【第80話】 籠った熱 2
「髪が……。少し待ちなさい」
黒いシャツの釦が一瞬ですべて外される音がした。それと同時に、シャツが大きくばさりとはだけられる。
熱い額と頬が、瞼が皮膚に触れた。冷たい肌は白磁器のように
ふと、わたしの寝台にヴィーリアがいた朝のことを思い出す。
釦はほとんど外れていて、シャツもはだけていた。わたしの髪が釦に引っかからないように、外してくれていたのかもしれない。
「こんなにも従順な貴女は珍しい。ですが……」
「……今だけ、だから」
ヴィーリアに触れているのに、それだけでは治まらなかった。張り付くような冷たさを感じた肌も、熱が移ってすぐに
熱い。
熱くて、熱くてどうしようもない。
泉にこんこんと湧き出る水のように、熱が身体の奥から湧いてくるようだ。熱の発散を妨げて肌にまとわりつく衣服も、できることならすべて脱ぎ棄ててしまいたい。でも、そうするわけにもいかない。
熱を意識するとさらに……身体の熱が上がってゆく。悪循環だ。
「ミュシャ、私に移しなさい」
移す……? 熱を? これ以上、どうやって?
冷たく長い指が顎にかかった。瞼を開けられないまま、少し持ち上げられる。
さらさらと耳元で音がした。白銀色の髪が頬を滑り落ち、耳の横を流れてゆく。
冷たくて柔らかくて、しっとりとした……なにかが唇に触れた。
この感触は知っている。唇だ。ヴィーリアの。
それはそっと触れてから、ゆっくりと重なっていった。
熱が籠ってしまった身体に、合わせられた唇から冷気が吹き込まれる。その冷たさは粉雪のようにさらりとしていた。
実際のところは冷気を吹き込まれたのか、熱を吸い取られていたのかはよく解らなかった。両方なのかもしれない。
冬の始まりに降る粉雪のような湿度のない冷たさが、爪先や指の先に、頭の天辺までにも急速に広がって熱を奪い、わたしを冷やしてゆく。
どのくらいそのままでいたのだろう。
ほんの少しの時間だったようにも、とても長かったようにも思えた。
身体の芯から燃えているような感覚が鎮まってゆくと、肌の温度が下がり始める。身体が冷めていくのがわかった。
柔らかな唇が離される。
「今は……眠りなさい」
長い指が瞼にかかる。
『お嬢さんが、まだ、人ならね』
どこからかロロス司祭様の声が聞こえたような気がした。
やがて卵の
わたしは……なにかが変わってしまっているのだろうか?
眠りの魔術にかけられて深い眠りへと落ちる前に、ふと、そんなことを思った。
***
「お嬢様、まだ無理はなさらないでください」
寝台から起き上がろうとするとベルに止められた。
「もう大丈夫よ」
「お嬢様の大丈夫は大丈夫ではないと、ヴィーリア様から言い付かっておりますので。それについてはわたしも同感でございます」
ベルはそこは譲れないというように、ぴしゃりと言い切った。
そこまで手が回っているとは……。わたしの『大丈夫』は非常に信頼度が低いようだ。
「でも……寝ているだけなのは退屈なの」
「お嬢様には休養が必要だとヴィーリア様は仰っておりました。……お疲れから熱を出されたのですから……ゆっくりとなさってください」
ベルは声を詰まらせる。
そんな顔をされたら……なにも言えない。ベルにはいつも心配をかけてしまう。
……ごめんね、ベル。
あの夜――ヴィーリアはわたしを抱えて屋敷へと戻った。
屋敷の皆に「疲労からの発熱です。私が処方した薬を飲ませました。しばらくは目を覚ましませんが、心配は要りません」と説明をしたようだ。
それからわたしは三日三晩、
ヴィーリアは公都で医術を学んだことになっている。それは皆も知っていた。ブランドたちは心配をしながらも、わたしの様子を見守ってくれた。
そして、アロフィス侯爵家からたまたま書類を届けに屋敷を訪れたレリオに、公都にいるお父様たちに同様のことを伝言したとブランドに告げていた。
わたしが眠り続けた三日の間は、ヴィーリアは傍を離れずに献身的に看病をしていたと、ブランドとベルから聞かされた。
そして四日目の朝に、つまり昨日の早朝のこと。
わたしは目を覚ました。
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