【第61話】 魅了 2
近くの屋台で大袋を二つ注文する。店主のおかみさんが大きな窯の中で煎った栗をスコップに掬う。それを豪快に袋に流し込んだ。
「はいよっ。熱いから気をつけてね! お兄さん男前だからおまけしておいたよ! 毎度ありぃ!」
威勢のいいおかみさんに「それはどうも」と微笑むヴィーリア。焼き栗の袋を受け取ったそのときに、後ろの方でなにやらざわざわと騒ぎはじめた。大きな怒鳴り声や囃し立てるような声が聞こえる。なんだろうと振り返ると「ああ、またか」とおかみさんがため息をついた。
「なんですか?」
「最近人が多くなっただろ? よそ者が酔っ払って騒ぎを起こすんだよ。景気がいいのはありがたいんだけどねぇ……。すぐに自警団も来るさ。お嬢さんたちは巻き込まれないうちに帰った方がいいよ」
自警団はリモリアの治安を維持するための組織だ。リモール領の騎士爵を持つ家門や有志が中心となっている。自警団の統括は領主であるお父様だ。
帰ったほうがいいと忠告されても、聞いてしまったからには帰るわけにはいかない。様子を見に行こうとするとヴィーリアに腕を掴まれた。
「ミュシャ」
ヴィーリアは行くなと首を振った。
「でも、このまま黙って帰ることはできないわ」
「貴女になにができるというのです?」
「あら、ヴィーリアがいるじゃない」
にこりと微笑む。
わたしをまじまじと見つめると呆れた顔で大きなため息をついた。
「……まったく、貴女という人は……
ヴィーリアに腕を掴まれたまま、騒ぎを遠巻きに眺めている人たちの間を縫った。
「自警団はまだか」「最近、多いわね」などという声が耳に入る。
人垣がきれたところでひょいと顔を出して騒ぎの現場を覗いた。
お酒に酔っている者たち数人が屋台の周りで暴れて騒いでいた。テーブルと椅子が倒されている。周囲の屋台の店主とお客さんたちは少し離れた場所に避難していた。その酔っぱらいたちが飲んでいる屋台の店主は彼らを止めようとしているが、まったく相手にされていない。
……これはちょっと、酷い。
まだ自警団が駆けつける様子はない。
騒いでいた中でも大柄な男が遠巻きにしていた人たちに近づいていく。その中にいたひとりの女性の腕を掴むと仲間の方へと引きずった。
「きゃあ!? なんですか!? 離して! いやっ!」
「おいっ!? なにをするんだ! 止めろ!」
女性は必死で抵抗する。連れと思われる男性も大柄な男を止めようとしたが、小突かれて転んでしまった。
「ちょっと! いい加減にしなさいよ!」
気が付くと一歩前に出て叫んでいた。
「ああ、なんだぁ?」
大柄な男は首をぐるりと回してわたしに目を留めた。この時間からもうすでに顔を真っ赤にしている。
いくらなんでも飲みすぎでしょ。
「おや~? ……やけに威勢がいいから誰だと思ったら。可愛いらしいお嬢ちゃんじゃないの~。お子ちゃまはお家に帰っておねんねの時間ですよ~」
酔っぱらいの明らかに侮どったからかいに、その仲間たちからゲラゲラ笑う声と一緒に「そうだぞ~」「子どもは帰りな」などと野次が飛んだ。……誰が子どもだ。
だが、そんなことには動じないとばかりに不敵に笑ってみせる。
「その辺にしておかないと、ただじゃ済ませないわよ」
わたしではない。ヴィーリアが。
「ほう~。なにがどう済まないのか教えてもらおうかなぁ。それともお嬢ちゃんが酒の相手をしてくれるのかな~」
大柄な男は女性の腕を離した。彼女は転んでしまった連れの男性に駆け寄り、助け起こすとわたしを心配そうに見た。大丈夫と肯いてみせる。
大柄な男はにやにやと笑いながら近づいてきた。わたしを捕まえようと太い腕を伸ばす。
すっとヴィーリアがわたしと男の間に割って入った。そして、その大柄な酔っぱらいの太い腕を掴むと、いとも簡単にねじり上げる。
「おわっ。なんだお前? ……痛いっ! いてててててっ!」
ヴィーリアは男の太い腕を軽々とねじり上げたまま、振り返って「そんなに煽るものじゃありません」と渋い顔をした。
「くそっ! 離せっ! この優男が!」
男は反対の手の拳をヴィーリアの顔をめがけて振り下ろした。だが、腕をねじり上げたままのヴィーリアは軽々とその拳をよける。そして、ねじり上げていた腕をほんの一瞬だけ離した隙に、振り下ろされた腕を両手で掴む。そのまま酔っぱらいの懐に入り込んだと思ったら、次の瞬間には大柄な酔っぱらい男は投げられて、背中から石畳の上に倒れていた。
速すぎて……なにがどうなったのかよく分からない。見えなかった。
酔っぱらい男の仲間も不安げに騒ぎを遠巻きにしていた人たちも、わたしも、水を打ったようにしんと、静かになる。
それから、歓声が上がった。
ヴィーリアは乱れた髪をかき上げた。涼しい顔で外套の襟を直し、埃を払っている。
「……お前、なにしたんだよ」
「このっ、調子に乗りやがって!」
我に返ったらしい酔っぱらいの仲間たちがヴィーリアを取り囲むと、遠巻きにしていた人たちから声があがった。
「いい加減にしろ!」
「町から出ていけ!」
その非難に酔っぱらいの仲間たちが
「ミュシャ。行きますよ。あとは自警団とやらに任せましょう」
ヴィーリアはわたしの手を握ると、人の中に紛れるように走り出した。
中央広場を抜けてもしばらく走り、人気のない路地裏までくるとやっと足を止めた。
わたしの息は切れ切れで乱れて呼吸も荒い。
ヴィーリアは顔色ひとつ変えていない。もちろん息も切れていなかった。
「貴女はもう少し身体を動かした方がいいですね」
分かってはいるのだが運動は苦手だ。子どもの頃はそうでもなかったけど。
ぜいぜいとした荒い息をなんとか落ち着かせる。
「……さっきのは、魔術なの?」
「ただの体術です」
ヴィーリアはこともなげに言った。
「凄かったわ」
あの大柄な男が細身のヴィーリアに投げられて宙に舞った。
思い出すと胸がすく。
「とても、かっ……」
そこで止まった。
「かっ」って。あれ? わたしは……なにを言おうとしてたの?
頬が急に熱くなる。慌てて両手で頬を隠した。
「とても?」
ヴィーリアは唇の両端を上げた。
紫色の瞳を見ることができない。
「とても…………ありがとう」
「まあ、たまには悪くはないですね」
わたしの手を取り直したヴィーリアは、腰に腕を回す。
「帰りますよ」
途端に視界がくるりと回転した。
応接室の床に着地すると、また少しふらついた。ヴィーリアが支えてくれる。転移魔術によって気分は悪くはならないが、着地は苦手かもしれない。
「ただいま」
ソファの上でレリオは小さく
「今日はありがとう。無理をさせてごめんなさい。……なにか食べたいものは作ってもらったの?」
「……はい。肉を焼いてもらいました。美味しかったです」
小さい声だったが、裏返りはしなかった。少し慣れてきたのかもしれない?
「そうなの。よかったわ。お土産も買ってきたのよ」
そういえば……焼き栗の袋はどうしただろう。
「はい。ご苦労でしたね。これを持って侯爵邸に戻っていいですよ」
横から手が出る。ヴィーリアが焼き栗の入った袋をレリオの膝の上に置いた。
ぴしっという、レリオが固まる音が聞こえたような気がした。
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