【第66話】 緑柱石の鉱脈 



 ぱちんと指を鳴らす音がすると同時に、視界がくるりと回転する。次の瞬間には硬い地面を踵が踏む。重心を崩してよろけると、ヴィーリアが腰を支えてくれた。


 転移魔術で着いた先は、山深い森の中のひらけた場所だった。


 空には綿わたをちぎって伸ばしたような、細く薄い雲がかかっている。満月に近い月は時折雲の後ろに姿を隠しながら、霞んだ青白い光を地上に落としている。

 月明かりを浴びた山の中は、夜の闇にすべてのものが青白く浮かび上がっているようにみえた。


 森の中からはフクロウやミミズクの、ホホウホホウと低く鳴く声が途切れ途切れに聞こえてくる。その鳴き声とゆるく吹いている風にすれる樹々の葉音が、よけいに夜の静寂さを強調する。


 わたしたちの足元にも淡く青い影がつくられていた。


 外套コートを着ていても思わず身を震わせる寒さだ。息をすると胸の中から凍えてしまいそうなほどに空気が冷たい。


 横の木立でがさりと枝がしなった音がした。枝葉の隙間から二つの目が金色に光る。すぐにまた、枝を揺らして金色の目は消えた。

 驚いてとっさにヴィーリアの腕を掴んでしまった。


 「鹿のようですね」


 そう言って、くすりと笑った。


 ……ヴィーリアが隣にいるだけで安心してしまう。だけど……それはここが夜の青白く、昏い森の中だから。


 「ここは……? もしかして、炭鉱?」


 「そうですね。今は鉱山にもなりましたが」


 わたしたちは森を拓いた場所に立っていた。その先の山の斜面は岩肌が剥き出しになっていて、そこには洞窟のように大きな穴が掘られている。


 穴は鉱山の入り口だった。

 太い材木を組み合わせて作られた、重厚で頑丈そうな柵で塞がれている。不審者や大型の野生動物の侵入を防ぐ目的だと思われた。


 柵の間から垣間見かいまみた穴の奥は、光のない完全な闇の世界。


 ヴィーリアが手をかざす。すると、その重厚な柵は音もなく静かに左右へとひらいた。


 昼間の働き手である鉱夫や技師たちが麓の宿場村へと帰っていったあと。夜中の鉱山への入り口は、闇へと続く大きな口をける。


 指を鳴らすと、青白い夜の中に黄色い燐光を放つ五羽の蝶が現れた。ひらひらと互いにもつれ合いながら、わたしたちを先導するように真っ暗な穴の中へとんでゆく。


 穴の暗闇の中に燐光の残滓ざんしが、蝶の翔んだ軌跡きせきをしるしている。


 「では、行きましょう」


 坑道内を黄色い蝶の燐光が照らす。蝶のあとをいてしばらく歩く。


 ごつごつとした硬い地面の感触がブーツの底から伝わってくる。夜中の坑道は耳が痛くなるほどにしんと静まり返っていた。その中をわたしの靴音だけが響いている。


 坑道の壁は岩盤そのものが剥き出しの部分もあるが、大半たいはんは木板と金属の板で補強されていた。

 岩と土と砂礫されきと鉄さびが入り混じったような匂いがしていたが、特に不快ではなかった。


 途中から緩やかな下り坂になる。


 敷かれていたトロッコのレールにつまずいてしまうと、「掴まってください」とヴィーリアがわたしの腕を取った。


 緩やかな坂をそのまま降り続ける。そのうちに坑道が二股に分かれた。黄色い蝶は左側に翔んだ。進むほどに天井は高くなり、歩き続けていると奥行のある場所に出た。


 蝶たちがくるくると高く舞い上がる。強くなった燐光に辺りが照らされる。かなりの高さと広さのある空間のようだった。


 「ここは?」


 「ここからが緑柱石ベリルの鉱脈です」


 指が鳴ると蝶たちが消えた。同時に燐光とは違う、淡いみどり色の光で空間がぼんやりと明るくなる。


 そこは半球型に掘られた広場のような場所。


 岩盤の壁や、高い天井全体がうっすらと翠色に発光している。岩盤自体が透明な硝子のように変わっていた。壁の中が透けている。そこには本来ならば岩の中に埋もれてしまって、直接には見ることのできない六角柱の形をした鉱石がった。緑や青、赤、桃、白、黄色の濃淡も、大きさも、さまざまな鉱石が壁の中の至る所に存在していた。


 「これは? この石が……?」


 「このようにすればわかりやすいでしょう? これが鉱脈です」


 透けた岩盤に吸い寄せられるように近づいた。

 額と手のひらを壁にぴたりとつけて、じっと目を凝らして壁の中を覗く。壁は透明なだけで確かに岩の感触だった。


 目の前から、もっとずっと奥まで。色を持つ六角の柱の結晶は、そこかしこで壁からの翠色の光を鈍く反射していた。高い天井までを見上げても、その鈍い光が途切れることなく続いている。


 これが、ヴィーリアの造ってくれたもの。


 「これが貴女の願いです」


 隣に立つヴィーリアを見上げた。白銀色の髪に翠色の光が映っている。


 「とても……綺麗ね」


 山の地下の岩盤の中なのに、まるで深い海の底にいるような錯覚を覚えた。淡く光る幻想的な緑柱石ベリルの海の中に迷い込んで、あまりの美しさに息を呑んだ魚にでもなった気分だ。


 「これらは原石です。磨けばもっと素晴らしいものになりますよ。なにしろ私の仕事ですから」


 ヴィーリアは不敵に口角を上げた。


 「また、自慢してる」


 謙虚さとは程遠い物言いに思わず笑ってしまった。


 「貴女に見せたかった」


 わたしの耳元で囁く。


 「……ありがとう」


 この緑柱石ベリルがリモールの今後を約束してくれるのだ。

 確かほかにも……琥珀と黒瑪瑙くろめのうの鉱脈も造ってくれていたはず。


 そのまましばらくの間は壁の中を眺めていた。翠色の淡い光を受けて、鈍く光を放つ鉱石の幻想的な光景にいつまでも飽きることはなかった。すると、壁の奥にほかの緑柱石ベリルよりもひときわ濃い色の紫の緑柱石をみつけた。


 「ヴィーリア、あれを見て。あなたの瞳と同じ色だわ」


 「ええ。……気に入りましたか?」


 「もちろんよ」


 「それはよかった。……ところで、お疲れではありませんか?」


 指をさされて振り向くと、岩のソファとテーブルが用意されていた。テーブルの上に置かれたティーポットの細い口からは白い湯気が上がっている。ティーカップも二つあった。


 鉱山の地下の気温は外よりも高い。外套を脱いでゆるゆると慎重に岩のソファに腰を下ろすと、丁度よい具合に腰が沈んだ。硬いはずの岩がクッションのように柔らかかった。見た目との感触の差が面白い。


 外套は膝の上にかけた。


 ヴィーリアも外套を脱ぐと、カップに紅茶を注いでくれた。それから長い足をゆうゆうと組んだ。


 「さて……私の仕事もほぼ、かたが付きました。あとは、アロフィス侯爵との打ち合わせを終えた男爵が戻ってくれば事業も本格的に始まるでしょう。貴女の願ったことが叶います。まあ……少し予定にはなかったこともありましたが」


 わたしの願ったこと。


 ベナルブ伯爵からの借金を、利子も含めた全額を返済すること。今まで耐えてくれた屋敷の皆や領民に報いるために、できることならそれに上乗せをして欲しいこと。シャールとベナルブ伯爵との拗れた糸をくこと。


 そのうちの、ベナルブ伯爵からの借金を全額返済する件と上乗せ分はすでに叶っている。シャールとベナルブ伯爵の拗れた糸はほどけかけている。それからのことは、お父様が伯爵にシャールとの正式な面会を許してからの二人の問題だ。


 予定になかったこと。わたしとヴィーリアの魂の一部が混じってしまったことと、司祭様の件だろうか。


 ヴィーリアは願いの成就を見届けるまではこちらにいると言った。


 だから……あとは本格的に事業が始まり、それが軌道にのったなら、それを見届けてヴィーリアは還るつもりなのだろう。


 きっとその前に、司祭様の件にも決着をつけるはずだ。


 わたしと魂の一部がつながってしまったことはどうするのだろう。そのままにしておくの? それとも無理やりにでも魂のつながりを断ち切るの?


 「もうすぐ、終わるのね」




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