【第47話】 謝罪と見習い司祭様



 夢を見ている。


 湖に浮かべたボートに揺られながら流星群を見ていた。夜の空には一面に金色、銀色、くらい赤色、蒼色、橙色などの星の光がちらちらと瞬いている。その星の上を、幾つもの明るい光の線が四方八方に飛んでゆく。一瞬で終わるものもあれば、強い光を放って長い線をえがくものもあった。

 夜空一面に流れる刹那の光を、二人で眺めていた。ヴィーリアが楽しそうに笑っていたから、これは夢なのだとすぐにわかった。





 左耳の熱と疼きで目が覚めた。……もうそんな時間なの?


 「目が覚めましたか?」


 耳の縁から唇を離してヴィーリアが囁く。白銀色の髪が頬に流れてくる。


 「ん……でも、まだ眠い」


 昨夜はなかなか寝付けなかったと、ぼんやりと思い出した。


 ヴィーリアは左耳を上にして横になったわたしを、背後から抱えている。最近はたいていこの姿勢で目が覚める。どうやらヴィーリアにとっては依代を徴収しやすい体勢のようだった。


 「……笑っていましたね」


 「……そう?」


 なにか……夢を見ていた気がする。でも、どんな夢だったかは、憶えていない。





 朝食を運んできたベルに、見習い司祭様は忘れ物のほかにも用事があるため、しばらくは屋敷にとどまると聞いた。


 「ほかの用事ってなんなのかしら?」


 「わたしは知りませんが、ブランドさんなら聞いているかもしれませんね」


 首を傾げたベルはあとでブランドに尋ねてみると言った。




 その日の午後にベナルブ伯爵から、わたしにも直接に謝罪がしたいとの申し入れがあった。

 自分よりも爵位が下の者に謝ることは、覚悟と誠意がなければできることではない。わたし自身は男爵の娘であるというだけで地位もなにもないのだから、その申し入れだけで伯爵の誠意は感じることができる。


 お気持ちだけで充分ですと、お父様に伝えたのだが……伯爵からの申し入れを断ることは難しい。結局、お父様とお母様、ヴィーリアと一緒にわたしの部屋で謝罪を受けることになった。


 ……あんな姿をお見せしてしまったので、顔を合わせるのは非常に気まずい。そのために食事も部屋で取ることにしたのに。


 緊張しながら伯爵を待った。


 扉を開けて入ってきた伯爵も、なんだか表情が強張っている。同じように緊張している様子が見てとれた。足首の包帯に視線を遣ると苦しそうに目元を歪める。そして、意を決したように頭を下げた。


 「私の短慮で愚かな行いのせいで……辛く苦しい思いをさせてしまったこと、本当に申し訳ない」


 「……どうか、お顔を上げてください」


 伯爵はゆっくりと顔を上げて目を逸らさずにわたしを見た。伯爵の瞳は自らの行いに対する後悔と苦悩の色に揺れていた。……自分の過ちを認めて、直接に謝罪をしてくれた真摯な誠意は充分に伝わってくる。


 ……うん。もともとは真面目で素直な性格の人なのだろう。


 いろいろと思うところも、言いたいこともたくさんあったが、あとはお父様とシャールに任せることにする。


 五日後には、ヴィーリアののアロフィス侯爵家の諜報部から、伯爵に関する報告がお父様にあるはずだ。お父様はきっと、二人のために最良の判断をしてくれる。

 シャールと伯爵がきちんと話し合うことができますように。



 伯爵の謝罪のあとに今後の予定が取り決められた。


 お父様とお母様は、伯爵が自ら破棄した督促状の残務処理と新たな契約書を作成するなどのために、一週間後に伯爵領に赴くことになった。そのあとは、リモール領には戻らずにそのまま公都へと出発する。


 お父様たちが留守の間、ヴィーリアとわたしは屋敷を預かることになった。リモール領に司祭様たちが逗留しているからだ。


 翌日に伯爵はどこかすっきりとした表情かおをして、従者とともに領地へと戻っていった。



***



 部屋の窓から庭を見るたびに、白いローブ姿の見習い司祭様の姿が目に入っていた。白い色はよく目立つ。


 わたしが応接室の床に転がりヴィーリアに抱えられて部屋に戻されるときに、見習い司祭様はなにかを言おうとして手を伸ばした。それをヴィーリアはあえて無視した。あれ以来、見習い司祭様からは特になにも接触はない。


 なにかを言いたそうにしていたことは、気のせいだったとは思えない。


 わたしは足の怪我を理由にして部屋からはほとんど出ていない。

 見習い司祭様が部屋を訪ねてこない限りは、廊下や庭でばったりと顔を合わせてしまうこともなかった。


 伯爵が領地に帰った翌日には、用事を終えたらしい見習い司祭様も、ロロス司祭様が布教活動をしているリモール山脈の麓の村へと戻っていった。 


 ベルはブランドに見習い司祭様の用事とはなんなのかを訊いたが、ブランドも知らなかった。見習い司祭様は『ロロス司祭様に頼まれたことです』としか、お父様にも言わなかったらしい。


 わたしは足の包帯を外して、部屋で食事を取ることをやめた。


 日中はお父様とお母様、ヴィーリアは執務室でこれからの事業計画を練っていた。商会、鉱山、宝石、加工、輸送業などの関係者が連日、入れ代わり立ち代わり執務室へと通されている。


 屋敷には新しい仲間が増えた。フェイの妹のルイだ。先日、フェイの紹介状を持って屋敷を訪れた。紹介状が投函された日付はシャールとフェイが屋敷を出た日だった。


 ルイは生真面目そうな雰囲気がフェイとよく似ている。ベルが張り切って仕事を教えていた。


 午前中に図書室で古い書類の整理を終えると特にやることもなくなる。ここ数年は忙しくしていたので、時間が空いてしまうとなんだか落ち着かない。数日間部屋にこもっていた間に、元々が運動不足気味の身体はさらになまってしまった気がする。


 時間があると、テーブルの上に置かれたグラスをぼんやりと眺めたあの夜のように、取り留めもないことが頭に浮かんだ。


 余計なことを考えないためにも、運動不足解消のためにも、とにかく身体を動かしていたい。


 『なるべく一人では行動しない』ことは身に染みていた。だけど司祭様も見習い司祭様もいない今は、おそらく……大丈夫だ。と、思う。


 ケインの手伝いをしようと厨房へ行ったが、ルウェインがいるので間に合っています。と、やんわりと断られた。ベルの仕事はどうかと覗いてみると、ルイに屋敷の仕事を手順に沿って教えていた。ベルとルイの邪魔をしないように、庭仕事をしていたコディに声をかけてみる。コディには「力仕事になるからお嬢様にはムリです」と言われてしまった。それならば家庭菜園の手入れでもしようと、裏庭にまわる。


 高い空に細く薄い雲がたなびいていた。久しぶりの裏庭で大きく伸びをしてみる。縮こまっていた身体が伸びるようで気持ちがいい。


 嵐の日に強い風雨にも耐えて枝に残った葉は、ところどころ赤や黄色に色づき始めていた。


 シャールと一緒に植えた葉物野菜の間から伸びている雑草を抜いていると、草の間でなにかが光を反射した。両手で草をわけると、鏡が半分ほど土に埋もれていた。掘り出して手に取ってみる。片方の手のひらにすっぽりと治まるほどの小さな丸い鏡だった。丸い鏡は滑らかに磨かれた木の枠にはまっている。木の枠は長い年月の間、使い込まれて大切に手入れをされているような風合いを醸していた。


 シャールの落とし物だろうか。それとも水撒きをしているコディが落としたものか。あとでコディに聞いてみようと、乾いた土を落としてポケットにしまった。


 重なり合って生えた葉物を間引いて、菜園の手入れを終えた。間引いた葉物はケインに渡すつもりだ。厨房に行く途中で、コディに拾った丸い鏡を見せた。


 「僕のじゃないですね」


 それならばシャールの落とし物かもしれない。



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