オーダー7追加 大家の大屋
島彦ちゃんを連れてお茶の間を出る。台所に顔を出すと、虎狼くんが室内中央の食卓で寿司桶に入った酢飯を混ぜていて、瞳さんは調理台で鰆を薄切りにしていた。
「虎狼くん、パタパタしてるー。なにしてるの?」
食卓に駆け寄って、島彦ちゃんが背伸びする。
右手でしゃもじを使いながら左手で団扇を使っている虎狼くんが、島彦ちゃんに微笑みかけた。
「寿司飯を冷ましてるんだ」
「僕もパタパタしたい」
「
「頑張る」
虎狼くんから団扇を受けとって、島彦ちゃんは両手で勢いよく酢飯をあおぎ始めた。
「よし、上手いぞ」
「えへへ。ねえ、虎狼くん、冷ましてどうするの」
「湯気を追っ払ってるんだが、そうすると美味しくなるんだ」
「ふうん」
「だから、美味くなるかならないかは島彦にかかってる」
「わかった! 頑張るね!」
島彦ちゃんが団扇に没頭している間に、瞳さんに話しかける。
「鰆のお寿司って珍しいですね」
「そうですね、私は結婚して初めて知りました。主人の家では代々受け継がれた味らしいんですよ」
「鰆は酢〆ですか」
「ええ。半日漬けてますから、よく味が沁みていますよ」
青魚特有のきらめく皮目が美しい。
「日本酒に合いそうですわね」
「お酒、お好きなんですか」
「はい、とっても。お寿司をいただきながら日本酒、最高に好きな取り合わせですわ。そうだ、今日は大吟醸を出しちゃおうかしら」
「ぜひ、そうしてください。美味しく召し上がっていただけたら嬉しいです」
「他の具はなんですか、干し椎茸とニンジン?」
「ええ。甘辛く炊いています。寿司飯に混ぜ込みますよ。それと、筍を皮ごと焼いて最後に散らすんです」
虎狼くんがコンロの鍋から茶色に炊かれた具を掬い出して、ザルで汁気を切っている。島彦ちゃんは虎狼くんの隣に立って、真剣な表情で仕事を見つめる。きっと料理上手に育つだろう。虎狼くんが汁気を切った具を酢飯の上にどさっとのせる。
「ほら、島彦。もうちょっと頑張れ」
「うん!」
しゃもじと団扇の共同作業が続く。具が酢飯と混ぜ合わされて甘い香りが広がる。瞳さんがオーブンを覗いた。丸ごとの筍の皮が黒く焦げている。
「もういいみたいね」
加熱を止めてオーブンを開けると、ふわっと香ばしい竹の香りが台所中に広がった。皮が焦げているのに、筍のみずみずしさが際立っているせいか、焦げ臭さが目立たない。
「大きなオーブンがあって、いいですね。うちではコンロに網をのせて焼くの。時間がかかってしまってしょうがないんです」
「お役に立って良かったわ。買ってみたけど、猫に小判ですのよ。一度パンを焼いてみて、それっきり」
「まあ、もったいない。良いオーブンなのに」
「虎狼くんがお婿に行くときにプレゼントしますわ」
「いや、俺は……」
ざくざくと酢飯を混ぜながら虎狼くんは困り顔だ。
「新居はぜひ、うちの物件にしてくださいね。ボロアパートで新婚生活というのもなんですから、駅前の新築の2LDKがお勧めかしら」
「いや、俺は」
「ボロアパートは3LDKで、二人暮らしには広すぎますからね。時也くんの部屋なんて、二部屋は埃しかないらしいじゃありませんか。そんなのもったいないから、二人で新居を構えた方がいいわ」
「え……?」
ぴたりと虎狼くんの動きが止まった。
「虎狼くん、よそ見はダメだよ」
島彦ちゃんに言われて、虎狼くんは目を泳がせながらも動きを再開する。
「あ、ああ。ええと、うん」
からかいがいがある。
虎狼くんが色々考え過ぎている間に、庭の蔵に日本酒を取りに行く。古い家の最も良いところは蔵があるところだろう。あまり高級なワインは仕入れないのでワインセラーも買わずに蔵に仕舞って済ませている。
今日は春の酒がいい。枝の鶯にしようか。大吟醸で一升。お目出度い時にはこれくらい大胆なのがいい。
台所に戻ると、瞳さんが、ほかほか湯気の上がる焼き筍を酢飯に散らしていた。虎狼くんは島彦ちゃんに余ったものらしい筍の穂先を食べさせてやっている。
「あまーい」
「旬のうちはな」
「旬ってなに?」
「季節限定っていうことだ。ラジモンにも限定アイテムってあるだろ。そんなやつだ」
「わかった。魔法のオーブだ」
「そうだな」
酒器はなにがいいだろう。杯は朱漆の平杯がいい。金縁で中央に家紋が描かれているやつ。そうすると徳利より朱漆のお銚子の方がいいだろう。うん、雛祭りっぽい。季節には少し早いが、なかなかの組み合わせだ。
「大家さん、筍食べる?」
島彦ちゃんが大切そうに握っている齧りかけの筍を差しだした。全部食べてしまいたいのを我慢して勧めてくれているようだ。
「貰っちゃっていいの?」
「うん! あーんして」
しゃがんで口を開けると、島彦ちゃんがそっと筍を口に入れてくれた。噛むと、しゃくっとした歯ごたえがある。みずみずしい柔らかさと香ばしく焼き上がった竹の皮の香り。春だ。
「美味しいわね」
「うん!」
酒と酒器を半月型の朱塗りの盆に乗せて、小脇に一升瓶を挟んで運ぶ。茶の間の隅で、時也くんがぐったりと寝そべっていた。朋美ちゃんと鳥子ちゃんはスマホ片手にノートになにか書きつけている。時也くんのことは慣れっこのようだ。いつもの病態なのだろう、心配はいらないらしい。
後について来た島彦ちゃんが時也くんの太ももを突っつく。
「時也くん、くすりびんがいる?」
「大丈夫。少し休んだら良くなるから」
島彦ちゃんは時也くんのお腹を、とんとんと叩いてやっている。優しい子だ。思わず微笑が浮かぶ。
「ガールズはなにを書いているのかしら」
覗き込むと、
「近場のカフェの値段帯を調べてるんです。仕入れをどうするかも考えていかなきゃなので、参考に」
「なるほどねえ。色々考えることだらけですのね」
「朋美ちゃんが勉強してくれてるんですよ。資格もいくつか取っているんですって」
鳥子ちゃんが我がことのように嬉しそうに報告してくれた。
「まあ。勉強家さんなのね。学生さんでしょう?」
「はい。もうすぐ短大を卒業するんですけど」
「卒業したらすぐカフェを開くの?」
「いえ、私は資金を稼ぐために、しばらくは働きます」
スマホから手を離して正座した朋美ちゃんは面接を受ける前のように緊張しているように見える。人生を真っ向から受け止める覚悟なのだろう。皆が一緒に立ち上がってくれるのは、力強い夢のおかげか。その夢が明るいものだと証明するように、鳥子ちゃんの声も明るく響く。
「虎狼と時也が出資するって言ってるんですけど、朋美ちゃんは自分も資金を出すからって。きちんとしてるんですよ」
「普通ですよお」
照れ照れしている朋美ちゃんに提案してみる。
「貸し付けを使う手もあるわよ」
「そんな信用、私にはないです。どこも貸してくれませんよ」
「ここに、高利貸しが一人いますのよ」
鳥子ちゃんが、うふふと小さく笑う。
「高利で貸すんですか? 怖いなあ」
「トイチでどう?」
そんな言葉とは無縁だろう朋美ちゃんが首を傾げる。
「トイチってなんですか?」
「十日で一割の利子がつくの」
「なっ、なんですかそれ! 自分から破産しに行くようなものじゃないですか」
「ふふふ。お金って怖いわね」
「地道に稼ぎます。就職先がダブルワーク出来るんで、ばりばり働きます」
時也くんがよろよろと頭だけ持ち上げる。
「働き過ぎはダメだよ……。俺みたいになっちゃう」
「わかりました。そっとばりばり働きます」
朋美ちゃんは素直で、言葉遣いがちょっと変わっている。
「それがいいわ」
会話が途切れた隙を狙っていたかのように鳥子ちゃんがそっと尋ねる。
「あのお、大家さん。その瓶って、もしかして、枝の鶯では……」
「あら、ご存知なのね。いいお酒よね」
「もしかして、大吟醸では」
ラベルが見えるように差し出す。
「そう。限定発売の黒い鶯」
「手に入ったんですかー! 幻のお酒じゃないですか! プレミアがついて大変なことになってるのに、どうやって」
「蔵開きに酒蔵に行って買ってきたの。まだ三本あるわ」
「九州まで買いに!? う、うらやましい」
「どんどん飲んでね。なんなら、毎日飲みに来てもいいのよ」
「本当ですか!?」
「一杯、千円ね」
「暴利!」
朋美ちゃんが感心した様子で呟く。
「大家さんは高利だったり暴利だったり、とにかく利を大切にしてるんですね」
「それはそうですわ。お金が好きでなくては、大家業なんて務まりませんのよ」
「そういうものですか」
「ええ。だから、朋美ちゃんがお家賃を滞納したりしたら、ぎゅうぎゅう取り立てに行きますからね」
ちろりと横目で見ると、朋美ちゃんは自分の体を抱きしめて震えている。
「怖いですう。ぎゅうぎゅうって、なにをされてしまうんでしょうか」
「体で払ってもらいます」
「ぞ、臓器売買ですか」
「朋美ちゃんって、ピュアよね」
鳥子ちゃんが目は酒瓶に釘付けのまま、会話に復帰する。
「だから、変な男に引っかかったんでしょうね」
「変な男?」
「諸くんは変じゃありません。優しいし、男らしいし」
瞬時に朋美ちゃんの表情が暗く硬くなった。悲しみとか寂しさとか、それを凌駕する後悔とか、そんなものを感じさせる。
「そんなにいい男なら、私にも紹介してくださいな」
「え……、それは」
「だめ?」
「えっと、今はちょっと、会えないから」
視線が卓袱台の上を彷徨う。
「いつなら会えるの?」
追い詰めると、朋美ちゃんはぽろぽろと泣き出してしまった。その肩を、鳥子ちゃんが撫でてやる。
「諸くんは、もう帰って来ません。私がトロいから」
弱さを隠そうとしているかのように強張った朋美ちゃんの声に、時也くんがよろよろと起き上がる。
「朋美ちゃんは悪くない」
台所からやって来た島彦が朋美をいい子いい子してやる。
「泣いたときは、ぎゅってしてもらうんだよ。そうしたら良くなるの」
「諸くん……、諸くんにぎゅってされたいな」
叶わないことを言う朋美ちゃんに困って、鳥子ちゃんが私を見上げる。
「朋美ちゃん、大丈夫ですわよ。ほら、ぎゅってしましょうか?」
こっくりと小さな子どものように頷いた朋美ちゃんを、両手でぎゅっと抱きしめた。
「よしよし。いつかもっと素敵な人に出会えるわ」
こっくり、また頷く。それでも肩を震わせて静かに涙を零し続ける。泣き声をあげない朋美ちゃんは、きっと声をあげることもできない時間を過ごしてきたんだろう。皆がそっと朋美ちゃんを見つめる。
トトト、と軽い足音がして、瞳さんが寿司桶を抱えて戻ってきた。
「出来ましたよ。あら、どうしたの」
そう言いながらも瞳さんは、さっさと寿司桶を卓袱台に置き、虎狼くんが抱えて来たお盆を受けとって取り皿も配る。母は強しということか。虎狼くんは畳に膝をついて心配げに朋美ちゃんに尋ねる。
「朋美さん、食べられるか」
「食べます」
涙を手で拭って、きっぱりと言い切った朋美ちゃんは寿司桶に強い視線を注ぐ。ただ食べるだけではなく、研究しようとしているようだ。ちらし寿司に向ける真剣さは、本気で飲食店を出そうと考えていることをはっきりと示している。
その気持ちを応援するかの如く、瞳さんがにこにこと朋美ちゃんの前にも取り皿とお箸を置く。
「食べて元気出してね」
全員が卓袱台に向かって正座する。皆がひとつの目標に向かって視線を合わせた。
島彦ちゃんが堂々と宣言する。
「手を合わせてください」
パンと皆が元気に手を合わせた音が響く。
「いただきます!」
「いただきます!」
瞳さんがしゃもじを取ってちらし寿司を分けてくれる。
茶色の具が触れて、うっすら色付いた酢飯。銀色の皮が光る鰆のふっくら柔らかな赤い身。筍は少し冷めた今でも香り高いとわかるみずみずしさを見せる。それらをまとめるように彩る木の芽の緑の美しさ。ああ、日本に帰って来たんだなあ。
島彦ちゃんがさっそくパクリといく。
「美味しい! 酸っぱくて甘いよ」
「どれどれ、上手にできたかしら」
瞳さんが上品な箸遣いで鰆がのった酢飯を頬張る。
「うん! お台所が広いとお料理も上手くいくわ」
お母さんの自賛を受けて、皆次々と箸をつける。
「おーいしーい!」
「うわあ、鰆がふっくらして柔らかい」
「筍と木の芽って最高、春だよね」
「よし、良い酢加減だ」
それぞれ口々に感想を言い合う。作った人も食べる役の人も、満足のいく逸品だ。こんなに美味しいものには、コレと決まっている。銚子を掲げて軽く振ってみせる。
「鳥子ちゃん、お酒、いきましょう。瞳さんは?」
恥ずかし気にしながらも、瞳さんは上品に微笑む。
「少しいただいてもいいですか」
「もちろん」
「大家さん! 私も」
すっかり元気を取り戻した朋美ちゃんが手を挙げる。
「はいはい。時也くんは……、無理っぽそうね。遠慮しないで横になりなさい」
もそもそと頽れるように畳に伏した時也くんは安らかな表情で目を瞑った。それを見つめる虎狼くんにも酒を勧める。
「虎狼くんは?」
「いや、俺は」
「酔って時也くんを襲わない自制心があるなら飲みなさい」
「え、いや、え!?」
挙動不審になった虎狼くんにお母さんが優しく勧める。
「いただいたら、虎狼。たまにはいいでしょ」
「えっと、では、はい」
じっと見つめる島彦ちゃんにも平杯を渡して、虎狼くんが台所から取って来た麦茶を注ぐ。大人の盃は酒で満たす。
「では、カフェの成功を祈りましょう。乾杯」
「乾杯」
明るい声がお茶の間に響いた。二口、三口と酒が入ると、議論も活発になる。
「ちらし寿司は毎日のメニューには無理だけど、予約制とかに出来たらいいですよね」
朋美ちゃんが陣頭指揮を執る形で会議は進む。
「では、魚は季節の旬のものを、その時々に使うのがいいでしょうね」
今日の調理人の瞳さんが、どうしても鰆でないとだめだとこだわりを見せることもなく、すんなりと次の問題に移る。
「予約制だとコース料理だったりしたほうがいいかな?」
朋美ちゃんの問いに鳥子ちゃんが頷く。
「お吸い物、小鉢くらいは欲しいかも。ちょっとものたりないな」
「それなら、小鉢をなにか作ってみよう」
箸を置いて虎狼くんが立ち上がる。
「虎狼くんは働き者ね。朋美ちゃん、ああいう男はお勧めよ」
旅に生きてきた人生経験から、人を見る目には自信がある。
「でも虎狼くんは、時也くんのことが好きでしょ」
しん、とお茶の間が静まった。誰もが目を合わせないように、下を向いてしまう。朋美ちゃんが慌ててきょろきょろする。
「もしかして、秘密でした?」
「秘密っていうか……」
鳥子ちゃんが、そっと時也くんを盗み見た。時也くんは横になったままぼんやりしている。話を聞いているのかどうかわからない。朋美ちゃんがそっと瞳さんに囁く。
「あの、もしかして、私の勘違いかもしれないので、お気になさらず」
「勘違いではないと思います。小さなころから虎狼は人に懐かなかったんです。けど、時也くんだけは特別で。大人になっても変わっていないというのは感じていました」
しみじみ語る母親の手前、それ以上の息子の噂はしづらく、皆黙り込む。瞳さんはしばらく膝を見つめて考えていたが、唇を強く結んで顔を上げた。
「時也くん。虎狼の気持ちは、迷惑じゃないかしら」
時也くんは目を開けている力もないようで、瞼を閉じたまま答える。
「虎狼が迷惑なことなんて、一度もないですよ」
ボンヤリしてるけど、会話の内容は理解しているのか? 島彦ちゃんが、皆の顔を見渡して首をかしげた。
「虎狼くんは、時也くんも皆のことも大好きだよ。迷惑じゃないよね」
朋美ちゃんが慌てて賛同する。
「そっか、そうだよ。皆が好きなんだもん、良いことだよね」
虎狼くんがお盆に小鉢をのせて茶の間に入って来た。ぎりぎりジャストなタイミングだ。目をそらす皆の姿を不審げに見下ろす。
「どうかしたのか、静かだが」
鳥子ちゃんがお盆から小鉢を取ってそれぞれに配る。
「なんでもないわよ、なんでも! それより、朋美ちゃん。手の込んだ和食もありってことでいいのかな?」
朋美ちゃんは眉間に皺を寄せて考え深い様子を見せる。
「いいんですけど、まったりしたカフェからは、どんどん遠ざかっていますよね」
瞳さんも頷く。
「そうでしょう。私もどうかなと思いながら作りました。漁港の食堂なら、確実に喜ばれるメニューだと思いますけれど」
鳥子ちゃんから小鉢を受けとる。ワカメとショウガとキュウリがポン酢と胡麻油で和えてある。これは酒が進む。一口食べて、杯を開けてから提案してみる。
「まったりカフェテイストと、しっかり食堂風、一軒で二倍美味しいお店にしていけばよろしいんじゃないかしら」
思い付きだが、次の提案もしてみる。
「そうだ、ボロアパートを使うなら、部屋割りはそのまま和室を残したらいいですわよね。個室で卓袱台で。子ども連れにも嬉しいと思いますわ」
鳥子ちゃんがほうっとため息を吐く。
「すごい、なんだか本当に実現しそう」
虎狼くんが力強い声を出す。
「実現しそうじゃなくて、実現するんだ。俺も時也も失うものはなにもない。全力で前に進む。朋美さんは」
「私も諸くんに捧げた青春を取り戻すために、ぐいぐい進みます!」
島彦ちゃんが、きょとんと首を傾げて見上げて来た。
「ぐいぐいどこに進むの?」
「未来へですわよ」
にかっと明るい笑顔を見せてくれる。
「じゃあ、皆でぐいぐい行こうね」
鳥子ちゃんが島彦くんの頭を撫でる。
「そうだよ、島彦。えいえいおーだよ」
「えいえいおー」
「えいえいおー」
鳥子ちゃんと島彦ちゃんに混ざって朋美ちゃんも気勢を上げる。可愛らしい出陣式だった。
寿司桶が空っぽになると、レモンのシャーベットが出てきた。鰆の後口をさっぱりさせてくれる。
「スイーツは絶対欠かせないですよ」
朋美ちゃんがスプーンを握り締めて力説すると、鳥子ちゃんが尋ねた。
「虎狼はお菓子作りは得意?」
「簡単なものなら」
「どんな?」
「パウンドケーキだとかクッキーだとか。あと、部屋ではいちごババロアが人気だった」
朋美ちゃんが、ふっと微笑む。
「お相撲取りさんがババロア食べてる姿ってかわいいかも」
「虎狼くんはお相撲取りさんだったんですの?」
なぜだか申し訳なさそうに虎狼くんは俯いた。
「もう、完全に足を洗いましたが」
「泥棒じゃないんだから、足を洗う必要なんてないわ。神聖な土俵を踏んでいた足だもの、大切にしたらいいんじゃないかしら」
一瞬、虎狼くんの瞳が揺れた。泣くのかと思ったが、良い笑顔を見せた。
「そうします」
満足げな虎狼くんに、皆も一安心といった空気が流れる。会議を軌道に戻すべく、朋美ちゃんに尋ねる。
「試食会の出席者は、どなたですの?」
「虎狼くんのお父さんとお兄さんを誘ってるけど、来てくれるかどうかわかりません。鳥子さんが会社の同僚さんを何人か誘ってくれています。あとは、時也くんのご両親が遅れて参加の予定です」
指折り数える朋美ちゃんに聞いてみる。
「朋美ちゃんのお友達は呼ばないの?」
「私、短大では友だち作れなかったんです。諸くんがダメって言うから。地元は遠いから家族にも声をかけづらくて」
「今はお友達がたくさんで、楽しくていいですわね」
「はい!」
心から溢れる幸福感が朋美ちゃんの表情を明るくする。その喜びを謳いあげるように元気な声で鬨を上げた。
「では、本番は次の土曜日。頑張りましょう!」
「おー!」
旅行を早く切り上げてきて本当に良かった。こんなに楽しいことは久しぶりだ。土曜日は、気合を入れるか。
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