【第79話】 籠った熱 1



 「本当に帰った、のね?」


 「そのようですね。当分の間はおとなしくしているでしょう」


 ヴィーリアのその言葉に身体がふっと弛んだ。知らず知らずのうちに緊張して、強張っていたようだ。


 これで神殿側……ロロス司祭様たちとは一応、区切りがついたはず。


 そう思ったら……急に気が抜けてしまった。


 途端に身体がずしんと重くなったように感じる。膝がかくんと抜けてソファに腰が落ちると、そのまま深く沈み込んだ。


 「ミュシャ……」


 隣に腰を下ろしたヴィーリアに頬を両手でそっと挟まれた。熱で上気した頬にかぶさる、冷たい手のひらが心地よい。

 深い紫色の瞳は気遣うように覗き込む。


 二人きりになると……意図せずに告白などしてしまったことをいやでも意識してしまう。

 ましてや顔が近い。

 恥ずかしいし、その上、気まずい。

 ヴィーリアは……わたしが口を滑らせたことなど気にもしていないのだろうか。


 だけど……。

 今はそれどころじゃない。


 「大丈夫」


 かろうじてそう答えたものの、体調は急変していた。


 熱はさらに上がったみたい。身体の芯から燃えているように熱い。

 ブラウスの高襟ハイカラーが息苦しく、窮屈に感じる。

 身体にだるさを覚えると、すぐに腕は鉛のかせをつけられたように重くなった。力も入らない。身体を支えているのもやっとだった。なんだか、だんだんと頭もぼんやりとしてくる。


 「……」


 ヴィーリアは頬から手を離した。わたしとソファの間に腕を差し込む。そのまま身体を抱え上げると、横抱きにして膝の上に座らせた。

 両腕でしっかりと囲われると、胸の中にすっぽりと収まった。


 身体がとても熱くて、吐く息さえも熱いのがわかる。

 息苦しさに耐えられない。ブラウスの高襟ハイカラーの釦を外そうと腕を上げようとしたけど、重くて動かすことができなかった。

 それなのに、するりと鎖骨の辺りまでの釦がいっぺんに外れる。


 「これでいかがですか?」


 小さく肯いた。呼吸が楽になった気がした。


 ヴィーリアもいつもすぐにタイを弛める。察してくれたようだった。


 「わたし……どう、しちゃったの」


 口を動かすことも簡単ではない。


 「魂が混ざり合ったことによる影響でしょう。貴女の魂は、私による干渉を大きく受けるはずですから」


 『それはまだ、人の魂なのかな? それとも悪魔の魂?』


 背に回された腕に、ぽんぽんと調子リズムよく肩をさすられる。

 もう片方の手はわたしの髪の中に埋まり、長い指だけが髪をくように動かされていた。


 「つらいですか?」


 「だい、じょうぶ」


 どこも痛くはない。気分も悪くはない。ただ身体が重くて、とても熱くて、力が入らない。だるいし、頭はぼんやりとしているけど。


 ヴィーリアの胸にぐったりともたれかかり、わたしの身体のすべてを預けていた。冷たさが気持ちいい。触れているすべてから熱を吸収されているよう。


 薄く開けた瞼の隙間から見えた紫色の瞳に、わたしが映っていた。

 もはや瞬きをすることさえ億劫おっくうに感じる。


 「ヴィーリア……。きてくれて、ありがとう」


 「そのせいで……こうなっているのだとしても?」


 「だって……」


 嬉しかったから。


 あの領域から――ロロス司祭様から逃げ出して、絶対に戻りたいと思っていた。

 でも、方法が解らなかった。

 ……ほんの少しだけ、もう、戻れないかもしれないとも思ったのに。


 「申し上げていたはずです」


 回された両方の腕に力が入り、さらに強く抱きしめられる。わたしを覆うようにかぶさると、ぐっと耳元に顔を寄せた。冷たくて柔らかな唇が左耳のふちに微かに触れる。


 「神殿に契約を解かせる気も、貴女を手放す気もありません、と。貴女は……永遠に私のものです」


 そう囁くと、白銀色の髪がわたしの顔にさらりとかかった。


 ……ヴィーリア。


 連れ戻してくれたから、また会えた。

 本当は忘れたくない。

 ぼんやりとした、回らない頭でそう思う。

 もう、瞼でさえ重い。目を開けていられなかった。

 深い紫色の瞳も艶やかな白銀色の髪も、灰昏い闇に溶けてなにも映らなくなる。


 黒いシャツのなめらかな生地越しに、頼もしくて大きな胸に包み込まれていた。背中に回された力強い手の感触に安堵する。


 護られている。そう感じることができる。


 ヴィーリアの胸の中のわたしは孵化ふかを待つ卵のようだと思った。温められているのとは逆に熱を冷ましてもらっているけど……。


 仔猫が手のひらに頬をすり寄せるように、額を黒いシャツの胸に寄せていた。


 熱のせい。すべては熱のせいだから。


 今だけ、だから……。




 

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