも分かって無いんだな?もういい。」



帰ってから我慢出来ずに泣いた。


でも、前とは違いきちんとお別れが出来た。

悠紫との別れの辛さよりも、エリカが怖い。


これでいいんだ…。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《3年前》


クライアントとの打ち合わせが終わり、ヘトヘトになって会社に戻った。

早く帰って眠りたい。

疲れはピークに達しそうだった。


ロビーに入った時、メガネをかけた若い女の子が私の元へ駆け寄ってきた。


「あの。私の事、分かりますか?」


「確か、悠紫くんの友達の…」


「エリカです。一条いちじょうエリカ。」


「一条エリカさん…。ど、どうしたの?」


「あの、お姉さん名前何て言うんですか?」


「あ、私はひいらぎ杏実あみです。」


「杏実さんに相談があって。」


「じゃ、あそこ行こう。」



エリカをロビーの端にある休憩スペースへ案内した。

紙コップ式の自動販売機で飲み物を買ってあげると言うと、エリカはアイスミルクティーを選んだ。

私はアイスコーヒーを買い背もたれの無い丸い椅子に2人で腰掛けた。




「で、相談って?」


「あの。悠紫さんと会うのをやめて、姿を決して下さい。」


「え?どうして?エリカちゃん、悠紫くんと付き合って無いよね?そんな事言われる筋合い無いんだけど。」


「おばさんのクセにまさか悠紫さんが好きだとか言わないですよね?」


「おば、さん??」


「私はもっともっと前から悠紫さんが好きなんです。おばさんと出会う前はずっと私が側に居てもう少しで付き合えるとこだったのに。」


「悠紫くんからそんな話し聞いたこと無いんだけど。」


「はぁ?カッコよくて将来有望だからっておばさんが高望みしてるのってみっともないですよ?」


「高望み?」


「おばさんと会う様になってから悠紫さん成績下がったの知ってます?それに毎日おばさんと一緒に居て頭おかしくなったって言われてますよ。会うのやめて下さい。」


「そんな事言われても…。」


「やめてくれないと、私、何するか分かりませんよ。」


「な、何するの?」


「悠紫さんを殺して、私も死にます。」


「は、はぁ?そんな事出来る訳無いじゃない。」


「もう、遺書も書きました。読みますか?」


エリカがカバンの中から封筒を出し中から便箋を取り出した。


「おばさんの名前の所、空白にしてます。さっき名前聞けたから後で杏実さんの名前入れときますね(笑)」


不敵に笑うエリカが怖かった。

差し出す便箋を仕方なく受け取り読んだ。




『お父さん、お母さん先立つ不幸をお許し下さい。

悠紫さんと私は天国で幸せになります。

悠紫さんには  というストーカーがしつこくつきまとっていてずっと悩んでいました。

悠紫さんはノイローゼになってしまって、一緒に死んでくれと私に頼むのです。

悠紫さんの希望を叶えてあげたいと思います。悪いのは  という女です。

今まで育ててくれてありがとうございました。』



つたない文章で意味がわからない。

呆れてため息が出た。

笑いそうになるのは我慢出来た。

乱暴に畳んでエリカに返した。




「で、私がこの会社に居るの、何でわかったの?」


「社員証、首から掛けてましたよね?」


「あの一瞬で見たって事?」


「名前、小さくてわかんなかったんですよねぇ。悠紫さん、殺されたくなかったら消えてよ。」


「付き合わなきゃいいでしょ?だって今だって別に付き合って無いのよ?」


「悠紫さんがアンタを好きなら意味が無いんだよ!だから消えろって。」


「私が消えたって悠紫くんがエリカちゃんを好きになるとは限らないよね?」


「はぁ?ふざけんなよ?」



そう言うとエリカはカバンの中に手を入れて金属の何かを取り出した。

尖った先がこちらを向いている。



「え…。何、する、の?」



よく見ると全長30センチほどのばさみだった。

柄の部分もシルバーの金属で継ぎ目が無く先が鋭く尖っている。



――刺される



そう思ったが、エリカは予想外の行動に出た。

ハサミの先を自分に向けると


髪を切り始めた。



「ちょっ、何してるの?やめなさい!」


おへそ辺りまであるキレイにウェーブのかかった茶色い髪を掴み、耳の辺りで切った。

次から次へと切っている。


たまらず立ち上がり手を止めた。


するとエリカはハサミを私の足元に投げて叫んだ。



「キャー!!!!やめてー!!」


「え?え?」


「助けて下さい!!誰かぁ!!」



エリカの金切り声を聞いて警備員が走って来た。



「大丈夫ですか?」


「この人が、い、いきなり髪を切ったんです!」


「は?何言っ」


「本当ですか?」


「そんな事してません。」


「嘘つかないで下さい!!」



「ちょっと何なの!通して。あれ、杏実?」


何事かと集まっている社員を掻き分け、直属の上司である浦沢うらさわ早苗さなえが顔を出した。



「早苗さん(泣)」


「さ、みんなは仕事に戻って!」


早苗はその場にいる社員を追い払い、散らばる髪を片付けるよう警備員に頼んだ。



「杏実、そこの会議室に入りなさい。」


「はい…。」


「あなた、誰だか知らないけれどお話ししましょ。」


「警察呼んでよ!!」


「お話しを聞いたら通報しますから。まず何があったか教えてくれるかしら?」


早苗はばさみを拾い、エリカを会議室に連れて来た。

扉を閉めると私たちを座らせた。



「原因は何?」


「私の彼氏をこの人が取ったんです。会わないで欲しいと頼んだら逆ギレして髪を切られました。」


早苗が私の顔を見た。

口を開く気力が無い。


「とにかく警察呼んで下さい。」


「このハサミを鑑識に回して貰うけど良い?」


「はい?」


「2人の指紋が出るはずよね。1人は私。もう1人は誰かしら…。じゃ、警察呼びましょうか。」


「ちょ、ちょっと待って。」


「うん?」


「もう、彼に会わないって、姿を消すって約束したら許してあげます。」


「あら優しいのね。助かるわ。」


「杏実さん、姿を消して下さい。わかってますよね?ちゃんと分かりましたか?会ったりしてるのがバレたら警察に被害届出しますから。」


「分かりました。もう会いません。」


「帰るからタクシー呼んで下さい。」



タクシーを待つ間、3人とも口を開かなかった。


5分ほどして、警備員がタクシーの到着を知らせにやって来た。


何を思ったのか、早苗はばさみの刃を持つと、エリカに柄を向けた。


「な、何?」


「あなたのハサミじゃないの?」


「何言ってんの?この人のです!」


「杏実のハサミ?」


「違います。」


「可笑しいわねぇ。どこから湧いて来たのかしらね?」


「そんなの知らないし!これ、私の連絡先です。消えるって決めたら教えて下さい。」



エリカは電話番号の書かれた紙を会議室の机の上叩きつけ、不揃いの髪の毛をそのままに頭を隠す事なく出て行った。

その姿が心底恐ろしかった。




「杏実、大丈夫?」


「どうして早苗さん、居たんですか?(泣)」


「さっき電話で玄関に入るとこって言ってたのに、なかなか上がって来ないからさぁ。こうゆう時の嫌な予感って侮れないわよね。」


「早苗さんが居なかったら私、捕まってました(泣)」


「日本は冤罪でも無罪になるのは難しいし、阻止出来て良かったわ。」


「私がやって無いって分かるんですか?」


「自分の会社でそんな事やる?(笑)外から帰ったタイミングでさ。それに、あんなになるまで髪を切らせないでしょ。普通ならすぐ逃げるわ(苦笑)まぁ、何より杏実はそんな人間じゃ無いもの。」


「早苗さん…。ひっく。私、会社辞めます。」


「何で?ダメよ。あんな子どもの言いなりになるの?」


「もう、疲れてたのもあるんです(苦笑)こんな事があったらもう居られないし。辞めさせて下さい(泣)」





会社を辞めると決めても、悠紫と会わなくなるのは辛かった。

だけど、エリカが何をするかわからない。

悠紫が殺されたら、この世に居なくなったら生きては行けない。

恐怖に囚われた私は自分が姿を消す事しか道は無いと思い込んだ。


最後に一目見たくて音大に行くとタイミングよく悠紫の姿を見ることが出来た。

隣には髪をショートにしたエリカがいた…。


その光景が私を更に絶望させた。


心が決まり、エリカに電話して姿を消す事を約束した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《現在》



泣き疲れて眠ってしまって、危うく寝坊する所だった。

ずんと重い体を引きずりやっとの思いで店に着いた。



「おはよう。」


「また何かあったんだな。分かりやすい顔しやがって。」


星准せいじゅん…。」


「ん?」


「楽に生きるって…どうしたら良いんだろうね。」


「自分のやりたい事に素直になれば良いんだよ。引きずってる男に好きだと言えば良いだろ。」


「それは出来ない。大変な事になるもん。」


「じゃあキッパリ諦めろよ。イライラすんなぁ。早く俺んとこ来たら良いだけだろ。俺の気持ちに気付かないフリすんのいい加減にやめろよな。」


「何のこと?そんな事してないし…。」


「解決しない悩みは考えるだけムダなんだよ。それよりしっかり働け!」


「そうだね…すみませんでしたぁ!(苦笑)」


「あははは!」


「そうだ。悠紫くんから連絡無かった?」


「いや?無いけど。」


「そうなんだ…。」



——ガチャ


「おはようございます。」


その時、悠紫が入ってきた。

険しい顔で星准に歩み寄ると


「オーナー、ちょっとお話し良いですか?」


と言った。

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