【第59話】 書店にて 2
専門的なものは難しくて読める気がしない。でも、一般的でないのなら、専門的な本しかないのかもしれない。
カウンターを確認する。
ヴィーリアは人垣の中心にいて、まだ、囲まれている。
「それはどこにあるの?」
「一番端の書架だよ」
今度はジョゼがわたしの手を引いた。
子どもの頃とは反対だ。昔は教室で本を読んでいるジョゼの手を引っ張って、校庭へと連れ出していた。
「はい。ここ」
手を引かれて一番端の書架の前に立った。背表紙の
『グレナダ大陸におけるルークス教と神聖術についての文化的側面からの考察』『国と神殿の関係にみる神聖術の役割について』などなど。
……うう。
でも……確かめなくては。
その中から『治療』と関係がありそうな、短い
『神聖術の体系と司祭』
目次を開き、ぱらぱらと頁を捲る。
……あった。
ぱっと目に入ってきたのは『集合的無意識』と『心的治療』という言葉だった。
難しい言葉と文章を、なんとか読み進めてゆく。
わたしの乏しい理解力が正しく働いていれば、その本に書かれていることはおそらく次のようなこと。
司祭様が使う神聖術の『治癒』の力は二種類ある。身体に作用するものと、心に作用するものだ。
身体に作用する『治療』は個々の司祭様の『治癒』の力によって、成果には差が生じる。しかし、司祭と名乗る者ならば施すことができる。
それに対して心に作用する『治療』は、ごく一部の司祭様にしか行うことができない。神聖力の消耗が大きいために、相応の力を持つ司祭様でなければ施すことができないからだ。
『心の治療』の方法は、対象者を睡眠または催眠状態に誘導する。次に対象者の意識を『集合的無意識』の領域の中で捕捉する。そして、その中での対話を通して、不調や苦痛の原因を探り、癒していく。
『集合的無意識』とは、すべての人が『無意識』のさらに下の層で共有しているもの、らしい。
……。
ノルンからはこのような授業は受けていない。
……ということは。昨夜の夢は、夢ではないということ? あの軽薄そうなロロス司祭様はまさか、本物?
それに……ロロス司祭様は『魅了』がどうのとも繰り返していた。
「ミュシャ? 大丈夫?」
本を開いたまま動かなくなったわたしの顔の前でジョゼが手を振った。
「あ……ごめんなさい」
「探していることは見つかった?」
「ええ……ジョゼ、この本を買わせてもらうわ。いろいろと探してくれてありがとう」
「お役に立てたならよかった」
カウンターに戻ろうとしたときにすっと影がかかった。
見上げると、ヴィーリアがなんともいえない
「……ミュシャ。用事はもう終わりましたか?」
「あら、早かったのね? もう皆さんとのお話は済んだの?」
ヴィーリアを真似てなに喰わぬ顔で微笑んだ。
『神聖術の体系と司祭』の本を隠すために、手近な棚の本を適当に一冊抜いた。さっと上に乗せてジョゼに渡す。
「じゃあ、これをお願いするわ」
「あ……うん」
「なるほど……そういった趣味をお持ちでしたか。次回の贈り物は……ぜひ楽しみにしていて下さい」
なぜか意地悪そうにヴィーリアが笑う。その言葉にジョゼの顔は見る間に赤く染まった。
なに……?
ジョゼに渡した本に目を遣る。
『
!!?
黒い表紙になんとも
「え……あれ? ……これは?」
なぜ? なぜ神聖術関連の書籍の付近にこのような……高度に専門的な書物が!?
「僕、
ジョゼはカウンターに走って戻ってしまった。
ちょっと待って!
ジョゼ……違うの!
その背中に手を伸ばしてみたものの、逃げるように走り去る後ろ姿をただ見送るしかなかった。
「おやおや、彼も
きっと睨んだわたしを見下ろして、ヴィーリアは愉しそうに哂った。
カウンターのジョゼから気まずい思いで書籍の
ありがたいことに、例の書物はうまく店主の目から隠して包んでくれたようだった。
本当は……ヴィーリアからもう一冊の本を隠すためなのに。……どうしてこんなことに。
……うん。解っている。『
悪かったのはタイミングとヴィーリアのひと言だ。
久しぶりに会えた友達なのに……。距離をとられてしまうのは悲しい。
心の中でため息をついた。
「お嬢様、次期ご領主様! また来てくださいよ!」
店主の大声が店内に響くと、お店の中にいるお客さんたちから「また来てください」「またお話ししたいです」という声とともに、盛大な拍手が送られた。
ヴィーリアはあの短い時間のなかですっかりと皆の心を掴んできたようだが、次期領主については訂正していないらしい。
ヴィーリアと皆に手を振った。ジョゼと目が合う。彼は声を出さずに唇だけを動かして「またね」と言ってくれた。
書店から出ると、だいぶ陽も落ちていた。通りの店先にはちらほらとランプが灯りはじめている。
「それをこちらへ」
図書館への道を歩きながら、わたしの持っている包みを
「いいわよ。自分で持つわ」
「重いでしょう?」
「そんなに重くないから大丈……あっ」
ヴィーリアにひょいと取り上げられた。……と思ったのだけど、ヴィーリアも包みを持っていない。
「どこへやったの?」
「貴女の部屋に送りました」
いつの間に。
「……ありがとう。でも指、鳴らしてないわよね?」
「ああ。鳴らすのは癖のようなものですから。必ずしも魔術の発動条件という訳ではありません」
「……ふうん、そういうものなの?」
レリオが呪文を唱えるように、指を鳴らすことがその代わりなのだと思っていた。
書店から図書館までは十分とかからない。
リモールの山から
書店とは違い、低く作られた書架が数多く配置されている。
高い天井のおかげで室内だというのにかなりの開放感があった。
ランプは灯っていたが、室内は灰暗い。閉館時間が近い図書館には人もまばらだ。
「じゃあ、わたしはちょっと調べものがあるから。ヴィーリアは読みたい本でも探していて?」
「……私もご一緒しますよ」
「……いや、大丈夫よ」
「ミュシャ。貴女はさっきからなにをこそこそとしているのですか?」
灰暗い書架の間で、紫色の瞳にうっすらと光が帯びる。
わたしの身体の両脇に手をつかれて、書架に追い込まれた。背中に本が当たる。
「……こそこそなんて、してないわよ」
「……貴女がおひとりで歩き回るときはなにかありますので。私も学習しているのですよ?」
ヴィーリアの声色は穏やかだったが、ごまかして逃げることはできない圧力を感じた。
それならば……直接訊いてみよう。
「……魅了ってなに?」
わたしの問いに、ヴィーリアの紫色の瞳が眇められた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます