【第48話】 侯爵家からの信書 1



 朝の食堂の席についていると、なんの前触れもなく床からまばゆあお色の光の柱が現れた。その光は天井へと真っ直ぐに伸びてゆく。

 突然のことに皆は何事かと、その光にくぎ付けになってしまった。


 碧い光が徐々に薄れてゆく中からは、紺色のローブをまとった赤い髪の少女が現れた。


 「アロフィス侯爵家所属の、魔術師の……レリオと、も、申します」


 少女は恭しくひざまづいて礼を取った。名乗った声は完全に裏返っている。その上に、震えて聞こえた。


 「……えと、あの……。お食事中のところ、大変申し訳ありませんっ。アロフィス侯爵様から、ライトフィールド男爵様に、し、信書しんしょをお届けに、参りましたっ」


 アロフィス侯爵家の、おそらく諜報部から使いの魔術師がきた。

 伯爵がお父様に謝罪をしてから今日で七日目。


 『七日ほどお時間を頂ければと……』


 伯爵の語った噂に関する件を調査するために、ヴィーリアがお父様と約束をした期限だった。


 ……これ、転移魔術だよ、ね? 


 ヴィーリアに二回、転移を体験させてもらったが、実際に魔術師が転移をしてくるところは初めて見た。


 碧い光の柱が立った光景はかなり幻想的だった。それにくわえて公都からリモール領まで転移してきたということに、お父様もお母様も、ブランドもベルもルイも、もちろんわたしもだけど、食堂に居合わせたヴィーリアを除いた全員が驚愕して、ただ茫然と眺めていた。

 公都へ行くにしてもリモールに来るにしても、汽車に乗ってもまる一日以上はかかるはずだ。


 ここリモールでは、転移魔術など物語や歴史書の中でしか語られない。リューシャ公国の片田舎の中の片田舎、西の辺境のリモール領には魔術師などいないのだから仕方がない。皆、驚きのあまり口を開くことさえ忘れていた。多少はヴィーリアの魔術に慣れたわたしだって、眩い碧色の光の中から突然に人が現れるという神秘的な光景に目を奪われた。


 レリオと名乗った赤い髪の魔術師の少女は、皆にじっと見られたままで、どうすればいいのかと困惑した様子だった。「あの……」と、顔を上げる。そのとたんにびくりと肩を震わせてすぐに下を向いてしまう。


 レリオは細かく震えていた。その手には封蝋で印璽いんじされたアロフィス侯爵家の信書を携えていた。


 「あなた、お茶が……」


 お父様は手に持ったティーカップから紅茶がこぼれかけている。


 気が付いたお母様が慌てて声をかけた。

 お父様がはっとしたようにティーカップを持ち直す。


 「お使いご苦労だったね。……男爵様に報告書をお渡ししてくれないか」


 一人、平然としていたヴィーリアが優しく声をかけた。


 「は、はいっ」


 レリオの声がさらに裏返った。緊張のせいなのか、なんなのかよくわからないが、可哀そうなほどにびくびくとしている。そして今度は、大きく震えだした。


 ……まさか、ヴィーリアに怯えているの? 


 魔術師なのだからヴィーリアのような人の理の外の者には慣れているだと思うけど……。違うのだろうか。レリオのこの震える様子は、なにも知らないお父様たちからしたら、もはや挙動不審の域だと思う。


 レリオを気遣ったヴィーリアの声に、ブランドが一番に反応した。


 震えが止まらないレリオから信書を受け取り、お父様に手渡す。


 「……これは、これは公都からよく来てくれた。……レリオと言ったかな? わたしたちは魔術も魔術師も珍しくて……。失礼したね。今、部屋を用意するから、すこし休んでいくといい」


 「ひっ!」 


 ひっ?


 レリオは恐ろしいことを聞いてしまったという表情かおで、慌てて大きく両手を振る。


 「いや、あの、し、失礼いたしました。わたしはこの後も、し、仕事が立て込んでおりますゆえに、これで失礼させていただきますっ」


 そう言うや否や、口の中でなにかを素早く唱えた。眩い碧色の光の柱が床から天井に真っ直ぐに伸びてゆく。魔術師の少女の姿はすでに光の柱の中にあった。


 碧色の光がおさまると、レリオの姿は食堂から跡形もなく消えていた。レリオが現れたときと同じように皆、彼女が消えた誰もいない空間をただ茫然と眺めていた。


 「……魔術師というのは、皆……あのように……せわしないのですかな?」


 かなり言葉を選んだお父様はヴィーリアに尋ねる。


 「さぁ、どうなのでしょう? アロフィス侯爵家の次男とはいえ、私も魔術だけにはいささかうといものですので……」


 ヴィーリアは柔らかな口調でにこりと微笑む。それから、紅茶を美味しそうに一口飲んだ。





 朝食後に執務室に集まり、アロフィス侯爵家からの報告書を開封することになった。これにはわたしも同席を許された。


 お父様がペーパーナイフで信書を開封する。中からは数枚の報告書が出てきた。お父様の目は慎重に、報告書の文字を追ってゆく。読み落とさないようにゆっくりと丁寧に、すべてに目を通し終えると、顔を上げて安心したようにほっと息をついた。


 「ベナルブ伯爵様がお話してくださったことは、真実のようだ」





***



 アロフィス侯爵家から報告書が届いてから二日後。お父様とお母様は伯爵領へと発った。伯爵領での協議が終わり次第、そのまま公都へと向かう。公都ではアロフィス侯爵家を訪ねたあとに、シャールとノルンに会いに行く予定になっていた。



 『伯爵様とは……いろいろとあったが……。やはり、我がリモール領に救いの手を差し伸べてくださったことを忘れることはできない。……信用を回復するためには時間が必要だ。それは、これからの伯爵様次第でもある。私は……過ちを認めた伯爵様の勇気を汲みたいと思う。将来的にはお互いに信頼し合うことができる、友好的な関係を築いてゆけることを願っている』


 お父様はそう言った。


 ヴィーリアに願ったことがいよいよ、ここまできたのだ。





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