【第77話】 訊かなかったこと 1



 「ミュシャ」


 しっとりとした耳あたりのよい声がわたしを呼んでいる。

 今では知っているどの楽器の音色よりも好ましく響く声。


 ゆっくりと瞼を開ける。最初に淡い翠色の光が映った。それから深い紫色の瞳。次に白銀色の髪。


 わたしの身体はソファに仰向けに寝かされていた。見た目こそは岩そのものだが、クッションの柔らかさは身体に丁度いい。


 ヴィーリアはその横で硬い岩盤に片膝をついて、わたしの髪を指先で掬っている。


 「ヴィーリア……」


 戻ってくることができた―――。


 身体を起こそうとすると軽い眩暈と熱を感じた。あの領域で退かなかった熱の感覚は、まだこの身体にも残っている。


 「そのままでかまいません」


 「でも……」


 風邪を引いて身体の熱が上がっているときみたいに、皮膚が熱い。だけど関節が重く痛むとか、頭痛がするとか、気分が悪いわけではない。眩暈もすぐに治まった。

 ただ身体が熱い。


 ソファから起き上がるのをヴィーリアは手を引いて助けてくれた。

 冷たい肌がわたしの熱を吸収してゆく。れられた腕が気持ちいい。


 テーブルの向こう側で横たわっているのはセイン見習い司祭様だった。

 傍らにいるロロス司祭様は膝をついている。


 「セイン君。おーい、セイン君、大丈夫? 起きられる?」


 名前を呼んで肩をゆすっていた。

 それでも目を覚まさないと、今度は軽く頬を叩く。


 「……ううん」


 セイン見習い司祭様はわずかに唸ると、頬を叩く手を力なく払いのけた。

 それでも瞼は開かなかった。


 「はぁ……。起きないね……。抱えるなら女の子がいいんだけど、しょうがない」


 ロロス司祭様はため息をついてそう呟くと、セイン見習い司祭様の上半身を抱え起こした。そのままセイン見習い司祭様の腕をロロス司祭様の肩に回して身体をもたれさせる。


 神殿側……ロロス司祭様、セイン見習い司祭様とは、この先も相容あいいれることはないと思う。


 でも……彼らは彼らなりにわたしに心を配ってくれた。

 ……騙し討ちはどうかと思うけど。


 セイン見習い司祭様の意外と人懐こい笑顔が思い浮かぶ。


 「あの、セイン見習い司祭様は大丈夫?」


 「慣れない神聖力にあてられたのと、緊張で体力を消耗しただけみたいだから。まあ、心配はないかな」


 ロロス司祭様は「せーの」と、セイン見習い司祭様の腕をしっかりと掴み、反対の腕で腰を支えると寄りかからせて立ち上がった。頭をかくんと前方に垂らしたセイン見習い司祭様は、完全にもたれてしまっている。目が覚める様子はまったくない。


 「お嬢さんの方こそ……大丈夫なの?」


 今のところは身体が熱いだけ。

 大丈夫と答える前に、代わりにヴィーリアが口をいた。


 「心配されるようなことはなにもありません。早く立ち去りなさい」


 ロロス司祭様はヴィーリアに呆れ果てたというような視線を投げる。


 「ああ、そうですか。はいはい。……少し話すくらいは邪魔しないでほしいな」


 それでも懲りずにわたしの視線を捕らえてきた。


 「そういえば、もうひとつ訊きたかったんだ。どうして魔術師として契約しなかったの?」


 ……? なんの話?


 「あれ? まさか聞いてないの? 魔力を持ってること」


 「え!?」


 誰がって……わたしが? 魔力?


 半信半疑で頬をゆびさすと、ロロス司祭様は「そうそう」と軽く肯いた。


 思わずヴィーリアを見上げる。


 「訊かれませんでしたので」


 悪びれもせずに微笑んで平然と答えた。それから、ロロス司祭様に剣呑な眼差しを向ける。


 そうだった。……こういう性格だった。

 ヴィーリアのこの様子なら本当に……持っているらしい。魔力。

 教えてくれてもよさそうなものだと思う、けど。


 ヴィーリアはわたしに嘘をつけない代わりに、訊かなかったことには答えてはくれない。


 そんなことは訊かなかった。訊いてみようとも思わなかった。

 だって、魔力なんか持っているはずはないと思っていたから。

 幼い頃に会った巡礼の司祭様もなにも言ってはいなかった。


 混乱する頭にヴィーリアの手がぽんと置かれる。長い指で髪をくしゃりと優しくかき混ぜた。


 「確かに、貴女の血には魔力が宿っています。質はたぐまれなるものです。しかし……量としては極めて少ない。魔術師として契約を交わすためであれば、我々を召喚よぶことは容易ではなかったでしょう」




 

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