【第52話】 モヤモヤする気持ち 1



 柔らかい光が瞼の裏にまで入り込んできた。眩しくて目を覚ます。

 朝の陽光がカーテンをすり抜けて、部屋の中に満ちていた。すでに外はかなり明るい。 

 寝過ごしてしまったようだ。


 部屋の扉が控え目に四回、ノックされた。……ベルだ。

 朝食の時間にも遅れているのかもしれない。


 「お嬢様? おはようございます。起きていらっしゃいますか?」 


 「おはよう。今……起きたところなの。どうぞ」


 ベルに返事をしながら身体を起こそうと寝台に手をつくと、さらさらとした滑らかな絹糸のようなものが触れる。なんだろうと視線を向けた。


 「は…………い!?」


 わたしの隣で横になっていたヴィーリアの紫色の瞳と目が合った。


 「お嬢様? 入りますよ?」


 「えっ!? あっ! だめっ! っていうか、ちょっと、待って!」


 ブランケットの上に脱いであったガウンを手繰り寄せて、慌てて羽織る。


 こんなところを――朝からヴィーリアと一緒に寝台にいるところなんか――絶対に見られるわけにはいかない。


 「お嬢様?」


 「いや、あの、すぐに食堂に行くわ。大丈夫! 大丈夫だから。なんでもないから。入ってこなくて大丈夫!」


 「……でも」


 「本当になんでもないの。絶対に大丈夫!」


 「……では、なにかあればすぐに呼んでください」


 「わかったわ。本当になんでもないから。……ありがとう、ベル」


 焦るわたしを気にも留めずに、ヴィーリアはゆっくりと寝台の上に身体を起こした。


 白銀色の長い髪を気怠けだるげにかき上げる。深い紫色の瞳が纏っているのは、退廃的な夜の香りだった。


 黒いシャツのボタンは、なぜだか胸がすべてあらわになりそうなほどに外されていた。胸とお腹のきれいに割れて引き締まった筋肉が目に入ってしまい、慌てて視線を逸らす。なにしろ、留まっている釦のほうが少ない。お臍まで見えてしまいそうだ。目のやり場に困る。


 「やっとお目覚めですね」


 立てた膝の上に肘をついたヴィーリアは、筋張った手の甲に顎を置いて首を傾げた。


 ……ああ、今日もヴィーリアは朝から絶好調にただれている。


 「ちょっと……なんで部屋に戻ってないの? それに……シャツがはだけちゃってるわ」


 視線は逸らしたままでシャツをゆびさす。はだけているどころではなく、半分以上、脱いでいるようなものだ。


 ヴィーリアは依代を徴収したあとはいつもなら客間に戻るのに。今朝はなぜ、ここにいるのだろう。それに……目が覚めていたのなら起こしてくれてもいいだろうに。


 「昨夜のことを……憶えていないのですか?」


 仕方がないというようにゆっくりと手を動かして、シャツの釦を留めていく。


 「……」


 おかしな夢を見ていて、ヴィーリアに起こされた。いつも依代を徴収される時間よりもずいぶんと早かったはずだ。そして、そのまま左耳に口づけられた。それからは……憶えていない。とにかくとても眠くて、わたしはそのまま眠ってしまった。


 ヴィーリアはわたしの目の前に、おもむろに腕を出した。黒いシャツの袖はぎゅっと握られていたように、皺くちゃになっている。


 「貴女が一晩、私を放さなかったのですよ?」


 ……言い方、言い方。


 「わたしが……ずっと握っていたの?」


 そんなはずは……ないと思いたいが、なにせ記憶がないので否定もできない。


 昨夜は夢見が悪かった。左耳に唇をよせたヴィーリアの長い白銀色の髪は、わたしの肩に沿って胸までこぼれ落ちていった。そのことに安心したのは憶えている。眠ってしまってから、無意識のうちに……ヴィーリアを掴んで放さなかったのだろうか。


 頬が一気に熱くなっていくのがわかる。


 「……おやおや、熟した林檎のようですね……」


 まだ夜の香りが残る瞳が細められ、唇が弧を描いて上がる。ヴィーリアは喉の奥でくっと哂った。


 頬の熱さは自分では止められない。馬鹿にされているのが、なんだか悔しい。


 「わたしは……ヴィーリアとは違うから」


 つんと横を向いた。


 「おや……? また、やきもちですか?」


 「違うよ!?」


 またってなに? 秋桜の高台でのことを言っているのなら、断じてあれは、やきもちなんかじゃないよ!?


 「……ミュシャ」


 ヴィーリアの白く長い指がわたしの髪に触れた。くように、黒檀色の髪に指を差し入れる。それから遊んでいるように髪に指を絡めた。


 「貴女の髪……」


 深い紫色の夜の瞳は、わたしを捕えた。どくん、と鼓動が跳ねる。


 ふっくらとした形の良い唇が開いた。


 「寝ぐせがひどいですね」


 「!?」


 慌てて両手で頭を押さえて、髪を隠す。髪の毛が細いのでいつも寝起きは絡まっている。だけどいつもなら、そこまでひどいということもなかった。よりによって、今日に限って……そんなに酷い?


 部屋の扉が再びノックされる。


 「お嬢様。おはようございます。ブランドです。……どうかなさいましたか?」


 ベルがブランドを呼んだらしい。


 確かに、さっきのわたしの返答はあからさまにおかしかった。ベルが心配するのも無理はない。……うん。ブランドを呼ばれても仕方がない。


 「おはよう。ブランド。どうもしてないわ。本当に大丈夫よ。今朝は……起きられなくて、寝過ごしてしまったの。ごめんなさい。着替えてすぐに食堂に行くわ」


 「……そうですか。……それでは、お待ちしております」 


 いぶかしんでいる様子だったが、深くは追求されないことにほっとした。髪を押さえながら振り返る。寝台の上に、ヴィーリアの姿はすでになかった。





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