【第69話】 告白 1



 「それは……どういうことでしょうか?」


 「“人の理の外の者”との契約は憶えていたいの。でも、あなたの記憶は消していってほしいの」  


 「私を……忘れたい?」


 「ええ」


 心のうちを見透かすためなのか、食い入るように見つめられる。だけどわたしも瞳を逸らさない。


 悟られてはならない。ゆっくりと呼吸をする。心を冷静に保たなければ。


 紫色の瞳が宝石と同じように潤んで揺れたようにみえた。

 ヴィーリアは瞳を伏せると、組んだ腕にのせた指をとんとんと思案気に動かしながらため息をつく。


 「……貴女がそう望むのなら、なにか理由があるのでしょう?」


 穏やかな口調に、心がふわりとほどけそうになってしまう。


 即座に「そんなことはできません」「だめです」だのと否定され、刺のある言葉で問い詰められると思っていた。だから、お腹にぐっと力を入れて身構えていたのに。


 でも。


 「……」


 黙ったままでいた。


 「……私には話すことができないと?」


 ただ、肯く。


 伏せていた瞳を上げたヴィーリア。虹彩は黒に近いような紫色に変化していて、うっすらと不穏な光を帯びはじめる。


 「貴女の命の炎が消えて、私が迎えるまでは……。それまでは、貴女の都合よく私のことだけを忘れていたい?」


 「……わたしがヴィーリアのことを忘れても、魂を対価とした契約を交わしたことさえ憶えていれば問題はないわよね?」


 「それはそれは……ずいぶんと冷たいことをおっしゃいますね。……理由も教えていただけないとは」


 ヴィーリアにとっては不可解な申し出かもしれない。


 でも、そのほうが面白そうだったからという理由で魅了をかけなかった契約者が、魅了をかけなかったがために最後に自分の意思でささやかな頼み事をしている。それだけのことだ。


 機嫌を損ねたのはわかるが、魂を回収しないでほしいと頼んでいるわけではない。


 「……ヴィーリアにとってはそんなに難しいことではないでしょ? それになにも困ることはないじゃない」


 「……」


 ほとんど黒になった瞳の光が強くなってゆく。

 なにかが燃えたような、焦げた臭いが強く鼻の奥に張りついた。


 ヴィーリアの記憶を失なくしたからといって、そのあとの人生を楽しく生きられる保証なんてどこにもない。でも、輪廻の輪にも還れない最後の人としての生なら、後悔はしないように生きてゆきたい。


 そうするために……忘れさせてほしい。


 ヴィーリアのいなくなった世界であなたのことを憶えていたとしたら……。もう、心の底からは笑えなくなるような気がする。


 だけど、そんなことは口に出せるはずもない。 


 わたしは魂の相性がよかっただけの契約者にすぎないのだから。


 「わたしは……ミュシャ・ライトフィールドとして、できるだけ悔いを残さないように生きたいと思うの。わたしの魂は契約通りにヴィーリアのものよ。だからそれまでは……」


 「それまでは、あの書店にいた若造と一緒に生きるということですか? そのために私の記憶が邪魔だと?」


 ……ん?

 ……書店の若造って……ジョゼのこと? なんでそこにジョゼがでてくるの?


 「ジョゼは関係ないでしょ?」


 「……なにやら二人で親密にしていたようですが?」


 瞳が眇められた。 


 「あのときは、本を探してもらっていただけよ」


 「書店を出るときも二人で合図を交わしていたように見受けられましたが?」


 合図? ……もしかして『またね』って声を出さずに言ってくれたこと?


 「あれは……」


 全然、合図なんていうことじゃないし。だいたい、それだってヴィーリアが余計なことを言ったのが原因でしょ?


 「あれは? なんだというのですか? 『また会おう』などとは、確かに婚約者のいる前でおおっぴらに言えることではありませんね」


 意地悪く口角が上がった。


 ……ちょっと待って。なんだか話が明後日あさってのほうに向かっているような気がする。


 「そんなことを今さら? それは記憶を消す話とは全然関係がないわよね?」


 「今さら? 関係がない? 貴女こそ指輪を受け取りながら、婚約者の記憶を消してほしいなどとよくも言えましたね。理由も話すことができないとは。なにかやましいことがあるからでしょう?」


 なに? やましいことって。

 ジョゼは関係ないって言っているのに。


 「何度も申し上げているはずですが……」


 そう呟いてわたしの左手首を掴んでぐっと引き寄せた。


 身体ごとヴィーリアに向き合うようにしてソファに腰をかけていたので、上半身だけが引っ張られてしまった。前のめりに顔から倒れそうになるところをヴィーリアに抱き止められる。

 だけど勢いがついてしまい、高くもない鼻からヴィーリアの硬い胸にぶつかった。痛い。


 そのままの姿勢で腰に腕を強く回される。

 白い頬を黒檀色の髪にすりよせた。


 ……。


 また、こういうことをする。……勘違いをしてしまいそうになる。


 いなくなるくせに。還ってしまうくせに。


 なんだか……無性に腹が立ってきた。


 さっきから婚約者、婚約者って。

 どうしてわたしだけがまるで浮気をしたかのように、そんな風に責められるような言い方をされなくてはいけないのだろう。

 ジョゼとのことが喩え本当にそうだったとしても。

 ヴィーリアは本当の婚約者でもないくせに。勝手に完璧に完璧な婚約者のふりをしているだけのくせに。

 婚約指輪? ……確かにとても素敵だったけど。

 受け取るかどうかも聞かずに薬指に嵌めたくせに。

 魅了をかけなかったわたしの心を還ってからも縛ろうとしたくせに。


 いつも、いつも……ずるい。




 

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