第3話 イーロンvsネリア
地恵期20年 4月1日 14時15分
ユーサリア南部 サウスユーサリアゲート
先に動いたのはネリアだった。彼女はダガーを構えて真っ直ぐイーロンの元へ走り出し、それに応える様にイーロンも全速力で駆け出す。真正面から繰り出されるイーロンの鉄拳。弾丸の如きスピードで突き出されたその拳は彼女の腹部を捕らえたかのように見えたが、寸でのところでネリアは身体を逸らし、代わりにイーロンの背後に回り込んだ。
「速い…っ!?」
恐るべき身のこなし。その速度は並大抵の戦闘員なら避けられたと認識する事も出来ない程だ。ところがネリアのダガーがイーロンの首筋を捉えたその刹那、イーロンは身体を回転させて彼女の横腹に裏拳を当てようと試みた。
ごぎゃっ!
裏拳を避けようとバク転したネリアの右脚が、ついでと言わんばかりにイーロンの顎を蹴り上げた。イーロンの裏拳は惜しくも躱され、黒い床に赤い雫がぽたぽたと零れ落ちる。けれども彼は血濡れた口を左手で雑に拭き上げ、執念に満ち溢れた瞳で女を睨んだ。
そんな彼目掛けて、ネリアは更にダガーを投げて追い打ちをかける。容赦のない彼女の追撃はイーロンのオブジェクトに容易く弾き飛ばされ、甲高い音を鳴らしながら床に突き刺さった。
「あんた意外と強いのね?お姉さん見直しちゃった♡」
「黙れコソ泥。次こそそのふざけた顔面を殴ってやるぜ」
「おぉ~怖い怖い。あんたのオブジェクト、両腕に付けてるそのガントレットよね?結構イカしてんじゃん!」
《フルメタル》。それがイーロンの持つオブジェクトの名前だ。
西洋の鎧のガントレットそのもののような見た目で、手甲の部分に円形の〈鋼〉のジェクトが装着されている。オブジェクト全体が鋼のように硬くなるだけというシンプルな能力だが、イーロンの人間離れした腕力から生み出される速度が上乗せされる事で、人間相手に直撃させれば即死もあり得るという恐ろしい武器である。クリーチャーと戦う際は、その硬さを利用して攻撃を防ぎながらクリーチャーの懐に潜り込み、文字通りの鉄拳で殴り潰すのが彼の戦闘スタイルだ。
「お前こそ、2本と見せかけて実は3本ダガーを持ってんだろ?その3本目で不意打ちしようだなんて考えてるあんたの頭も、中々イカしてると思うぜ?」
「へぇ〜!今の一瞬で3本目の存在を知られるとは思ってなかった!こりゃあ舐めすぎると痛い目見そうね」
そう言うネリアの服装は至って奇抜だ。非常に薄いメタルプレートの鎧を胸と腰に纏い、腰には革製のベルトを巻き付けているのみで、それ以外は完全に白い肌を晒している。その素肌を唯一守っている鎧さえも、彼女の機動力を最大限活かす為に極限まで薄さを追求されており、鎧の役割など到底果たしていない。通常の隊員は隊服の中にクリーチャーの攻撃にも耐えうる頑丈なインナースーツを着るものだが、彼女に至ってはそれすら無いのだから驚きだ。
そんな彼女に巻きつけられたベルトの後ろ側に、隠されるようにしてダガーが1本仕込まれている。イーロンは、先程のバク転の一瞬でこれの存在に気づいたというわけだ。
「さっきの身のこなし、お前も元々なんかやってたクチだろ?その手癖の悪さから考えるなら…盗人とかか?」
「さあ?どうでしょう?」
その言葉と共にニヤリと口角をあげた刹那、ネリアは瞬きのうちにイーロンの背後を取ってみせた。負けじと反撃を繰り出すイーロンの右腕を軽々と躱し、彼女はその腕を足場としてイーロンの頭上を飛び越えた。イーロンは空中で無防備になった彼女に回し蹴りを繰り出そうとしたが、その一撃は再び空を裂く。余裕に満ち溢れた笑みで床にしゃがみ込んでいたネリアは、イーロンの体を2周ほど周り込んで翻弄する。反応もできないまま視線だけを動かすイーロンの頭を掴んで、更にもう一度彼を飛び越えた。
(さっきから避けてるばっかで全然攻撃してこねぇ…。こいつ何がしてえんだ?)
イーロンが感じた違和感。もし彼女が本気で殺意を持っていたとしたら、既に3度はイーロンの首が飛んでいる。しかし、体に傷をつけるどころかダガーの刃を向けようともしてこないネリアに対して、イーロンはそこ知れない違和感を覚えていたのだ。
(考えろ、こいつの意図を!なんで一向に攻撃してないんだ…!?)
ネリアの動きを捉える事に必死だったイーロンの集中力が僅かにブレた。その隙を狙って、彼女は更にスピードを上げる。
「反応が鈍くなってるわよ!そんなんじゃ一生私を捉えられないわ!」
時に横から、時に上から、時に下から。グルグルと何周もイーロンの背後を取り続ける。10周はしたであろうと思えたその時、不意に彼女はイーロンから大きく距離をとった。
「じゃあねイーロン。退屈な勝負だったわ」
腰に取り付けていた3本目のダガーを取り出し、何も無い虚空を刃の腹で叩く。その直後、イーロンは違和感の正体に気づいた。
「……っ?…体が、動かねぇ…!?」
一時停止したように、イーロンの動きがピタリと止まった。全身の関節が外側から強い力で押さえつけられているような感覚。彼女が何をしていたのか。当事者であるイーロンはおろか、ロビンを始めとする隊員の誰一人として、その仕組みに気づいている者はいなかった。
「それじゃ、おつかれさま♡」
財布から全ての札とコインを抜き取り、空になった財布をイーロンの頭に乗せる赤髪の女。艶やかな髪をかき上げて汗を飛ばし、くるりと背を向けて悠々と立ち去ろうとする彼女の背後で、金髪の少年は虎視眈々と睨みを利かせていた。
「おい待てよ、どこ行くつもりだぜ」
「どこって言われても、もう勝負は終わったでしょ?そこにいる誰かが助けてくれると思うから、あと少しくらいじっとしてなさい」
「馬鹿言ってんじゃねぇぜ。いつ勝負が終わったっていうんだぜ?」
「はぁ?だ・か・ら!あなたはもう動け…っ⁉」
余裕に満ちていたネリアの顔から一気に血の気が引いていく。彼女が目にしたのは、依然として燃え上がる瞳で身体を震わせる少年の姿だった。全身の筋肉に血潮を迸らせ、僅かに、しかし確実に体の自由を取り戻しつつある姿だった。荒い息を放ちながら、彼は着用していた黒い革ジャケットをはち切らせんばかりに膨張させる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
彼の叫びと同時に、ぶちり、ぶちりと何かが切れる音がした。その瞬間、完全に束縛されていたはずのイーロンの肉体が勢いよく解き放たれた。己を縛る鎖を引きちぎった獣をも思わせるその光景に、観客達はいつの間にか目を奪われていた。
「う…嘘よ…。どんな力自慢だって、自力じゃどうにもできないはずなのに…⁉」
「何驚いてんだぜ、盗人…。ぶっ飛ばされる準備は出来てんだろうなぁ!」
木霊する雄叫び。怯む女に鉄拳が突き出されたその瞬間、
「そこまで」
何倍も静かで、しかし何十倍も威圧的な声が洞窟中に響いた。
「新入隊員が争っていると通報を受けて来てみましたが…随分と酷い有様ですね」
センサーライトの光を受けて、彼女の眼鏡がきらりと光る。闇の中から現れたペネトラ大隊長はイーロンとネリアの間に割って入り、目を丸くする2人を見下ろした。
「あなた達の様な問題児には、少々躾が必要ですね」
突如として現れた彼女は表情を崩さぬまま、凍りつく2人に迫る。先程まで殺気に溢れていたイーロンの威厳はどこに行ったのか、いつの間にか滝のような冷や汗を流しながら目を泳がせている。
「ち、違うんだぜ大隊長…こ、これは」
「問答無用」
ドスっと鈍い音が響き、イーロンは地べたに倒れ込んだ。首の後ろを叩かれて口から泡を吹いている彼の身体を跨いで、ネリアにも同様に鉄槌を下す。
「ひっ!怖っ!」
反射的にその一撃を回避したネリア。そのままペネトラから距離を離れようとしたものの、すかさず繰り出されたペネトラの拳を鳩尾に受け、彼女も成す術なく倒れ伏した。
一瞬の状況の変わり様に言葉を失い、唖然とする隊員一行。それで全てが終わるかと思えたその時、ペネトラは近くにいた女性隊員にも鉄槌を浴びせた。
「ぺ、ペネトラ大隊長!彼女は何も…!」
「何もしていないと?そんなまさか。“何もしなかった”の間違いでしょう?喧嘩を止めなかったあなた達にも躾の必要があるのは当たり前でしょう」
それだけ言うと、ペネトラは次々と他の隊員たちにも鉄槌を下していった。その恐ろしさはクリーチャーのそれと何ら違いはなく、ロビンもその光景に恐怖したまま、いつの間にか気を失っていたのだった。
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