【第75話】 光と闇 1



  焦げ茶色の瞳を遠慮なく睨み返した。


 「あれ……? 驚かないの? 意外と豪胆だね」


 驚いていないわけではない。それよりも、ロロス司祭様に対する怒りと苛立ちのほうが強かった。


 「お嬢さんを相手にするにはセイン君にはまだ荷が重かったね。……まあ、後学のためにはなったかな」


 わたしの怒りなど気にも留めていないように、セイン見習い司祭様の姿をしたロロス司祭様は唇の両端を上げた。「ね?」と小首を傾げて同意を求める。


 姿形はセイン見習い司祭様なのに。

 物怖じしない眼差しや口調、仕草はロロス司祭様そのものだった。


 「僕はお嬢さんよりもちょっとだけ長く生きてるし、光に……輝主きしゅ様にも近い場所にいるから、お嬢さんよりも見えていることが少し広い。考え方の違いはあるけど、人々の幸福を願う気持ちは一緒だよ。もちろんお嬢さんの幸せも願っている。だから、正しい道に戻らないといけない。……今は、理解できないかもしれないけどね」


 「解りたくないわ。だって、今のわたしは……“今”生きているのよ」


 前世だろうが来世だろうが、そんなものは関係ない。


 ロロス司祭様が教義を大切にしようとすることは……解らなくもない。でも、ひとりひとりの今の人生だって大切なはずだ。そうでなければ懸命に生きる意味がなくなってしまう。 


 「そんなに……あの悪魔がいいの?」 


 セイン見習い司祭様と同じように眉を下げて、同じようにわたしを憐れむ表情かおをした。


 きらきらとしたものがロロス司祭様の足元に漂いはじめていた。ふわふわと舞いながら、瞬く間に数を増ましていく。


 それは金色の光の粒だった。


 光の粒は一瞬にしてロロス司祭様の足の先から頭の天辺てっぺんまでを包み込む。そして渦を巻きながら立ち昇り、消えてゆく。

 金色の光のあとには本来のロロス司祭様の姿があった。


 強めに波をうった濃い金色の髪を肩までたらしている。黄緑色の瞳はきらきらとやけに眩しい。

 顎に指を置いて腕を組みつつ、首を傾げていた。瞳は探るように細められて、わたしを観察している。


 「やっぱり影響があるのかな。魅了じゃないそれ。魂が……つながってるでしょう?」


 「……」


 答えるつもりはない。


 「否定をしないのは肯定とみなすよ。この領域で気配を感じたからおかしいとは思ってたけど……そんなこともあるんだね。よっぽど相性がいいんだ。執着されるわけだよね。……でも、大丈夫。ここに存在できるということは、お嬢さんはまだ“人間”だから」


 『まだ“人間”』って……。


 そんなことは考えたこともなく、当たり前にそのつもりだったけど……。


 魂が混じるとは、そういうことだったのかと今さらながらに理解する。


 ロロス司祭様は一歩ずつ、距離を詰めてくる。それに合わせてわたしは一歩ずつ、後ろに下がった。いつかと同じだ。


 「こちらにおいで。僕と一緒に行こう」


 ロロス司祭様はもの柔らかに優しく微笑む。そして、滑らかな白い手を差し出した。


 「それ以上、近寄らないで。契約は解除しないわ。何回言えば解ってくれるの? 契約者が解除を望まないなら手を引くしかないって言っていたじゃない」 


 「まだ間に合う。……僕は迷っている魂を見過ごすことはできないよ」 


 「だったらどうするの? 強制的に輪廻の輪に戻すの? わたしが願ったことをすべてなかったことにして? 今の“わたし”を途中で終わらせて? ……そんなことをしたら条約違反じゃないの?」 


 「強制的じゃない。違反案件でもない。お嬢さんが僕の手を取ってさえくれれば、ね。……きっとそれでよかったと思うはずだ」 


 きちんと話し合うことさえできれば、納得してもらえると思っていた。でも……ロロス司祭様には、それは通じないかもしれない。


 だって、わたしの話を聴く気がまったくない。


 ロロス司祭様は誰かに似ていると思った。もちろんヴィーリアのことだけど。


 二人の外見はまったく違う。金と銀。白と黒。正反対だ。それでも、醸し出す雰囲気は似ているように感じていた。それはやっぱり気のせいではなかった。

 理念のために平然として事を為そうとする姿勢が同じだ。ロロス司祭様は人の理のために。ヴィーリアは魂を対価とした契約のために。


 だけど……ヴィーリアの方が断然いい。わたしの話にきちんと耳を傾けてくれた。狭間はざまで迷い、悶える人間の弱さを美しいと言ってくれた。まあ、少し……倒錯気味に瞳が蕩ろけていたのは否定できないけど。


 ロロス司祭様は……その弱さを許さない。


 「絶対に手は取らない」


 断固として拒否する。


 「あのときもそうだった。勘もいいよね。予言系統なのかな?」 


 ロロス司祭様は前と同じに苦々しく微笑んだ。それでもわたしに伸ばした手を引っ込めようとはしなかった。


 あの手に触れてしまったら終わり。


 前回はヴィーリアが送った気配でロロス司祭様は退いてくれた。今回はそれに期待することはできない。


 どうしたら……ここから出ることができるのだろう。


 こんなことになるのならヴィーリアにいい顔はされなくても、レリオに無理をいってお願いしてでも、図書館に通っておけばよかった。

 なにも関連がないような題名タイトルでも、神聖術や魔術関連の本なら、なんでも読み漁ってくればよかった。もしかすると、なにかちょっとしたヒントくらいはあったかもしれない。


 今度、正式に仕事としてレリオを呼び出す許可をアロフィス侯爵家にぜひとも申請したい。レリオは受けてくれるかどうかはわからないけど、誠意を込めてお願いしてみよう。

 だから……どうにかしてここから出なくては。


 ふいに、左手の薬指に熱さを感じた。

 指輪が熱をもっていた。そのせいで薬指が焼けるように熱くなる。


 薔薇の蕾のようにカットされた紫色の緑柱石ベリルから、突如として閃光が放たれた。


 「!?」


 強く光ったのは一瞬だけ。だけど、紫色の緑柱石ベリルは輝きを保ち、光を放ち続けている。強く輝いたかと思うと弱くなり、また強く輝くことを繰り返す。


 なに……これ?


 くらりとした眩暈めまいを覚えると、途端に目の前がぐるぐると激しく回り出す。首の後ろの皮膚が強くつれたように、じりじりと痺れはじめた。……気持ちが悪い。


 立っていられなくなり、後ろによろける。


 「お嬢さん、僕の手を取って。早く!」





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