【第55話】 ミュシャの誘い 2




 「いかがですか? 貴女の好みに合うといいのですが」


 「好み?」


 ヴィーリアの視線はわたしの足元に移った。それから確認するように少しずつ上に移動する。 


 わたしもつられて足元に目を遣ると、見たこともないスカートと靴が目に入った。


 「え? ……これ」


 「貴女が着ていた服に手をくわえました」


 すぐさま壁の姿見の前に飛んでゆき、全身を映す。


 襟元にたっぷりと黒いレースをあしらい、腰回りを絞り、ギャザーを入れた膝丈までの黒いワンピース。長袖の肘から先にも襟元と同じレースが施されている。

 足は明るい灰色のタイツに、甲にストラップのある光沢の黒い靴。

 髪は、耳が隠れるように両脇を垂らして結い上げられていた。


 うわぁ……なんて、素敵。もちろん服と靴と髪形の話だけど。


 姿見の前でくるりと回ってみる。スカートが空気をはらんで丸く膨らんだ。


 黒色とデザインのおかげだろうか。広がったスカートも、レース飾りも、可愛いのに甘くない。

 黒いワンピースはふわふわとした柔らかな手触りで、軽くて暖かい。靴もちょうどいい踵の高さだ。履き心地もよく、歩きやすそう。


 元のワンピースや靴の原型なんてどこにもない。手をくわえたどころではなく、もはや立派な別物となっている。


 「とても気に入ったわ! ありがとう」


 礼を言うと、ヴィーリアは満足そうに肯いた。


 「外套コートも直しましたので」


 ヴィーリアが視線を向けた寝台の上には、タイツと同じ色の外套があった。


 あれはもしかして、今まで使っていた年季の入った紺色の外套だったもの?


 ……前にも思ったけど、魔術とはなんと便利なものなのだろう。一家にひとり、魔術師がいればすべての事が足りるような気がしてしまう。


 寝台の上の外套を手に取ってみた。厚手の生地でつくられていて、ワンピースと同じ柔らかな手触りだった。


 「着てみてもいい?」 


 「どうぞ」


 丸襟を立たせた簡素シンプルなデザイン。大きめの黒の釦がアクセントになっている。ワンピースと同じように腰が絞られていて、そこから裾にかけて少しだけ広がってゆく。丈はスカートの裾が少し出る程度。

 ……この外套も、とても素敵。


 袖を通すと見た目よりも軽かった。


 「どうかしら?」 


 ヴィーリアは「よくお似合いですよ」と紫色の瞳を細めた。


 「町で貴女の服も選びましょう。前から少々……手持ちの少なさが気になっていましたので」


 ……うう。それは、だって、しょうがないでしょ。節約第一だもの。


 「でも……そんなには必要ないわよ? もし、お願いできるなら、今みたいに衣装棚の服を直してもらえればそれでいいわ」


 「……支払いのことなら気にする必要はありません。貴女の服を買ったくらいで、侯爵家の財政がどうということもありませんから」


 それはそうかもしれないけど、なんだか気がひける。


 「婚約者からの贈り物です。受け取っておきなさい。……それとも私は、年頃の婚約者に服のひとつも贈れない男だと世間に噂されてもいいのですか?」


 「……」 


 婚約者……とはいっても仮初かりそめのことだ。だけど、そう言われてしまうと受け取らない理由がなくなってしまう。


 「……ありがとう」


 「どういたしまして」


 それからもう一度、ヴィーリアは指を鳴らした。


 突然。本当に突然、部屋の中に紺色のローブを纏った少女が姿を現した。


 !!?


 少女は手に林檎を持っていた。大きく開けた口で、今にも林檎に噛り付こうとしているところだった。


 なに?! ……びっくりした! 

 ……レリオ? 


 赤い髪が目に入る……お父様にアロフィス侯爵様からの信書を運んできた、魔術師のレリオだ。


 以前に彼女が転移魔術で食堂に現れたときのような碧色の光の柱もない。突如としてそこに現れた。ヴィーリアが呼んだのだろうが、さっきのように目の前で光がはじけたということもなかった。


 かしゅっと林檎をかじる音がした。そのとき、レリオと目が合った。


 「…………んん?」


 レリオが首を傾げてぼそりと唸る。それから、はっとした表情。そして、ゆっくりと、というか恐る恐る後ろを振り返った。


 「—―!!!?」


 手からぽとりと林檎が床に落ちる。レリオの声にならない絶叫が、わたしの頭の中にも響いた。


 「な、な、なんで――!?」


 またもや声が裏返る。身体も小刻みに震え出した。


 レリオのあまりの狼狽ぶりに、かえってこちらが冷静になる。


 ……ああ、なんだか、本当に、気の毒に。


 「あの、大丈夫?」


 かわいそうなほどに震えが止まらないので、放ってはおけなかった。


 レリオはこちらに向き直り、うんうんと頷いた。首からぎちぎちと音が出るのではないかと思うほどに、ぎこちない動きだった。


 前回のレリオの怯え方もひどかったけど、今回も相当だ。


 ヴィーリアに『なにかしたの?』と訊いたときに『私はなにもしていませんよ。……ただし、あちらが勝手になにを感じるのかまでは興味はありません』と答えた。


 こちらに渡ってからは力を抑えていると言っていたけど……。


 朔の晩にヴィーリアが地下室に現れたとき、全身が総毛立つような禍々しい寒気を感じた。視線を逸らせば、すぐにでも捕って喰われそうな恐れと威圧を覚えて震えた。

 きっとレリオもそういったものを感じ取っているのだろう。魔術師はわたしとは比べものにならないくらいに敏感なのかもしれない。

 ましてやヴィーリアが『人の理の外の者』に慣れているはずの魔術師でさえ怯えるほどの存在なのだとすれば、なおさらだ。

 だって、レリオのこの怯えようは尋常ではない。


 床に落ちてしまった林檎を拾い上げて、テーブルに置く。レリオの肩を大丈夫、怖くないよとする。


 まあ、そうはいっても……わたしが雷を怖いのと同じで、怖いものは怖いのだ。その気持ちはよく解る。


 「ちょっと、ヴィーリア」


 威圧するのをやめてと、小さく首を左右に振った。


 私はなにもしていませんよ、というようにヴィーリアは肩を竦める。


 レリオはおずおずと、濃く青い瞳をわたしに向けた。


 「確か、レリオといいましたね?」


 ヴィーリアが問う。レリオはヴィーリアにではなく、わたしに向かって必死に肯いた。それを見たヴィーリアの口角が僅かに上がる。それから、それはもう、極上に優しい声色を使ってレリオに微笑んだ。


 「少し頼みたいことがあるのです」


 レリオは眉を下げた。うつむいてから「か、かしこまりました……」と小さく返事をした。




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