秘拳の十七 結婚相手
「おい、何もそこまでしなくてもいいだろう。分かった。分かったから頭を上げてくれ。他の奴らに変な目で見られるだろうが」
「本当に悪いな。いずれ理由はきちんと話すから」
頭を上げたトーガは残りの白酒を一気に飲み干す。
一方、最初こそ変な目でトーガを見ていたティンダも頭を下げた後は詳しい追求はせず話を元に戻した。
「まあ、俺としてはお前の真意を聞ければ場所なんてどこでもいいんだ」
と、ティンダは一口だけ白酒を口に含んだときだ。
「そこの二人、何を男同士でこそこそと飲んでんだよ!」
べろべろに酔った男が二人の女を引き連れて近づいてきた。
アクルである。
ティンダの家の釜場で働く男の一人であり、普段は物静かだが酒に酔うと見境なしに女を口説く獣に豹変する性格の持ち主だ。
女たちの名前は知らない。
一人は頬の肉が厚すぎて両目が塞がっているように見えるほど体格が丸い女であり、もう一人は枯れ木のように痩せ細った女だった。
どちらとも年齢は十代半ばだろうか。
世辞にも美人とは言えない部類の女たちである。
「ひっく……まったく、今日は楽しいモーアシビ(毛遊び)の日なんだぜ。なのにお前らときたら男だけで酒を飲みやがって」
アクルは右手に持っていた抱瓶を天高く上げた。
「モーアシビ(毛遊び)に男だけで酒を飲むなど天が許しても俺が許さん! よし、女に縁がないお前たちのために俺が一肌脱ごう! どちらの女でも好きなほうを選べ!」
アクルは自分が引き連れていた二人の女を紹介した。
太ったほうはナルベ、痩せ細ったほうはチャーンという名前で先ほど出会って意気投合したという。
「悪いが今日は遠慮してくれ、アクル。俺たちはこれから大事な話をするんだ」
「女と遊ぶ以上に大事なことなんてない。今日は歌を歌える奴は歌い、踊れる奴は踊る。そして何と言っても異性と公に遊べる日でもあるんだ。ならば思う存分、モーアシビ(毛遊び)という今日を楽しまなくては損じゃないか」
普段の物静かなアクルとは別人だ。
ティンダは何度も断っているのに、まったく聞く耳を持たずに一緒に遊ぼうと迫ってくる。
「あ~、面倒臭えな。俺は酒を飲む奴は好きだが酒に呑まれる奴は大嫌いなんだ!」
アクルのしつこさに苛立ちが頂点を迎えたティンダは、立ち上がるなり手にしていた抱瓶の口を無理やりアクルの口に突っ込んだ。
抱瓶の中に満たされていた明国の白酒がどんどんアクルの胃袋に注ぎ込まれていく。
喉に熱さを覚えるほど強い白酒を浴びるように飲まされたアクルは、顔を真っ赤に染めながら地面に倒れた。張り飛ばされたように背中から勢いよくである。
「お前たちはナルベとチャーンと言ったな?」
ティンダは完全に目を回していたアクルから二人の女たちに視線を転じた。
「お前たちもどこかへ行ってくれ。それとも俺が持参した特別な酒を飲みたいか? 強さのあまりすぐに気を失うことになるがな」
恫喝するような低い声で訊くと、ナルベとチャーンは「遠慮します!」と恐ろしさのあまりアクルを置いて逃げてしまった。
「ティンダ、気持ちは分かるが白酒を一気に飲ませるな。強い酒は飲み過ぎると命にも関わってくるんだぞ」
「平気さ。これぐらいで死ぬほどアクルは酒に弱くない。それよりも話の続きだ」
ティンダは豪快にいびきを立て始めたアクルを無視して腰を下ろした。
「トーガ、お前はナズナのことをどう思っている?」
「ナズナ? ナズナってお前の妹のナズナのことか?」
「他にどのナズナがいる。ナズナと言えばこのティンダの妹であるナズナのことに決まっているだろう」
トーガはナズナという名前の薬草があるぞと言いかけたが、あまりにもティンダの表情が真剣だったので喉元まで込み上げてきた言葉を体内に送り返した。
「そうだな。機織の腕前も達者だし、他の女たちと比べても美人に育ったと思うぞ。そろそろ夜這いでも仕掛けてくる奴が出てくるんじゃないのか?」
トーガは嘘偽りのない本音を口にした。
多少なりとも口喧しい面もあったが、それは見方を変えれば愛嬌と受け止められる。
「俺が聞きたいのはそんなことじゃない。トーガはナズナを一人の女としてどう思っているのかと訊いているんだ」
「俺がナズナを一人の女として? それはつまり」
「お前にナズナと結婚する意志はあるのかと訊いている」
左手の掌で口元を覆い隠すと、トーガは目眉を細めて真剣に思考した。
「お前がどういう返事を聞きたいのかは知らないが、今の俺にはナズナを結婚相手としては見られない。どちらかと言えば妹のような存在だからな」
「これからは分からないだろ? ナズナを女として見られる日が来るかもしれない」
「だとしても一朝一夕ではさすがに無理だ。どれだけナズナが魅力的な女でも妹という考えは簡単に拭えない」
「要するに少し考える時間をくれということか?」
「だってそうだろう? ずっと妹と思ってきた女をいきなり結婚相手として見れだなんて唐突にも程がある。それに……」
ティンダは半分以上残っていた白酒をすべて胃に流し込んだ。
「ナズナは見た目以上に器量もよくて機織を織るのも上手い。それ以上に誰よりもお前のことを想っている。それでも駄目か?」
「いや、そういう問題じゃ」
ない、とトーガが答えようとしたときだ。
「おいおい、見てみろよ。モーアシビ(毛遊び)に珍しい顔触れが揃ってやがるぞ」
トーガとティンダは野太い声が聞こえてきた方向に顔を向ける。
数人の取り巻きを連れていたゲンシャは、二人の視線を浴びるなり笑みを浮かべた。
まるで好物の獲物を発見した野生獣の如き笑みを。
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