【第73話】 不意打ち 1



 目が覚めたようにして気が付く。

 周囲一面が真っ白くて、ぼんやりと光るあの空間に立ちながらにして浮かんでいた。足元にはやはり地面はない。白く淡く光っている空間が広がっているだけだ。


 目の前にはセイン見習い司祭様がいて、同じように浮かんでいる。


 ……ここは以前に、ロロス司祭様に催眠にかけられて誘導された『集合的無意識』の。人だけに許された、無意識のさらに奥の領域。人の理の外の者であるヴィーリアは立ち入ることができない。


 なんということ……。


 思わずセイン見習い司祭様を強く睨みつけた。


 「こんなの、卑怯よ。ここに導くことができるのは一部の特別な司祭様だけでしょ? あなたは見習い司祭様ではなくて、正式な司祭様だったの? わたしたちを騙していたの?」


 「そんな、決して……お嬢様方を騙していたわけではありません」


 セイン見習い? 司祭様? は、叱られてしゅんとしょげた幼い子どものようにうなだれた。しかし、思い直したようにすぐに顔を上げる。そして真っ直ぐにわたしを見た。その瞳の色は後ろでひとつに結んだ髪と同じ、焦げ茶色に戻っていた。 


 戸惑いながらも意を決したようなその眼差しには、わずかに幼さが残っている。頬や喉元の線もまだ硬くなりきってはいない。やはり、シャールよりも歳は下のようだった。


 「私はまだ、資格上は見習い司祭です。お嬢様をこの領域にお連れすることができたのは、ロロス司祭様の多大なるお力と一時的に同調しているからです。……お嬢様の魂をお救いするために」


 セイン見習い司祭様の声は微妙にうわずっていて、微かに震えていた。緊張していることがわかる。


 神聖力を同調している? 魂の一部が混じってしまったわたしとヴィーリアのようなもの? 神聖力と魂の違いはあるにせよ、ロロス司祭様の神聖力をセイン見習い司祭様と共有しているということなの?

 よくは解らないけど、でも……。


 「わたしは救ってほしいなんて一言も頼んでいないわ」


 セイン見習い司祭様をさらに見据えた。

 そう。これっぽっちも、一言も頼んでいない。


 「ロロス司祭様にも契約を解く気はないと伝えているのよ?」


 「……それは」


 わたしに気圧けおされ、ひるんだセイン見習い司祭様の瞳がわずかに潤んだように見えた。すると、またしてもしょんぼりとうなだれてしまった。


 ……ん? 

 わたしの言い方が強すぎたの?


 うつむいたまま、どうしたらいいのか分からないというように、身体の前で重ねた両手の指をぎゅっと握りしめている。その姿は暗い夜の中で寄る辺もなく、細かく冷たい雨に体を濡らして寒さに震えている仔犬を想像させた。


 ちょっと待ってよ……。そういうのは、反則でしょ? 


 思わず毒気を抜かれてしまいそうになる。

 同じ年頃のようだし、ヴィーリアに対しておびえて委縮しまくっていたレリオと重なった。


 騙したのは司祭様たちなのに、騙されたわたしの方がなんだか……いじめている悪役みたい。なにかとっても……やりにくい。

 続いている沈黙も気まずい。


 「あの、セイン見習い司祭様?」


 できるだけ柔らかな口調で声をかけた。


 「はいっ」


 はじかれたように顔を上げて、ぴしっと姿勢を正す。


 「あの、あの……このような大役を仰せつかったのは今回が初めてのことで、その、なにしろ不慣れなもので……大変申し訳ありませんっ」


 顔を上げた途端に深々と頭を下げられてしまった。


 「いや、そんな、謝ってもらわなくても……大丈夫よ?」


 なんというか、ある意味、素直な人みたい。


 「……わたしをここへ連れてきたのは強制的に契約を解除するため?」


 直球で尋ねると、セイン見習い司祭様は「え?」と意外そうに顔を上げた。


 それからとんでもないというように「違います。違います。それは誤解です」と慌てて、両手を激しく振って否定する。


 「それじゃあ、なんのために?」


 「あの……お嬢様と落ち着いてお話をさせていただくためです」


 うつむき気味の視線をちらりとわたしに向ける。


 話? 本当に話すだけ? なにか、また裏がある?


 「あちらではあの方に邪魔をされてしまいますので……」


 セイン見習い司祭様はそう付けくわえた。あの方とは、もちろんヴィーリアのこと。

 うん。まあ、ロロス司祭様と話をしていたあの様子なら確かに……そうなるだろう。


 セイン見習い司祭様は転移術で現れたときから、どこかおどおどとした様子だった。ロロス司祭様が催眠をかけることができなければ、代わりにわたしをこの場へと誘導する計画になっていたようだから、その緊張のせいだったのかもしれない。

 隠し事は得意ではない性格みたいね……。


 「……話すだけなら、いいわよ」


 用心しながらもそう答えると、セイン見習い司祭様はほっとしたように微笑んだ。思いのほか人懐こい笑顔につられてしまいそうになる。緊張もいくらかは解けたようだった。


 「あの、お嬢様が契約をされた理由は……男爵家の負債を返済するため、ですよね?」


 「そうよ。ロロス司祭様から聞いているのね」


 「はい。実は……私たちはお嬢様とロロス司祭様がこの場でお話をされたあと、ベナルブ伯爵様にもお会いしました。そのときにベナルブ伯爵様はロロス司祭様に懺悔をなさったのです。ご自分の行いをとても悔いておられました」


 伯爵からは直接に謝罪を受けた。瞳には後悔と苦悩が色濃く滲にじんでいた。だから、それが本当の気持ちだということは伝わってきた。


 「督促状は破棄されたと聞きました。ですから、もう……それを願う必要はなくなったのではありませんか?」





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