第6話 開拓前夜
地恵期20年4月14日 21時
ユーサリア セントリアス区 トレイルブレイザー隊員寮610号室
「イーロン、お願い。見せて欲しいんだ…!」
「ば、馬鹿!やめろ!こんなの人に見せるもんじゃねえだろ⁉」
「そうだけど…それでも見たいんだ!頼むよ!」
トレイルブレイザーの隊員が暮らす寮の一室。消灯まで残り1時間となったところで、ロビンはルームメイトのイーロンに何やらお願いをしていた。
「自分で出来んだろそのくらい!俺を頼るんじゃねえぜ!」
「少しでいいんだ!ほんの少しで!」
そうして必死に懇願するロビンの手には一枚の便箋が握られている。彼がイーロンに見せるようお願いしているのは、隊員が殉職した際に親しい人に送られることとなっている遺書だった。
「他人のものを参考にして遺書なんて書くなよ!大切な人に遺したい言葉をそのまま書けばいい話だぜ⁉家族とかよ!」
「そうなんだけど…!」
どうやらロビンは家族に遺書を書くのをためらっている様子だった。事情を言い出せずにもどかしそうにする彼を見て、イーロンはため息交じりにあぐらをかいて、改めて彼と向き合った。
「書きにくい事情でもあんのか?」
こくりと頷くロビン。イーロンは仕方なく棚から自分の遺書を取り出すと、それをロビンに手渡した。白くて小さいシンプルな便箋だ。中身に少し目を通すと、ロビンは徐に口を開いた。
「病気のお母さんがいるんだね。それと弟さん…」
父親の事は敢えて聞かなかった。第7洞窟では、片親の家庭はさほど珍しくないからだ。行方不明なのか、或いは亡くなってしまったのか。理由は分からないが、ロビンはそれを察して口に出す事はしなかった。
「そうだぜ。デカイ病院だったらお袋の病気も治せるらしいが、生憎金はねえし、弟もまだ小せぇ。去年までは普通の仕事をしてたが、それじゃあ稼ぎも少ないってんでトレイルブレイザーを目指したってわけだぜ」
「そうだったんだ…。イーロンは偉いね。まだ15歳なのに、弟とお母さんの為にそこまで頑張れるなんて」
「偉いとかそういうのじゃねえぜ。このクソみたいな世界じゃあ、俺と同じような環境で必死に生きてる奴がごまんといる。自分達の生活の為に盗みを働く奴もいれば、一騎当千狙って命を投げ出す人間もな。俺は後者を選んだってだけだぜ。お前だって似たようなもんじゃねえのか?」
ロビンは静かに首を横に振った。今の彼にイーロンの様な大層な理由は無い。ただレハトの通る道を追いかけて、気づけばここに立っていただけだ。何故自分はここにいるのか。その愚かな選択に、今ようやく気付かされていた。命を投げ出す覚悟の無い人間が、遺書など書けるはずもなかった。
そんなロビンの内情など知らないイーロンは、この沈黙に耐えかねていた。
「まあよく分かんねえけど、別に遺書なんて今書かなくてもいいだろ!楽しい事でも考えたらどうだ?ほら、例えば明日の事とか…って言っても、明日は初開拓の日だな」
「本当にあっという間だよね。模擬開拓訓練は大した危険もなかったけど、明日からは違う。本当に未知の場所を開拓していかなきゃいけないんだよ。だから今日中に遺書を書き終えておきたいんだ」
「縁起でもない事言うんじゃねえぜ馬鹿」
開拓の本番は、訓練のそれとは訳が違う。未開拓故にどんなクリーチャーがどこにどれだけいるかは出会うまで何も分からない上、進むべき道は完全に暗闇だ。イレギュラーは当たり前で、常に死と隣り合わせにある。肝が据わった者ばかりが合格するせいで見落とされがちだが、寧ろ不安にならない方がおかしい。
そんな事を考えていると、いつの間にか二人の間に静寂が訪れていた。
「…ところでロビン。お前はレハトの事どう思ってんだぜ?」
「どうって?」
「落ちちまったんだろ?しかもよりによって筆記のせいでよ。来年以降、受かって来ると思うか──」
「レハトは受かるよ」
ロビンはそんなイーロンの言葉をかき消すように言葉を被せた。
「根拠は?」
「無い」
「ねぇのかよ」
「でも受かる気がするんだ。レハトの夢は、そう簡単に諦められるようなものじゃないから…」
ロビンが幼馴染へ抱く絶大な信頼を見て、イーロンは思わず笑みがこぼれた。
「なら、お前に生きる理由が出来たな」
「生きる理由…?」
「来年か再来年かその先か。いつかレハトがトレイルブレイザーになった時、あんな無鉄砲な人間の背中を守れるのはお前くらいしかいねぇだろ?あいつの隣に立って戦う。その為に生きるべきだぜ、お前は」
イーロンはロビンに渡した自分の遺書を机にしまうと、ロビンの碧い瞳をじっと見つめた。
「俺が思うに、遺書ってのは死の言霊だぜ。言葉には大きな力があるって言うだろ?自分の死を想定して未来を語るからこそ、その言葉はいずれ言霊となって、想定した死の未来を現実にしてしまうんじゃないかって考えてる。
だから、遺書を書けないというロビンの気持ちは正しい。それはきっと無意識に生に執着している証拠でもある。トレイルブレイザーとしてレハトの隣に立つという義務があるなら、遺書なんて書かずに生に執着しているべきだぜ」
「そうだとするなら、遺書を書いているイーロンは自分の生に執着が無いの?」
「確かに、生に執着しているかと言われたら微妙だな」
らしくもない難しい自論を展開するイーロンにロビンは驚きを覚えた。一方で、当のイーロンはなんてことない表情であくびをした。
「まあ俺の事なんてどうでもいいんだぜ。とにかくロビンには遺書なんて必要ねぇ。伝えたい事があるなら、ちゃんと生き延びて伝えればいい。俺が言いたいのはそれだけだぜ」
「イーロン…」
間もなく消灯時間がやってくる。床につく前に、イーロンはロビンと一つの約束を交わした。
「まだ出会って2か月しか経ってないが、お前の射撃の腕は誰よりも買ってる。取り敢えず、お互い死なねぇように頑張ろうぜ」
ロビンは差し出されたイーロンの手を掴み、固く握手を交わした。イーロンの言葉に色々と戸惑う部分はあったが、ロビンは噛み締める様に言葉を口にした。
「もちろん!」
しかし、この時の彼らはまだ知る由もなかった。翌日の開拓が、トレイルブレイザー史上最も多くの死者を出した恐るべき事件になるという事を───。
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