【第50話】 夢の中で 1



 はっきりと意識はあった。

 それでも一瞬目が覚めたような感覚があり、気が付くと周囲一面真っ白な空間にいた。見渡す限りなにもない。白い空間が続いている。その空間自体が発光しているように、ぼんやりと薄く光っていた。


 わたしはそこに立って、浮かんでいた。足元に地面がないのだから、浮かんでいるとしかいいようがない。

 ここは寒くもなく、暑くもない。

 ……どうやら夢の続きを見ているらしい。


 「やっと、お話ができるね」


 さっき鏡の中から聞こえてきた声が響く。

 目の前に木枠にはまった小さな丸い鏡がすっと現れた。鏡も浮いている。鏡面はもう光ってはいなかった。


 「……誰?」


 夢なのだから、誰なのか? と問いかけても意味がないのかもしれない。でも、誰なのかもわからずに話すことはできない。


 「あれ? 憶えてない?」


 鏡はふるふると震えた。

 ……なんだか小動物を連想させる。餌を口いっぱいに頬張るリスを思い浮かべて、かわいらしいと思ってしまった。


 「わからないわ」


 「そうなの? 僕って印象が薄いのかなぁ? ロロスです。フィリップ・ロロス。神殿の司祭ですよ」


 ……。


 司祭様だと告げた途端に鏡は消えた。かわりに白いローブを纏った、ロロス司祭様の姿が白い空間に足元から現れる。

 肩までの濃い金色の髪は強めに波をうっている。分厚くて大きな丸眼鏡をかけていて顔はよくわからない。


 うん。確かに伯爵と一緒に馬車から降りてきた司祭様だ。伯爵よりは少しだけ低かった身長も、わたしからは見上げるように高い。

 ぼんやりと光る白い空間の中、白いローブを纏った金色の髪の司祭様はなんだか神々しい。後光が射しているみたい。


 ロロス司祭様を登場させてしまうなんて……。

 自分の夢ながら理解に苦しむ。夢とは自覚していながらも調整コントロールはできないらしい。ヴィーリアに知られたらいろいろと言われそうなので、黙っていようと決めた。


 ロロス司祭様は口元に手を添えた。わたしを爪先から頭の天辺てっぺんまでじっと眺めると、視線を往復させる。まるで観察されているようで居心地が悪い。

 自分の夢なのに。

 居心地が悪いなんてどういうことだろう。


 「あの……」


 ロロス司祭様は軽く手を挙げて、わたしの抗議の言葉を止めた。


 「早速だけど、時間もあまりないから本題に入らせてもらってもいい? 魅了にかけられてるよね?」


 「……魅了?」


 なにそれ? かけられてるって? 


 「心を縛るにはそれが一番手っ取り早いし……。ううん? ……違うのかな?」


 そう呟くと、足を一歩前に踏み出して、目の前のわたしとの距離をさらに縮める。


 弾かれるかもしれないという考えが頭をよぎった。身体が強張り、反射的に後ずさると、足がもつれて絡んで引っかかり、身体の重心を崩す。


 うわっ! 転ぶ!?


 浮いていながらも後ろに数歩よろめいてしまう。


 「おっと、大丈夫?」


 尻もちをつく寸でのところで、ロロス司祭様の白いローブの腕が視界の隅に映った。腰を支えられて、助けられる。


 弾かれはしなかった。

 ……まあ、そうか。夢だものね。


 「……ありがとう」


 腰と背中を持ち上げて立たせてくれた。と思いきや、いきなりもう片方の手でぐいっと顎を掴まれる。そのまま強制的に顔を上に向けられた。


 「!?」


 いや、支えてくれたことには感謝だけど、なぜ顎に手をかける!? 


 顔をそむけようとするも……顎を固定する力が思いのほか強い。顔を動かせない。


 超至近距離で分厚い丸眼鏡の顔が近づいた。


 近いよ!? 近過ぎるよ!? 司祭様!


 「ちょっと!?」


 分厚いレンズ越しに、じっとわたしの瞳を覗き込んでくる。


 「ううん? 動かないで、よく見せて?」


 まるで底の底まで見透かそうとしているかのようだ。


 遠目では眼鏡の分厚いレンズが邪魔をしていてよくわからなかったけど、この超至近距離ではそのレンズの奥がよく見える。

 ロロス司祭様の瞳は緑色と黄色が混ざった黄緑色だった。瞳の外側は緑色が強く、内側ほど黄色味が増す。鏡に映ったあの瞳。

 空間をうっすらと発光させている光は、瞳に反射しながらも溶け込んでいるようできらきらと輝いて見える。 


 この状況を忘れて思わず見惚れそうになるほど、とても美しい。


 ……でも、それとこれとはまったく別の問題だ。


 「司祭様……」


 「ん?」


 「手を離して」


 「……ああ……。ごめんね」


 ロロス司祭様は腰を支えていた手と、顎を掴んでいた手をぱっと離した。両方の手のひらを挙げて見せる。悪びれもせずに、にこりと微笑んだ。

 わたしはすかさず後ろへ飛びのく。


 なんだか、このロロス司祭様は誰かと似ているような気がする。本物のロロス司祭様は丁寧に礼儀正しく、お父様やわたしたちにも挨拶をしてくれた。

 調整コントロールが利かないとはいえ、こんな風に夢の中に登場させてしまうとは……。本物のロロス司祭様、本当に、本当にごめんなさい。


 夢の中のロロス司祭様は、自分の顎に親指を充てて首を傾げる。


 「お嬢さん、それ、どうなってるの?」


 「それ?」


 「魅了じゃないよね。なんだろう……」


 「……なんのこと?」


 「……安心して、っていうのもおかしいけど……お嬢さんには、魅了はかけられてない、ね。でもさ……それは?」


 探るように訊いてくる。


 さっきから魅了がどうのとか、それとか……。

 全く意味がわからないので、答える気はもちろんない。


 この夢、早く覚めて欲しい。


 「ううん? 教えてくれる気はない、のかな……? そうかぁ……じゃあ、次ね。魂を対価に契約したでしょう?」


 「……」


 なんだか首の後ろがまた、本当に、ほんの少しだけちりちりと引きつれだした。





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