第2話 雷鳴轟いて
【ユーサリア】
人口約400万。人類が住むこの第7洞窟の首都にして最大の街である。セントリアス湖と呼ばれる湖に沿って街が栄え、湖上には国の重要機関が集まったセントリアス区が浮かんでいる。
レハトとロビンが目指す試験会場は、セントリアス区の中でも飛び切りの高さを誇る建造物【トレイルブレイザーベース】。側面の中央が縦型のガラス張りになった白い塔である。高層階はピラミッドのような三角形の構造になっており、その中央にある巨大な時計が街のシンボルらしい存在感を放っている。高さは108m。洞窟内という前提から考えれば異様な高さである。
街はその塔を中心にして、高層ビルがそびえ立っている。人口、建造物、広さ、活気。その全てにおいて、ユーサリアという街は彼らにとって規格外だった。
「おいロビン、あの遠くに見える建物は何だ?」
「あー、あれはユーサリアのスラムじゃないかな?」
「なるほど。俺達の住むマインズとは違って、ユーサリアはスラム地区と都市地区がちゃんと分かれてんだな」
すり鉢状になっているユーサリアの地形は、中心の低地に発展した地域が集中しており、外縁部の高地にははぐれ者達のスラム地域が広がっている。この区別化が、ユーサリアの治安の維持に貢献している事は、最早言うまでもない。
「きゃあああ!!!」
その時、突如として湧き上がった悲鳴。受験生を包んでいた緊迫の雰囲気が一瞬にして凍り付いた。その場にいた誰もが悲鳴のした方を向き、顔を青ざめさせる。街の一角から煙が上がり、火災が発生していたのだ。周りの様子から、それがただの火事ではないという事は明白だった。煙の中にその影が映る。
蛇のように細長いフォルム。その全長は推定10m。体を折り曲げてビルの2階程の高さまで頭を持ち上げるその姿は、まるで《突然変異したミミズ》》のようであった。
「うわぁぁぁ!!!」
「逃げろ!早く逃げろぉ!」
「誰か!アイツを倒して!」
【クリーチャー】───それはかつてこの星に生きていた生物の姿に酷似する、謎に包まれた恐怖の象徴。いつから、どこで、何のために存在しているのか、その全てが不明。ただ洞窟内に足を踏み入れた人類に、天罰の如く襲い掛かる生命体だ。
レハト達が出会ったのは、そんなクリーチャーの一種{タイトゥンワーム}。地中から現れては対象に巻き付き、ピンクの体液であらゆるものを融解するミミズ型の怪物である。
不幸にもそれと遭遇してしまった民衆は悲鳴を上げ、助けを求め、それぞれの形で逃げ惑う。一方で、その姿を目撃した2人はじりじりと後退しながらクリーチャーの動きを注視していた。
「まさか、こんな時にタイトゥンワームが出没するなんて…!」
ロビンの驚く姿を横目に見ながら、レハトは一瞬動きを止めた。過去のトラウマを想起するかのように彼の眼が光を失う。そしてあの時と同じように、額に冷や汗が流れ、指の先が凍りついた。
(…怖い、…怖い、…怖い)
記憶。レハトの頭にフラッシュバックしたのは、かつてクリーチャーに襲われた時に経験した悪夢のような記憶だった。家族とはぐれ、1人洞窟内に取り残された14年も前の出来事。
しかし、あの日から何も変わっていない。恐怖に囚われた体は再び動く事を忘れ、立ち尽くし、ただ微かに動く眼球で、人々を蹂躙する怪物の姿を睨む事しかできなかった。
「早く僕達も逃げよう!この距離なら、いつ奴に襲われてもおかしくない!」
そう言うロビンの声は酷く震えていた。
彼の言い分は正しい。そんな事はレハトも当然理解していた。それでもレハトは、その言葉に従う訳にはいかなかった。怯える事しか出来なかった在りし日の自分とは違うと、自分自身に証明する為に。
「待てよ!」
「……?」
「俺達トレイルブレイザー志望だろ?助けなくていいのか!?こんな人混みに出現されて、大勢の人達が襲われてるんだぞ!!!」
レハトは力の限り声を絞り出した。震えが混じったその声には、どこか固い意志を感じさせる。その言葉は寧ろ、自分自身に言い聞かせていると表現する方が正しいように思えた。
「何馬鹿な事言ってるの!?このままじゃ僕達の命も危ないんだよ!?」
「だとしても、あの人達を見捨てるわけにはいかないだろ!!」
そう言うと、レハトは逃げ惑う市民の流れに逆らって歩き、担いでいたハンマー型のオブジェクトを下した。その歩みを、ロビンは腕を掴んで必死に止める。
「街中でのオブジェクトの使用は禁止されている事くらい知っているでしょ!?助けを待つべきだよ!!」
「んなもん知るか!目の前で人が襲われているのにそれを見殺しにするなんて、それこそ殺人と変わらないだろ!?」
彼の眼には、最早ロビンでさえも抑えられないような燃える闘志が宿っていた。そのぎらついた眼光はただ目の前の化け物のみに向けられ、まるで自分よりも大きな相手に立ち向かわんとする獣の子のように勇猛な光を込めて輝いていた。
「本当に馬鹿なの!?そりゃ君が戦えば勝てるだろうけど、それで捕まったりでもして試験を受けられなくなったらどうするの!?」
「だとしても…そのために誰かの命を無駄にするなんて事、俺は正しいとは思わない!」
行かせるべきか、止めるべきか。ロビンは決断の淵に立たされた。
本当は行ってほしくない。大切な友達を危険な目に遭わせたくない。そう思うのは幼馴染として当然だった。けれどそれ以上に、ロビンはレハトの悲しむ姿を見たくなかった。目の前で人が死ぬ様を、レハトにだけは何があっても見せたくなかった。
ロビンは無意識にレハトの腕を離していた。
「悪いなロビン。俺は行くぞ…!」
「待って!待ってよレハト!!!」
疾風の如き俊足で、レハトは即座にタイトゥンワームの懐に潜り込む。己より遥かに大きな怪物にも屈する事なく果敢にハンマーを振りかぶったレハトは、自分を鼓舞するかのように荒々しい叫びを上げながら、怪物の貧弱な体に全力の一撃を喰らわした。赤い鮮血。飛び散る肉片。反応する間もなく粉砕されたタイトゥンワームは泣き叫ぶような断末魔を上げながら宙を舞い、路上を真っ赤に染め上げる。その凄惨な光景の中で、レハトは更に衝撃的な出来事に気づく。
「2体目か…!?」
レハトの視線の先にいたのは、地面に横たわる1人の少女だった。レハト達と同じくらいの年で、派手な赤いドレスを身に纏ったツインテールの少女だ。そんな彼女の足元で、気味の悪い動きをした2体目のタイトゥンワームがズルズルと地を這っていたのだ。
マズイと直感して、レハトは一目散に走りだす。しかしタイトゥンワームは彼女の体に巻き付く直前であり、ここからでは間に合わない事をすぐに悟った。
彼女が絶望に満ちた表情でこちらを睨む。その頬にはガラス玉のように輝く涙が流れ、レハトは自分の顔面から血の気が引いていくのを感じた。走れども、走れども、その距離が縮まっている心地はしない。伸ばした右の掌が虚空を掴む。額から汗が滴り落ちる。その時だった。
ブゥン!
レハトの横を、一筋の疾風が駆けた。風を切り、空を裂き、その矢は怪物の胴体を見事に射貫く。緑色に輝く風の矢はタイトゥンワームに一つの風穴を開け、彼女から退けさせた。
「ピィィィィィィィ!!!!!」
タイトゥンワームの甲高い断末魔が鳴り響く。その一部始終を見ていた周りの一般人は、汗を流しながら驚きの目でレハトの後方を見つめていた。何かを予感し、レハトは咄嗟に振り向く。そこには緑の光を放ちながら自分の弓型オブジェクトを構える彼の幼馴染、ロビンの姿があった。
「ロビン…!」
「…ぁ……あっ……!」
ロビンは自分の状態とタイトゥンワームを交互に見て、肩を震わせながら驚いていた。彼の全身からは冷汗がどっぷり流れていたが、レハトはいつの間にか、その様子に少し笑みを浮かべていた。
「ピッ…ピィィィィィィ!!!ピィィィィィィピィィィィィィ!!!!!」
逆上したタイトゥンワームは傷跡から赤い血を流しながら活動を再開した。化け物は少女への興味を失い、ただ2人目掛けて真っ直ぐに襲い掛かる。しかし、既にレハトは恐怖の震えから解放されていた。
手に汗が滲む。心臓の鼓動が速くなる。両腕に熱い血潮が迸り、レハトは固くハンマーを握った。全身に力を込めて高くハンマーを振り上げ、その力を一気に解放し、彼は渾身の力で叫んだ。
「デヤァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!」
──────そうして振り下ろされた鉄鎚は、何故か虚を裂いた。
ドンッ!
急によろめいたレハトは、バランスを崩してそのまま横に倒れこむ。
「な…なんだ…!?」
すぐさま足元を確認する。レハトが先程まで立っていた場所には1m程の巨大な穴が空いており、そこからもう一体のタイトゥンワームが頭を出していたのだ。
「何体いるんだよ…!?」
突然の状況に困惑しながらも、レハトはすぐにハンマーを持とうとしたが、先程の衝突でハンマーは遠くに吹っ飛ばされていた。取りに行こうにも、脚を怪我して自由に立ち上がれさえしなかった。
「うわあぁぁ!!!」
続いて、遥か後方でも叫び声がした。地中から次々とタイトゥンワームが姿を現し、人々を襲っていたのだ。その中には動揺して戦意喪失したロビンの姿も見える。
「……まだ…まだだ!」
辛うじて瞳に光を残していたレハトは、諦めまいと地を這いつくばって懸命に腕を動かす。しかしそんな悪あがきも虚しく、まるで赤子を弄ぶかのようにタイトゥンワームに腕を押さえつけられた。
「…ぐっ…あぁ…ぁぁぁっっ!!!」
タイトゥンワームから分泌された粘液がレハトの太い腕の皮膚をゆっくりと溶かす。低温の火で炙られているかのような痛みを感じ、レハトは悶え叫んだ。目の前に立ち塞がる10mもの巨体を見上げたその瞬間、レハトの瞳からは今度こそ光が途絶えた。
遠くから苦痛に満ちた激しい悲鳴が聞こえて来る。
逃げ場など無い。
助けてくれる人もいない。
瞳を持たないタイトゥンワームからは、何の考えも読めなかった。
ただそこにある餌を喰らうだけの無知な獣の様に、その口は開いた。
いつの間にか、レハトの思考は停止していた。
次の瞬間、世界が光に包まれた。
突如招来した一閃の光に目は眩み、視界が明滅する。顔を背けて目を瞑ったその刹那、一歩遅れて届いたのは鼓膜を破る轟音。大地を裂き、心臓を震わす雷鳴に、レハトは思わず体を縮めた。
(何が…起こった…?)
突然の衝撃に頭の整理が追いつかない。レハトは瞼を注意深く上げ、ゆっくりと周囲を見渡す。目の前には洞窟の砂利道を大きく抉った一本の太い線が引かれ、周りの人間は口をぽかんと開けてレハトの前方を眺めていた。
依然としてチカチカする視界と、雑音が混じる耳鳴りに惑わされながら、レハトは抉られた線の先を見つめた。
「あれは…!」
レハト達が見つめる先に立っていたのは1人の男だった。そのあまりに大きすぎる背中は、レハトがかつて憧れた英雄の背中に驚くほど類似していた。絶対に倒れる事のない逞しい姿から発せられる驚異的なオーラに、その場にいたすべての人間が圧倒されてしまった。彼らは、その男を知っていた。
「ライデン・ボルティア……!?」
ボロボロのダメージジーンズを穿き、白いタンクトップに金色のミリタリージャケットを羽織ったワイルドな服装。手入れのされていないボサボサな栗色の髪に混ざる金色のメッシュ。そして2mを軽く超える巨体と鍛え抜かれた力強い肉体。この洞窟に住む人間のほとんどが彼を知っている。絶対的な強さを誇り、人類を幾度もクリーチャーの魔の手から救って来た英雄の1人なのだから。
「大丈夫か?そこの少年少女」
トレイルブレイザー開拓部隊総隊長、ライデン・ボルティア。それが彼の名前である。
勇ましさと優しさに満ちた頼り甲斐のある一声に、周囲の受験生から歓声が舞い上がった。安堵したレハトは膝から力が抜け落ち、その場にへたり込む。依然として聴こえる爆音の鼓動。それは恐怖からではなく、憧れの人物が目の前に立っている高揚感からであった。
レハト達受験生が今から挑もうとしているもの。それこそが、人々をクリーチャーの魔の手から守る【トレイルブレイザー】の選考試験。2人にとってこの朝の出来事は、試験当日の朝にしてはあまりに刺激的すぎるものだった。
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