【第74話】 不意打ち 2



 さっきはロロス司祭様とは話の途中になってしまったけど……。うん。やっぱりこれは、きちんと理解してもらうのが一番いい。


 ヴィーリアは神殿側の司祭様たちを毛嫌いして避けていた。だけど、わたしたちに干渉してほしくないのなら、納得してもらうのが確実な方法だと思う。


 「……わたしの話も聞いてもらえる?」


 「はい。もちろんです」 


 「あのね、当時の我が家の状況は本当にどうにもならなかったの。……ヴィーリアはわたしの願いを叶えてくれたわ。ベナルブ伯爵様が督促状を破棄されたのは契約を交わしたあとのことなのよ」


 「お嬢様があの方に恩義を感じる気持ちも……少しは、わかります。しかし、ベナルブ伯爵様の改心はあの方の魔術の力ではありません」


 「契約は取引よ。対価を支払うのは当然だと思わない? 都合が悪くなったからといってあとから取り消していたら、商売にもならないわ」


 「商売と、お嬢様が魂を犠牲にすることとは話が別だと思います」


 「……犠牲だなんて思ってないの。自分のためにしたことだから」


 異常気象に見舞われる前の平穏な生活に戻りたかった。特になにがあるわけでもなかったけと、穏やかな日々だった。お父様やお母様、シャール、屋敷の皆の憂いのない笑顔を見たかった。だからこそ、ここまで育ててもらった恩を返すなら今だと思った。突き詰めればすべては自分のためにしたことだ。


 「男爵様や奥方様、皆様がそれを知ったら……悲しまれると思います」


 「お父様たちには絶対に知られなければいいのよ。セイン見習い司祭様も絶対に言ってはダメよ。それにね……わたしが契約を解きたくないの」


 セイン見習い司祭様の眉が下がって、わたしを憐れむような表情かおをした。


 「本当に……魅了にはかけられていないのですか?」


 「ええ。ロロス司祭様もそう言っていたでしょ?」


 「あの方は……本来ならばかかわることはないはずのものです」


 「そうかもしれない。でも、もうかかわっちゃったの」


 眉間が寄り、幼さが揺れる眼差しに戸惑いと嫌悪の色が浮かんだ。


 「闇の一族……悪魔と呼ばれるものですよ?」


 それはわたしも知っている。


 朔の晩の漆黒の闇から現れ、依代として血液や体液を求める。体温はないかのように肌は冷たい。深い紫色の瞳は時折、色を変えて不穏な光を宿す。儚げな美しい少女かと思えば魅惑的な青年にも姿を変える。強大な力を持ち、魔術を操り、人を魅了する。人間が、悪魔と呼ぶもの。


 「そうね。でも、それはわたしには関係ないわ」


 ちょっと意地悪で、かなり強引で、相当不埒で爛れていて、慇懃無礼だけど。だけど、意外と世話焼きだし、好奇心も旺盛で凝り性だ。それに、わりとこだわる性格みたい。

 服はいつも黒を基調としたものばかりを着ている。それが白銀色の髪と瞳の紫色に映えてとてもよく似合う。

 美味しい紅茶の淹れ方をベルに訊いていたこともあった。魔術で仕立て直してくれた服のデザインも、わたしの好みにも配慮して似合うように考えてくれたものだろう。書店で大勢に囲まれ質問攻めにされたときには困惑を隠しきれていなかった。いつも人前では取り澄ましているヴィーリアのあんな表情かおを見ることができるとは思わなかった。中央広場で酔っぱらい男を投げ飛ばしたときには……不覚にもかっこいいと口に出してしまうところだった。


 いろいろと思い出すとなんだか笑ってしまうのに、胸の奥がきゅっとする。……本来なら畏怖の対象であるはずなのに。


 「あの方に、恩義とは別の……なにか特別な思いでもあるのですか?」


 はっきりと答えたくはない。その代わりに「さあ、どうかしら?」と曖昧に微笑んだ。


 セイン見習い司祭様の頬が見る間に赤く染まってゆく。


 「あの方は、彼とも彼女とも呼べないものです。お嬢様、人の理を外れるのは……罪です」


 セイン見習い司祭様の声が再び、うわずった。


 「罪って……。それは誰が決めたの?」


 「人間が輝主きしゅ様に創造された、そのときからそう決められています」


 「それでも。わたしのことはわたしが決めるわ。だから、もうこれ以上は干渉しないでほしいの」


 セイン見習い司祭様は顎を引いて悔しそうにきゅっと唇を噛んだ。


 「私では……お嬢様のお心を変えることはできないのですね。……力不足で申し訳ありません」


 そう呟くとゆっくりと瞼が閉じられた。

 それを合図のようにして、肩が痙攣し、細かく震えだす。あやつり人形の糸が切れたように首が、がくんと前に垂れ落ちる。


 なに!? 急にどうしたの? 大丈夫!?


 セイン見習い司祭様はすぐに顔を上げた。纏っていた雰囲気がふっと変わったことがわかる。


 「随分とたいそうな口を利くね。お嬢さん……それは不遜ふそんでしかない。勘違いもはなはだしいよ」


 声はいくらか低くなり、口調も落ち着き払っている。わたしを真っすぐに見つめた、その焦げ茶色の瞳からは幼さが消えていた。


 「弱かったから安易に悪魔に助けを求めただけでしょう?」


 「……」


 そう言われてしまえば、返す言葉はない。


 もしも、わたしに状況を確実にくつがえす力や手段があったのなら、一か八かの魔術古文書グリモワールは開かなかったことだろう。


 でも、皆が皆、そんな力を持っているわけでも、強いわけでもない。それでも、できうる限りの精一杯の抵抗をしたのだ。


 「物事は大局的な観点から見るべきであって、局所的に判断することは愚かでしかないよ」


 平然とした顔で迷いもなく言ってのけた。


 ……今、なんて言った?


 氷水にひたされたように、すうっと、頭の芯が冷えていく。

 反対に胸には炎が灯ったように熱くなり、想いが溢れ出してくる。……止められない。


 「愚かなことだというの? 平穏な日常を求めることが? どうにかして幸せになるために、一生懸命にもがくことが? ひとりひとりの人生が局所的? わたしたちは生きているの。幸せを求めてなにが悪いの? おかしなことを言っているのはあなたよ」


 「ひとときの安寧あんねいのために悪魔に魂を渡すことが幸せなの? 人の輪廻の輪から永遠に外れてしまうんだよ? 来世もない。永遠に闇に囚われる。人の真の幸福とは人の理の中で生きることだ。お嬢さんの守ろうとした人々は、お嬢さんを犠牲にして幸せになれると本気で思っているの?」


 「犠牲じゃないわ。わたしが望んだことよ。さっきわたしがセイン見習い司祭様と話していたことを聞いていたのでしょ? ……いいかげん、しつこいわ……ロロス司祭様」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る