【第49話】 侯爵家からの信書 2
「……何を考えているのですか?」
午後のお茶の時間。隣で紅茶を飲んでいたヴィーリアが訊いた。
ここ最近は特に問題もなく、司祭様たちもいないために、紫の瞳の色は穏やかだった。
司祭様たちは屋敷には戻っていない。リモール山脈の麓の村を出ると、今度はそのままユーグル山脈方面の村へ向かうとの手紙が届いていた。
「……この間の、アロフィス侯爵家からきた魔術師の女の子のこと」
本当は違うことを考えていた。
ヴィーリアとなにか勝負をしている訳ではないが、そのことを口に出してしまえば負けのような気もしていた。
「それが、どうかしましたか?」
「アロフィス侯爵家から、まさか本当に魔術師が報告にくるとは思わなかったわ」
「侯爵に連絡はつけてありましたから」
「それは聞いていたけど。本当に侯爵家に依頼しているとは思わなかったの。ヴィーリアがお父様に直接に報告するのかと思っていたから。だってヴィーリアは指を鳴らしてすぐに、伯爵の噂が本当なのかどうなのかをわたしに教えてくれたでしょ?」
「貴女にだけ伝えるのならそれで済むことですが、男爵は公都に出て、侯爵家に挨拶に行くようでしたので。当然、そういった話にもなるでしょう。……男爵がこの件について礼をするのなら、侯爵に話を通して調査をさせておかないと、いろいろと面倒なことになりますから」
……それもそうだ。
ヴィーリアがいきなり婚約者になっていたことを思い出す。なにも知らされていなかったために、大いに戸惑って抗議をした。
アロフィス侯爵様だって、いきなりお父様から伯爵の噂に関する調査の礼を言われたら、なんのことかわからずに戸惑うに違いない。
「それにアロフィス侯爵家の魔術師たちは優秀です。私の
……珍しくヴィーリアが褒めた。と思ったら、当たり前だというようにしれっと自分の優秀さを付けくわえる。
「眷属って?」
「……従者のようなものです」
「ふうん。そうなの……」
仕えてくれているブランドやベルのような者たちなのだろうか。
ヴィーリアのことはまだほとんど知らない。
知っていることといえば、リモール産の紅茶が気に入っていること。意外と凝り性で、好奇心があること。すぐにタイを弛めること。ときどき、鋭い言葉でわたしを刺すこと。わりと強引で不埒なこと。わたしをよくからかうこと。夢を見ないと言っていたこと。爛れた雰囲気を出すのが得意なこと。二人のときは慇懃無礼なくせに、表の顔は好青年な婚約者であること。意外と優しいところがあるかもしれないこと。わたしの血に引かれたこと。わたしと魂の相性がいいらしく、一部がつながってしまったこと。時折、人ではないと思い知らされること。紫色の瞳が深くて綺麗なこと。
……ほら。知っていることはわたしと契約してからのこと。こちら側のヴィーリアのほんの少しのことだけ。
「……彼女、最初は緊張して震えているのかと思ったけど……もしかして、ヴィーリアがいたから?」
「さあ? どうなのでしょう」
口角が少し上がった。この笑い方は……たぶん、いや、絶対にそうだ。
「なにかしたの?」
「私はなにもしていませんよ。……ただし、あちらが勝手になにを感じるのかまでは興味はありません」
やっぱり。レリオと名乗った魔術師の少女はヴィーリアに怯えていたらしい。
今まで考えたことはなかったけど……。
ヴィーリアは人の理の外の者に慣れているはずの魔術師でさえ怯えるほどの存在なのだろうか。
『……私が貴女に召喚された時点で、願いの半分は叶っていたも同然なのですよ』
確かにそんなことを言っていた。余程の自信と力がなければ言えないことだ。
……わたしは魂を対価にヴィーリアと契約をした。紋章も刻印されて、魂の一部もつながってしまった。
だけど……そんなことも知らない。
この深い紫色の瞳の、もっともっと奥にはなにが隠されているのだろう。
「ミュシャ」
わたしの腰に手を回して引き寄せたヴィーリア。
「ちょっと、離してよ」
今、そんな雰囲気じゃなかったでしょ?
「……あまりに情熱的に見つめられたので、ご期待にお応えしようと思ったのですが?」
「そんなに見つめてないよ!?」
「そうですか?……相変わらず貴女の情緒は理解し難い」
わたしを抱き寄せたままで、ヴィーリアは紫色の瞳を細めて喉の奥でくっと笑った。
***
「……お嬢さん……お嬢さん」
暗い部屋の中で微かに声が聞こえる。
……ん? 誰? ……夢?
「……お嬢さん……お嬢さん」
繰り返し声がする。
わたしの意識は完全に眠っているわけではなく、完全に起きているわけでもない。眠りと覚醒の狭間にあった。
気のせいかもしれないが……首の後ろがほんの少しだけちりちりとひきつれている感じがある。
「……お嬢さん……お嬢さん」
……お嬢さんってわたしのこと? わたしを呼んでいるの?
ぼんやりと目を開ける。枕元に置いた小さな丸い鏡の鏡面が、きれいな黄緑色にうっすらと光っている。
……なに、これ?
家庭菜園で拾った鏡は泥を落としてきれいに磨いた。机の引き出しにしまっておいたものを取り出して眺めていた。
大切に丁寧に使われてきたような鏡。
木枠のどこか隅に持ち主のイニシャルでも彫られていないかと探したけど、そういったものは見つからない。
最初はシャールの落とし物だと思った。でも……シャールがこの鏡を使っているところを見たことはない。
明日にでも屋敷の皆に訊いてみようと思いながら……鏡を眺めているうちに眠ってしまったらしい。
手を伸ばして鏡を手に取る。不思議と怖いとは思わなかった。うっすらと光っている鏡面を覗くと、光と同じようなきれいな黄緑色の瞳が映っていた。
「よかった……。やっとつながった……」
また首の後ろが、ほんの少しだけちりちりと引きつれたような気がした。
「あまり時間はない、かな?」
やはり声は鏡の中から聞こえている。
鏡の中に映っている黄緑色の瞳は、よく見ると縁が緑色。中心に向かうにつれて黄色味が強くなっていた。とてもきれいな色をしている。
……誰? こんな瞳の色を持つ人は知らない。……ああ、そうか、やっぱり夢なのね。
「お嬢さん、おいで」
黄緑色の瞳と目を合わせてその声を聞いたとたんに、わたしの意識は落ちた。
正確にいうのなら、意識はある。身体と意識が突然に切り離されたような感じ。指先ひとつ動かすことができない。意識だけがそのまま、すうっと落ちていくような浮かんでいくような、不思議な感覚に
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