【第68話】 揺れる想い 2



 わたしの黒檀色の髪。琥珀色の瞳。肌の色。目鼻立ち。小柄な体格。どれをとっても、お父様やお母様、シャールとは違う。忘れたくても忘れられない事実として目の前にある。リモールの領民も知っている。リモリアの学校に通っていたときに、生意気だからという理由で、わたしの存在を気に入らなかった上級生にそのことをからかわれたこともある。


 「それに、わたしは先頭に立つよりも後ろで支えるほうが性格的に向いているのよ」


 「……そうですか」


 上級生にからかわれたときには、クラスの友達やおとなしかったジョゼまでもが上級生の前に立ちはだかり、かばってくれた。本当に嬉しかった。

 それでも……せめて髪の色だけでも変えてしまいたいと思ったこともある。


 でも……。


 「……今は、血がつながっていなくてよかったと思っているわ」


 たとえ血がつながっていたとしても。


 家族も屋敷の皆も、領民も大切だ。だから同じ状況であったなら、魔術古文書グリモワールを開いて同じ方法をとっただろう。わたしの魂を対価として。


 だから。


 だから……聖人君子ではないわたしは、血がつながっていない方がいっそのこと割り切れる。


 それに。


 「……前にも言ったけど、わたしの召喚に応えてくれたのがヴィーリアでよかったと思っているの。本当よ」


 紫色の瞳を見上げた。ヴィーリアの瞳に映るわたしは……うん。大丈夫。笑っている。


 「ミュシャ……」


 冷たい親指でまなじりを拭われる。ヴィーリアはその指を唇に運んで、赤い舌で舐めとった。


 「……泣いてなんかいないわよ?」


 「そのようですね」


 そう言って、笑って指を鳴らした。


 「左手を出してごらんなさい」


 「左手? どうして?」


 「貴女のお好きな魔術ですよ」


 なんだかよく分からなかったけど、言われた通りに手のひらを上に向けてヴィーリアの目の前に左手を出した。


 ヴィーリアはわたしの左手をくるりと裏返して、手の甲を上に向ける。そして薬指を選ぶと、紫色の石がついた指輪を薬指にするりと嵌めた。


 「……え?」


 それから、朔の晩にナイフで傷をつけた薬指の先に、冷たく柔らかい唇を押し充てた。


 「婚約指輪です。私としたことがまだ貴女に贈っていませんでしたので」


 完璧な婚約者のごとく優しく甘い声で囁く。熱を含んだようにもみえる、指輪につけられた宝石と同じ色の瞳。


 口づけられた薬指の先がじんじんと痺れて、熱い。


 薬指の根本まで嵌められた指輪のサイズはゆるくもなく、きつくもない。ぴったりだ。


 リングは銀色で、蔦の模様が刻まれた細いリングが三重に絡まり合っている可愛らしいデザイン。その輪の中央の台座には、薔薇のつぼみのようなカットを施こして磨かれた、ヴィーリアの瞳と同じ色の宝石が嵌っている。鮮やかで深い紫色の美しい宝石。透明度が高く、濁りがない。


 薬指を目の前にかざすと、潤んだ瞳のような優しく柔らかな光できらめいた。


 「……素敵」


 「貴女がみつけた先ほどの緑柱石ベリルですよ」


 「色によって石の呼び方が違うのよね? 紫色はなんというのかしら?」


 「紫色の緑柱石は非常にまれで、希少です。そうですね……。桃色はモルガナイトと呼びます。赤色はレッド・ベリルですね。紫色は……ヴァイオレット・モルガナイトというところでしょうか。まあ、ヴァイオレット・ベリルでも、貴女のお好きなように呼んでください」


 「ふふふ。意外に適当ね」


 ヴィーリアからの、人間を真似た婚約指輪。

 円は循環する形。永遠にめぐる象徴。紫色の緑柱石はヴィーリアの瞳そのもの。


 これは左耳の裏と魂に刻印された魔法陣の紋章と同じ、契約のあかしということなのだろう。


 魅了をかけられていないわたしが、ヴィーリアが還ってしまっても忘れないように。


 ……そういう意味では確かに魂の婚約指輪だ。

 だけど……残酷でもある。


 この銀色のリングを見るたびに、柔らかな光を放つ紫色の緑柱石ベリルを見るたびに、わたしはそこにいないヴィーリアを思い出すのだ。


 つややかな光の輪をつくる白銀色の長い髪。ときどきで色を変える紫色の瞳は、蠱惑的に蕩けたかと思えば、鋭く不穏な光を宿しもする。冷たい唇の柔らかな感触は左耳が憶えている。


 態度は尊大で強引で謙虚さのかけらもない上に、慇懃無礼で不埒で少し意地悪だ。でも、意外にも子どものように褒めてもらいたがっているように感じることもあるし、わたしの世話をよく焼いてくれる。口ではきついことも言うが、忠告してくれることもある。契約だから当たり前だけど、お願いした仕事はきちんとしてくれる。わたしをからかって困らせもするが、いつでも守ってくれる。


 婚約者として振る舞うときには誰にでも親切で(ジョゼにはなぜか冷たい態度だったけど)、わたしには優しく蕩けるような態度で接する。


 ほら……こうやって挙げていけばきりがない。


 そんな誰も憶えていない、誰も知らないヴィーリアをひとりで思い出すのだ。


 「もうひとつだけお願い……というか頼みがあるの」


 ヴィーリアの瞳をじっと見つめる。大丈夫。わたしは、平常心。


 「なんでしょう?」


 平常心……のつもりだったけど、感情の揺れがあったのだろうか。ヴィーリアの眉間がわずかにひそめられた。


 「あなたが還るときには、わたしの記憶も消していって」




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