第7話 盗人ネリア
地恵期20年 4月15日
フロンティア 10km地点 午後1時30分頃
「セヤァッ!」
突き出されたイーロンの拳が、バッタ型のクリーチャー{ハイホッパー}の頭を殴り潰す。断末魔の代わりなのか、バタバタと翅を動かす事で奏でられる耳障りな悲鳴に不快感を抱く暇もなく、イーロンは次々に襲いかかってくる飛蝗の群れに翻弄されていた。
「イーロン!伏せて!」
体勢を低くしたイーロンの頭上の数センチ上を風の矢が通り過ぎた。その矢は彼を背後から狙っていたハイホッパーの胴体を貫き、噴出した血飛沫が雨のように降り注いだ。
「きったねえ血だぜ、くそったれ」
{ハイホッパー}。大型犬ほどの大きさを持った、群れで行動するバッタ型中級クリーチャーである。
くすんだ緑の体色と赤い複眼を持っているものの、基本的な特徴や能力は通常のバッタと大差はない。唯一大きく異なる点は、バッタの武器とも言える後ろ脚。光沢のある金属質の皮膚に覆われ、関節にはネジのようなものが見受けられる強靭なものだ。まるで機械のようなそれから繰り出されるジャンプは70m以上もの高さを誇り、その俊敏な動きで獲物を翻弄しながら、隙を見計らって複数体で襲い掛かる戦法を得意としている。一匹一匹は大した強さではないが、群れればその厄介さは何十倍にも膨れ上がる凶悪なクリーチャーというわけだ。
「ファレム!通常の群れよりハイホッパーの数が多い。白兵班が押し負けない様に、僕らも全力で援護しよう!」
「言われなくても分かってるわよ、そんなこと!」
トレイルブレイザーがクリーチャーと邂逅した場合、最初にイーロンら白兵班が最前線でクリーチャーの囮となり、その後ロビンら射撃班が少し離れた高台などから援護をするのが基本の戦闘態勢となる。激しい戦闘が予想される場合は射撃班の背後で衛生部隊が即席の兵站を用意し、研究部隊はクリーチャーの情報を分析しながら各隊員に伝える役割を担う。
研究部隊と共に戦況を分析しているペネトラ大隊長は、耳に取り付けられた通信機器を用いて全隊員に作戦を伝えた。
「全隊員に作戦を告げる。想定よりもクリーチャーの数が多い為、このまま乱戦状態を続けるには危険が伴う。よって、これから指定するポイントにクリーチャーを誘導した後、射撃班による総攻撃作戦を行う」
そうしてペネトラ大隊長が転送したポイントの情報が、通信機器を通して直接脳内に伝わった。聴覚や視覚といった感覚を通さずに強制的に情報を流される気分はあまりいいものではないが、戦闘中においては最も適した伝達方法とも言える。この技術もまた、オブジェクトあってこその特殊技術だ。
「誘導っつったって、そんな簡単にできる訳ねぇだろ!」
「あらあら、やっぱりお子ちゃまね?こういうのはお姉さんに任せて、坊やは指でも咥えて見てなさい!」
イーロンの文句に返答したのは、先日彼と争ったばかりのネリアだった。どういう理屈なのか、空中を飛び跳ねながら移動するネリアは、左手に持っていたダガーをブーメランの要領で思い切り投げた。そのダガーは大きな弧を描きながら複数のハイホッパーに小さな傷を付けながら飛んでいったかと思うと、綺麗に彼女の左手へと戻ってくる。その的確すぎる彼女の投擲にイーロンが驚きを隠せずにいると、彼女によって切り付けられたハイホッパー達が一斉にネリアを標的と見做して襲いかかってきた。その数はおよそ60匹以上。蝗害のような恐ろしい数のバッタを引き連れて、彼女は空中を飛び跳ねながら誘導ポイントへと向かった。そんな中、彼女は後ろを見ながら余裕ぶった態度でハイホッパーを煽った。
「鈍臭い虫ね~。そんなんじゃ一生私に追いつけないわよ!」
「おい危ねぇぞ!前見ろ!」
前方から彼女の頭を狙うハイホッパーの攻撃が飛んでくる。イーロンの声に気づいてその姿を捉えるも、回避も反撃も間に合わない。不覚にも小さな悲鳴を上げて目を逸らしたその時、彼女の目の前を一筋の風が通り過ぎた。
ブゥンッ!
貫かれるハイホッパーの翅。バランスを崩して落ち行くその体に、今度は1発の火炎弾が命中する。深紅の炎に焼かれながら地面に衝突したその虫は、黒い灰となって土に還った。射撃音がした方向にネリアが視線を移すと、そこには緑のコートの少年と、赤いドレスの少女がオブジェクトを構えていた。
「ナイスショット、ファレム!」
「ふんっ、当然よ」
突き出されたロビンの拳に、ファレムもそっぽを向きながら拳を突き返す。その一部始終を見ていたネリアは口角をやや挙げると、右のダガーの柄から細く透明な糸を射出し、左手のダガーの柄に結び付けた。
「な~んか助けられちゃったみたいねぇ。だったら私も少しは活躍しないと…な!」
そう言いながらそこら中に仕掛けていた糸の足場の一つに脚をかけると、彼女は逆さまになった状態で叫んだ。
━━━━━━「ぐるぐるカッター」━━━━━━
左手に握られたダガーを地上に向けて思い切り投げた。紐の両端に結び付けられたダガーが重りとなって強い遠心力を生み、巨大な円形の刃物の様に地上のハイホッパーを切り刻む。その巨大な刃物は味方を決して襲う事は無く、時に物理法則を無視した軌道を描きながら的確にハイホッパーの体のみを両断していく。
「な、何だあの技!」
「変な軌道で動いていやがるぞ!どんなオブジェクト使ってんだ!?」
そんな地上の隊員の声など本人に聞こえるはずもなく、ネリアは体勢を戻して再び糸の足場を踏みながら空中を疾走する。指定されたポイントには、既に他の隊員と誘導されてきたハイホッパー達が戦闘を繰り広げていた。そこに混ざるようにネリアも到着すると、そこから少し遅れて恐ろしい数のハイホッパー達が彼女目掛けて飛来してきた。
「うげ~!きっしょい光景ねぇ。ほらほら、早くこっちに来て!」
吞気にそう発言する彼女は、地上を駆けるダガーの到着を待っていた。ダガーの回転が弱まって来ると、中央の糸の部分が残りのハイホッパーの体を絡めとっていき、彼らの動きを封じた状態で指定ポイントの土に突き刺さった。
「はい到着!大隊長、さっさと殺っちゃって!」
「ご苦労、白兵班諸君。直ちに退避を要請する」
そう命令されたネリアら白兵班は、ペネトラの指示に従って急いでその場を離れる。逃げる彼らを追いかけようとハイホッパー達が動き始めるまでのその一瞬の内に、射撃班のメンバーは各々の引き金を同時に引いた。
「FIRE!」
ペネトラ大隊長の一声に被さるようにして、ロビンら射撃班が総攻撃を仕掛けた。轟音と閃光。誘導をした白兵班諸共巻き込んでしまいそうな弾幕は恐ろしい速度でハイホッパーの群れを襲い、たった数秒のうちに全ての敵を殲滅する事に成功してしまった。終わってみれば呆気ない。そうロビンが思いそうになった直後、白兵班の面々──特に新人隊員——が息を荒げながら煙の中から現れた。
「あ、危ね~。危うく仲間に殺されるところでしたよ、先輩…」
「安心しろ。このくらいの射程範囲ならうちの射撃班がミスをする事はそうそう無いはずだ。とはいえ、怖がるのも無理はねぇが…」
そう言って、隊員の一人が岩場に立つペネトラ大隊長を見つめた。煙の隙間から垣間見える彼女の表情は冷酷で、そこには微塵の人間らしさも感じられない。無表情な彼女は隊員の様子をさほど気にする事もなく、すぐに背を向けて研究部隊とデータの解析を始めたのだった。
その隊員の目の前を、一つの影が横切った。
「は~い、ボーイ&ガール!調子はどーだい!?」
戦闘の疲れを感じさせずに挨拶をするネリア。彼女の視線の先にいたのは、体力を消費して座り込んでいたロビンとファレムだった。突然の絡みに驚いて目を点にするロビンに対して、隣に座るファレムは不審者を見るような軽蔑の眼差しでネリアを見上げている。
「あたし、ネリアって言うんだ!さっきは助けてくれてありがとね♡君達がいなかったら死んでるとこだったよ!…あ、そうそう!君達お名前はなんて言うのかな?」」
「…ん、あっ、えっと…は、はじめまして!ロビンって言います。ロビン・クィリネス」
「なるほどぉ?」
無視を決め込むファレムをスルーしつつ、ネリアは自己紹介をしたロビンの顔や服装を舐めるように見ると、納得したように一度顔を縦に振った。
「よし決めた!これから君のあだ名は貧乏君だ!」
「…は?」
「あたしの特技よ。相手がどのくらいのお金を持ってるのか当てるの。多分君は私と同じくスラム出身…じゃなさそうだけど、貧困層である事には間違いなさそうだもんね?お金を奪う価値は無し!だから貧乏君。どう?当たってる?」
信じられないレベルの無神経さである。当の本人には全く悪気がなさそうなのが厄介な所ではあるが、ロビンとしてもこればかりは不快感を覚えた。
「で…そこのお嬢ちゃんはお金持ちよね?しかもとびっきりの。こりゃあ盗りがいが…っていやいや冗談!何も盗ったりしないから安心して~。それじゃああなたのあだ名は」
「いい加減にして」
さっきまで黙り込んでいたファレムが、突然眉を吊り上げて憤慨した。
「黙って話を聞いてれば貧乏とか金持ちとか。だから何なの?助けてもらったお礼を言いに来たのはいいけど、命の恩人相手にその言葉遣いは何?ちょっとは礼節とかない訳?」
「礼節ぅ?悪いけどあたしは育ちがよくないからそういうのには縁が無いのよ。第一、あんたみたいなお子ちゃまに何で礼儀正しくしなきゃいけないのよ」
「歳とか育ちは関係ないわ。そもそも何?あんたのその貧相な胸部は。小学生でももう少しあるわよ。お子ちゃまはあんたの方ね」
「ムキィィィ!!!それこそ胸の大きさなんて関係ないでしょ!?人形みたいなドレス来てるあんたこそお子ちゃまじゃない!」
「はぁぁぁ???これをその辺のお子ちゃまドレスと一緒にしないでくれる?あんたの下品な鎧と違って、これは耐熱性・耐久性・伸縮性に優れた特注のドレスなの!」
「私の鎧だって、機動性を重視した鎧ですぅ。何でもかんでも変な目で見るのやめてくれますぅ?」
初対面の人間に礼節を持っていないのはお互い様なのでは?…という意見は敢えて心の中にしまったものの、ファレムの指摘は概ね正しい。それほど傷ついたわけではないとはいえ、恩を仇で返されたとはまさにこの事だ。少ししか言葉を交わしていないものの、ロビンにとっても、ネリアという女は苦手なタイプの女性だった。
とはいえ、このまま2人の口喧嘩を放っておくわけにもいかない。その争いに割って入ろうとした途端、脳裏に先日の出来事がよぎった。嫌な寒気を感じたその直後、ロビンの脳天を激しい痛みが襲った。
「先日あれほど言ったのにまだ懲りていないようですね、ネリア隊員」
朦朧とする意識の中で聞こえるペネトラ大隊長の声。遠くの方で、イーロンが汗を猛烈に吹き出しながら恐怖に満ちた顔をしているのが見えた。そういえば、この前イーロンからペネトラ大隊長に連れ去られた後の事を聞いた時、汗を吹き出しながら震え出したのを覚えている。曰く「生きた心地がしなかった」らしい。
「いっ、嫌…ごめんなさい…!ど、どうかアレだけはご勘弁を…」
急に涙目になり、命乞いをするかのように跪くネリア。膝はガクガクと震え、素肌を冷や汗がなぞっている。演技などではない、間違いなく本気の恐れである事は確かだった。さっきまであれだけ威勢の良かったネリアがここまで真摯な態度をしようなどと誰が思っただろうか。
「えっ…、アレって何…?…や、やめて…近付かないで…ッ!」
「問答無用」
ドスドスッ!!
二つの拳が同時に少女たちの腹部に直撃し、気を失った。泡を吹いて倒れこむ二人の首根っこを掴んで引きずると、ペネトラ大隊長はこちらに振り向いていつもの冷酷な表情を見せた。
「流石に開拓中に貴方達を気絶させる訳にはいかないので、今回の連帯責任は免除してあげましょう。クィリネス隊員以外は幸運でしたね」
やはり表情は変わらない。アンドロイドのように無機質なその顔を見て、その場の誰もが動きを止めた。凍り付いたように動けなくなった隊員達を無視して兵站のテントへと向かうペネトラ大隊長。数分後、そのテントから恐怖に満ち満ちた二つの悲鳴が聞こえたのは言うまでもない。
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