【第70話】 告白 2



 ヴィーリアの胸に両手をついて顔を上げる。


 「……なによ。ヴィーリアだって綺麗な店員のお姉さんに『ぜひまた来てください』なんて言われて、嬉しそうに鼻の下を伸ばしちゃって、手なんか振っちゃってデレデレしてたでしょ?」


 「人聞きが悪いですね。私はそのようなことはしていません」


 「ウソ! してたわ」


 「……それは、社交辞令というものでしょう」


 あの店員のお姉さんたちだけじゃない。ヴィーリアが歩けば誰もが振り返る。微笑めば頬を染めさせることなんて簡単にできてしまう。それに言葉を交わせばすぐに人をたらす。


 ……皆は知らないのに。


 ヴィーリアの慇懃無礼さや不埒さや爛れっぷりなんかは全然知らないのに。知っているのは私だけなのに。なのに、なのに……。


 「……どうせわたしは子どもっぽいわよ。お姉さんたちみたいにいい香りなんてしないし、胸だって大きくないし、腰だってびれてないわ。広場の酔っぱらいにはお子様に間違えられたし、ここ数年、どういうわけか体形だって身長だって変わってないの。……服のセンスだって暗くて地味で悪かったわね。可愛らしいものが似合わないんだから仕方ないじゃない。なによ……なによ……いくら契約のために婚約者のふりをしている方が都合がいいからだって、心の中ではその相手がこんなに色気も情緒もないわたしでがっかりなんでしょ!? 悪かったわね! 恋もしたことのない小娘で! しどけない寝姿のひとつもできなくて! 寝ぐせも寝相もひどくて! からかうことくらいしか相手にならなくて! きれいなお姉さんじゃなくてごめんなさい! それにヴィーリアがわたしをおいて還っちゃったら……そのあとにわたしが誰と一緒にいようとどうでもいいくせに! 今だけ婚約者面なんかしないでよ! 優しくなんかしないでよ! 思わせぶりに指輪なんか贈らないでよ! わたしを縛らないでよ! あなたがいなくなるなら忘れさせてよ! まさか、まさか初恋の相手がヴィーリアだなんて……わたしだって思いもしなかったわよ!」


 「なっ……」


 一息で吐き出した。はぁはぁと荒い息を整えるうちに、ヴィーリアの目を見開いた唖然とした表情ではっと我に返る。


 …………しまった。


 途中から感情にまかせてしまい、なにがなんだかわからなくなった。せきが切れたように、もやもやとしていたものを一気に吐き出してしまった。


 平常心などそんなものはどこか彼方へ吹き飛んでいた。なんというか……これは……やってしまった、よ、ね?


 さっと顔から血の気がひいていく。


 「ミュシャ」


 反射的にうつむいた。ヴィーリアの目を見ることができない。


 「あ、あの、今のはつい、その……」


 「つい……?」


 「……」


 ついもなにも、本人を目の前にしてあんなことを言ってしまったあとでは、もうなにも取り繕う言い訳などできる気がしない。


 ……ううう。わたしのバカ。……バカどころではない。とんだ大間抜けだ。


 ……どうしよう。契約相手からのこんな気持ちは、面倒だと思われるだろうか。厄介だと思われるだろうか。    


 「ふっ」


 突然にヴィーリアがふきだした。いつものからかうような小馬鹿にするような感じではなく、なぜだか本当に愉快そうに笑いだす。


 ぱっと顔を上げる。わけがわからない。どこかに笑うところなどがあっただろうか。


 「あの、ヴィーリア?」


 「ああ、つい……失礼しました。貴女は……行動はあれですが、歳のわりには考え方が老成しているようでしたので……まさか貴女がそんな風に声を荒げるとは」


 「それは……わたしだって」


 あんなことを言うつもりはまったくなかった。だって、あれではまるでやきもちを焼いて、嫉妬……して、その、こ、告白までしてしまったみたいで。いや、みたいではなくて……。ううう……。いっそのこと透明になってこの場から逃げ出したい。


 ヴィーリアは自分の眦を親指の腹で拭った。瞳は澄んだ紫色に戻っていた。不穏な光も消えている。

 紫色の瞳は妖しく潤んでろけていた。


 甘い香りが鼻先をくすぐる。濃厚な、甘い蠱惑的なバニラのような香り。くらりとした眩暈を感じた。


 「いいのです。咎めているわけではありません。言ったでしょう? それが人間です。……そして今の貴女は非常に人間らしい。とても……美しいですよ」


 今度はかっと顔に血が集まる。青くなったり赤くなったりで、我ながら忙しいとは思うが仕方がない。


 ヴィーリアの冷たい指が頬に触れた。熱い頬を撫で、ゆっくりと輪郭をたどり、顎を少し持ち上げられた。潤んだ瞳に捕らえられると動けなくなってしまう。


 どうしよう、恥ずかしい。本当に恥ずかしい。手を振りほどかなくてはいけないのに。甘すぎる香りが思考に膜を張ってしまったみたい。腕を動かすことができない。


 「それが、貴女のいつわらざる心……」


 仄かな翠色を映した白銀色の髪が揺れた。


 そのときに――


 まるで空間をいたかのように、ぴきんという甲高い音が空気を振動させた。


 ちりっと首の後ろの皮膚がつれる。


 この感覚は……。


 すぐにヴィーリアがそっと顎から手を離し、舌打ちをした。


 すっとわたしの前に立つ。


 「ミュシャ。私の後ろにいなさい」


 幻想的な翠色の淡い明かりのなかで、突然に白い光が一点から空間全体に強く放たれた。


 とっさに目をつむった。眩しすぎる。


 ほんの数秒のことだった。瞼の裏にまで届く光が収まると、ようやく目を開けることができた。光で霞んだ目を軽くしばたく。目を凝らすと、テーブルをはさんだ向こう側に二つの白い人影があった。


 「うわぁ。思ったよりも眩しかったね。セイン君は大丈夫? ……やあ、どうもこんばんは。ようやくまた会えたね。お嬢さんも悪魔さんもお久しぶり。お元気でした?」


 この声は……ロロス司祭様!? 





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