第1章 憧れへの挑戦

第2話 Ⅰ BEGINNING 

 「前方100m先に複数の高エネルギー反応検知。総員、警戒態勢!」

「「「了解」」」」


 土に囲まれた狭い空間で、十数人の青年たちが武器を構えた。前方から聞こえる異様な物音に最大限の注意を払いながら、彼らはじりじりと暗闇に近づいていく。

 その時、暗闇の向こうから巨大な刃が青年たちを襲った。そこから現れたのは、黒い体をした巨大なカマキリの様な化け物だった。


「クソッ!こいつ、未確認のクリーチャーか!?」

「近づくと危険です!歩兵班は直ちに退避!射撃班は総攻撃で牽制!総隊長も援護を…」


 集団の後方で指示を出す研究員の背後から、2m程の背丈の大男が現れる。彼は煙草の煙を吹かすと、腰の鞘から刀を抜いてボソッと呟いた。


「お前ら、今日は何の日か分かるか?」

「こんな時に何言ってるんですか、総隊長!?」

「今日は選考試験当日だ。一足先に新入りの顔を見る為に、さっさと仕事終わらせて帰るぞ」


 大男の身に纏うオーラに危機感を覚えて、周囲の青年たちは直ちにその場を離れる。大男が一つ深呼吸を置くと刀に雷が迸り、真っ暗闇だった洞窟の通路が昼間のように明るくなった。


「荒れ狂え」

 ━━━━━━━━━━━「飛電」━━━━━━━━━━━━


 *****


 地恵期20年2月10日

 マインズ ストネア区 午前7時半


 その日はいつにも増して静かな朝だった。

 ほとんど光が差さない裏路地。錆にまみれ、埃を積もらし、汚水が地面を濡らす。そんな寂れた場所を、場違いにも小綺麗な服を纏った少年が1人で歩いていた。

 白い肌と可愛げのある整った顔立ち。優しくも儚い表情に光る碧色の瞳。華奢な体に気品のある緑のコートを纏い、背部に取り付けられた革製のホルダーにはそんな様相には似つかわしくない黒い鉄製の弓が固定されている。艶やかな黒髪から飛び出すアホ毛がふわりと揺れて、その少年──ロビン・クィリネス──はふと空を見上げた。


「今日も、少し寒いな」


 ロビンの視線の先では、地表に繋がる巨大な換気扇がゆっくりと回っていた。辺り一帯の淀んだ空気が外界の冷えた空気と交差する。微かな肌寒さを感じた彼は少しばかり歩みを速めた。

 やがて道幅が広くなると街の賑やかな声が聞こえ始める。広場の中央にある大きな噴水の前に立つと、ロビンは何気なくその水面を見つめた。ガラスの様に透き通る水面に、緊張で少し引きつった自分の顔が映る。


「きゃあぁ!ひったくりよぉ!!!」


 近くから老婆の叫び声が聞こえた。驚いて顔を上げると、覆面の男が鞄を抱えて老婆から逃げているではないか。ロビンがそれを追いかけようとしたその時、


「喰らえ!正義のドロップキッッック!!!」


 街角から人が飛び出し、覆面の男にドロップキックを喰らわせた。ドガン!と激しい衝撃音と共に、ドロップキックを食らわせた少年は高らかに笑った。


「はっ!俺が住むこの地域で悪事を働こうなんざ百年早いんだよ!」


 その声に気づいて、近くの建物から人々が顔を出した。


「気の毒にな、このひったくり!レハトのドロップキックはさぞ痛ぇだろ!」

「流石レハトだ!これなら今日の選考試験も1位通過間違いなしだな!」

「レハト兄ちゃんすげぇー!」


 ドロップキックの少年──レハト・ダイア──は、ふっとばされた鞄を拾うと、老婆に丁寧に手渡した。


「ありがとねレハトちゃん。あんたがいると心強いわ」

「どういたしまして。ばあちゃんも気を付けろよ」


 レハトは、190㎝はあろう屈強な肉体とは裏腹に、子供のように無邪気な笑顔を浮かべる茶色い短髪の少年だ。肌は褐色でお世辞にもハンサムとは言えない顔立ちではあるものの、活力が漲って溌溂とした容姿である。色褪せたカーキのシャツの上にブラウンベストを羽織っていて、下半身には白いカーゴパンツを穿いている。

 そして何より目立つのが、彼が背負う不自然なほど巨大な黒い物体。長さ2m程の巨大なハンマーだ。銀色の柄にギラギラと輝く黒い鎚が乗り、中央には鈍色の宝石が埋められた殺意に満ち溢れる鈍器。恵まれた肉体に巨大な武器という光景は、まさに鬼に金棒を体現しているかのようだ。


「レハト、今日も随分と派手にやったね…」

「おぉ、ロビンか!おはよう!」


 レハトと幼馴染であるロビンは、気絶した覆面男に憐れみの表情を向けた。男の頭には巨大なたんこぶが出来ていて、ロビンも思わず苦笑いになった。


「お前ら、今日は大事な試験だろ?この男は俺達が警察に突き出しとくから、早く行って来いよ!」

「ありがとうございます!」

「じゃあ行って来るぜみんな!応援よろしくな!」


 ぶんぶんと手を振るレハトと共に、ロビン達は噴水を後にして駅へと走った。改札を通り、エレベーターが縦に連なったような形のモノレールに乗車する。エレベーターの様に直下に移動するこの乗り物の中は、普段ならくたびれたサラリーマンで溢れているのだが、この日だけは10代~20代の若者が多い。彼らに圧迫されている常連の大人達は、少々肩身が狭そうな雰囲気で今日の朝刊を読んでいる。

 どこか緊迫した空気に満ちる車内。そんな中、唯一緊張感のカケラも見せずに真っ暗な窓の外を眺めていたのが、他でも無いレハトであった。周囲とは少々ずれた心持ちをしているレハトに、ロビンは呆れた顔で話しかける。


「レハト、流石に昨日くらい勉強したよね…?」

「いいんだよ勉強なんて!四択問題全部当てれば合格出来んだろ!」

「君って奴は…」


 レハトの言葉に呆れてロビンがため息を吐いたその時、モノレールの外から耳障りな騒音が鳴り響いた。それと同時に目に入ったのは、暗闇に慣れ切った目に差し込む無数の光。彼らは咄嗟に目を背けて、その後ゆっくりと車窓の外の景色を見た。


「これが…っ!」


 そこから見えたのは、全長100メートル程のタワーと煌々と輝く無数の建造物達。無機質なビル街が洞窟内を圧迫するように立ち並び、天井に取り付けられた環状の白い照明が街中を照らしている。中央に広がる巨大な湖が照明と街灯の光を受けて鮮やかに輝き、ロビン達を含めた車内の受験生は例外なく息を飲んだ。

 

「いよいよだな」

「…うん」


 それまで苦い顔を浮かべていたレハトの表情に、いつもの笑顔が戻る。夢を見る無邪気な子供のように真っ直ぐな目だった。それを見て、ロビンも不意に自分の少年時代を思い出した。緊張と恐怖はあったが、それでも決して後戻りしたいとは思わなかった。ずっと昔から、そう覚悟を決めていたのだから。


「行くぞ」


 レハトの凛とした声にロビンは力強く頷いた。


【ユーサリア】人口約400万。人類が住むこの第7洞窟の首都にして最大の街である。セントリアス湖と呼ばれる湖に沿って街が栄え、湖上には国の重要機関が集まったセントリアス区が浮かんでいる。

 彼らが目指す試験会場は、セントリアス区の中でも飛び切りの高さを誇る建造物【トレイルブレイザーベース】。側面の中央が縦型のガラス張りになった白い塔。高層階はピラミッドのような三角形の構造になっており、その中央にある巨大な時計が街のシンボルらしい存在感を放っている。高さは108m。洞窟内という前提から考えれば異様な高さである。

 街はその塔を中心にして、高層ビルがそびえ立っている。人口、建造物、広さ、活気。その全てにおいて、ユーサリアという街は彼らにとって規格外だった。


 街に到着した2人は、上空を漂うホログラム広告や洞窟の闇を照らすカラフルな光に目を奪われながら、目的地である試験会場を目指している。遠くの方では寂れた荒地こそ見えるものの、それにさえ目を瞑れば活気溢れる素晴らしい街並みだ。人混みに押し潰されながら進んでいく彼らの姿は、さしずめ甘いものに群れなす蟻の行列。そんな状況に疲れ始めていた頃、試験会場に繋がる大通りのど真ん中で、事件は唐突に起きた。


「きゃあああ!!!」


 突如として湧き上がる悲鳴。受験生を包んでいた緊迫の雰囲気が一瞬にして凍り付いた。その場にいた誰もが悲鳴のした方を向き、顔を青ざめさせる。街の一角から煙が上がり、火災が発生していたのだ。周りの様子から、それがただの火事ではないという事は明白だった。煙の中にその影が映る。

 蛇のように細長いフォルム。その全長は推定10m。体を折り曲げてビルの2階程の高さまで頭を持ち上げるその姿は、まるで“突然変異したミミズ”のようであった


「うわぁぁぁ!!!」

「逃げろ!早く逃げろぉ!」

「誰か!アイツを倒して!」


 【クリーチャー】───それはかつてこの星に生きていた生物の姿に酷似した、謎に包まれた恐怖の象徴。いつから、どこで、何のために存在しているのか、その全てが不明。ただ洞窟内に足を踏み入れた人類に、天罰の如く襲い掛かる生命体。

 レハト達が出会ったのは、そんなクリーチャーの一種{タイトゥンワーム}。地中から現れては対象に巻き付き、ピンクの体液であらゆるものを融解するミミズ型の怪物である。

 不幸にもそれと遭遇してしまった民衆は悲鳴を上げ、助けを求め、それぞれの形で逃げ惑う。一方で、その姿を目撃した2人はじりじりと後退しながらクリーチャーの動きを注視していた。


「まさか、こんな時にタイトゥンワームが出没するなんて…!」


 ロビンの驚く姿を横目に見ながら、レハトは一瞬動きを止めた。過去のトラウマを想起するかのように彼の眼が光を失う。そして”あの時”と同じように、額に冷や汗が浮かび、指の先が凍りついた。


(…怖い、…怖い、…怖い)


 記憶。レハトの頭にフラッシュバックしたのは、かつてクリーチャーに襲われた時に経験した悪夢のような記憶だった。家族とはぐれ、1人洞窟内に取り残された14年も前の出来事。

 しかし、あの日から何も変わっていない。恐怖に囚われた体は再び動く事を忘れ、立ち尽くし、ただ微かに動く眼球で、人々を蹂躙する怪物の姿を睨む事しかできなかった。


「早く僕達も逃げよう!この距離なら、いつ奴に襲われてもおかしくない!」


 そう言うロビンの声は酷く震えていた。

 彼の言い分は正しい。そんな事はレハトも当然理解していた。それでもレハトは、その言葉に従う訳にはいかなかった。怯える事しか出来なかった在りし日の自分とは違うと、自分自身に証明する為に。


「待てよ!」

「……?」

「俺達志望だろ?助けなくていいのか!?こんな人混みに出現されて、大勢の人達が襲われてるんだぞ!!!」


 レハトは力の限り声を絞り出した。震えが混じったその声には、どこか固い意志を感じさせる。その言葉は目の前に立つロビンに向かって放たれているというよりも、寧ろ自分自身に言い聞かせていると表現する方が正しいように思えた。


「何馬鹿な事言ってるの!?このままじゃ僕達の命も危ないんだよ!?」

「だとしても、あの人達を見捨てるわけにはいかないだろ!!」


 そう言うと、レハトは逃げ惑う市民や受験生の流れに逆らって歩き、担いでいたハンマー型の“オブジェクト”を下した。その歩みを、ロビンは腕を伸ばして必死に止める。


「街中でのオブジェクトの使用は法律で禁止されている事くらい知っているでしょ!?助けを待つべきだよ!!」

「んなもん知るか!目の前で人が襲われているのにそれを見殺しにするなんて、それこそ殺人と変わらないだろ!?」


 彼の眼には、最早幼馴染のロビンでさえも抑えきれないような燃える闘志が宿っていた。そのぎらついた眼光はただ目の前の化け物のみに向けられ、まるで自分よりも大きな相手に立ち向かわんとする獣の子のように勇猛な光を込めて輝いていた。


「本当に馬鹿なの!?そりゃ君が戦えば勝てるだろうけど、それで捕まったりでもして試験を受けられなくなったらどうするの!?」

「だとしても!…そのために誰かの命を無駄にするなんて事、俺は正しいとは思わない!」


 レハトの暴走を止めようと試みるロビンの力が少しずつ抜けていく。今レハトを行かせれば彼の夢は途絶えてしまうかもしれない。しかし彼をこのまま制止していれば、そんな憧れの姿が絶望の色に染まってしまうことも確かだった。ロビンは決断の淵に立たされた。そして一瞬の逡巡の末に、ロビンは無意識にレハトの腕を離していた。


「悪いなロビン。俺は行くぞ…!」

「待って!待ってよレハト!!!」


 疾風の如き俊足で、レハトは即座にタイトゥンワームの懐に潜り込む。己より遥かに大きな怪物にも屈する事なく果敢にハンマーを振りかぶったレハトは、自分を鼓舞するかのように荒々しい叫びを上げながら、怪物の貧弱な体に全力の一撃を喰らわした。赤い鮮血。飛び散る肉片。反応する間もなく粉砕されたタイトゥンワームは泣き叫ぶような断末魔を上げながら宙を舞い、路上を真っ赤に染め上げる。その凄惨な光景の中で、レハトは更に衝撃的な出来事に気づく。


「まさか、2体目もいるのか…!?」


 そこから80m程離れた場所で1人の少女が転んでいるのが目に入った。レハト達と同じくらいの年で、派手な赤いドレスを身に纏ったツインテールの少女だ。ところが彼女の足元では、気味の悪い動きをした2体目のタイトゥンワームがズルズルと地を這っていた。

 マズイと直感して、レハトは一目散に走りだす。しかしタイトゥンワームは彼女の体に巻き付く直前であり、ここからでは間に合わない事をすぐに悟った。

 彼女が絶望に満ちた表情でこちらを睨む。その頬にはガラス玉のように輝く涙が流れ、レハトは自分の顔面から血の気が引いていくのを感じた。走れども、走れども、その距離が縮まっている心地はしない。どれだけ足を動かしても、手を伸ばしても、それは届かなかった。伸ばした右の掌が虚空を掴む。額から汗が滴り落ちる。その時だった。


 ブゥン!


 レハトの横を、一筋の疾風が駆けた。風を切り、空を裂き、その“矢”は怪物の胴体を見事に射貫く。緑色に輝く風の矢はタイトゥンワームに一つの風穴を開け、彼女から退けさせた。


「ピィィィィィィィ!!!!!」


 タイトゥンワームの甲高い断末魔が鳴り響く。その一部始終を見ていた周りの一般人は、汗を流しながら驚きの目でレハトの後方を見つめていた。何かを予感し、レハトは咄嗟に振り向く。そこには緑の光を放ちながら自分の弓型オブジェクトを構える彼の幼馴染、ロビンの姿があった。


「ロビン…!」

「…ぁ……あっ……!」


 ロビンは自分の状態とタイトゥンワームを交互に見て、肩を震わせながら驚いていた。彼の全身からは冷汗がどっぷり流れていたが、レハトはいつの間にか、その様子に少し笑みを浮かべていた。


「ピッ…ピィィィィィィ!!!ピィィィィィィピィィィィィィ!!!!!」


 逆上したタイトゥンワームは傷跡から赤い血を流しながら活動を再開した。化け物は少女への興味を失い、ただ2人目掛けて真っ直ぐに襲い掛かる。しかし、既にレハトは恐怖の震えから解放されていた。

 手に汗が滲む。心臓の鼓動が速くなる。両腕に熱い血潮が迸り、レハトは固くハンマーを握った。全身に力を込めて高くハンマーを振り上げ、その力を一気に解放し、彼は渾身の力で叫んだ。


「デヤァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!」



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