【第46話】 伯爵の告解 2



 お父様たちが部屋を出ていくと、ヴィーリアはすぐに片手でタイを弛めた。


 「伯爵はお父様に謝罪をしたのね」


 推測したベナルブ伯爵の馬鹿な画策(仮定)はおおむね、その通りだったようだ。仮定から確定に格上げになった。


 お父様も言っていたように伯爵の話が本当ならば……同情する面もある。だからといって、失った信用はすぐに取り戻せるものではないのだが。


 「伯爵の話は……どうなの?」


 人差し指を唇の前に立てたヴィーリアは、静かにと合図をして目を閉じる。ぱちんと指を鳴らすと、ついでにテーブルの上のティーポットの注ぎ口からも白い湯気が上がった。


 「………まあ、嘘はないようですね。正確にいうのなら家門というよりは、そこの令嬢が噂の元のようですが」


 「……そうなの。伯爵は、気の毒ね……」


 「……」


 「ご令嬢もどうしてそんなひどいことを……」


 縁談を持ちかけた相手に断られたからといって、そういった仕打ちを返すことはどうなのか。貴族同士のことなので理由はそれだけではなく、そこにはいろいろな思惑が絡み合っているのかもしれない。しかし、だからといって……。


 ヴィーリアはカップに新しい紅茶を注いでくれた。


 「まあ、そのようなことを考えるのは貴女らしいですが……。その令嬢は非常に人間らしい」


 足を組んで紅茶の香りを鼻先にくゆらせてたのしんでいる。


 「人間、らしい?」


 「……人間は揺らぎです。善でもなければ悪でもない。光でもなければ闇でもない」


 なんとなく……解るような気もするし、解らないような気もする。


 「でも……酷い噂を流したのはどちらかといえば『悪』でしょ?」


 「そこだけを切り取ってみれば……。ですが、最初から最後まですべてが一貫した『悪』というわけではない。そうですね……貴女にも解りやすく例えるならば……もしかしたらその令嬢は、匿名で孤児院に多額の寄付をしているかもしれない。もしかしたら雨の中に捨てられた子犬やら子猫やらを救ったかもしれない。もしかしたら、伯爵に恋をしていて哀しい涙を流したのかもしれない……。それらがすべて『悪』ですか?」


 「そういわれると……」


 「伯爵だって、貴女だって同じです」


 伯爵も、わたしも、同じ?


 「伯爵はリモール領を救った。そしてその手で貴女方を追い詰めた。ミュシャ、貴女は魂を対価とすることを『わかっている』と言った。しかしその覚悟は常に一定ではなく揺れ動いている」


 「……」


 嵐のあとに図書室で『わたしはヴィーリアの玩具おもちゃじゃない』と言い、ヴィーリアは笑うのをやめて『今は……まだ、ね』と言った。その言葉は胸の奥に重く沈んだ。覚悟はしているつもりだったのに。


 「責めているのではありません。人間は……その狭間で迷い、悶えるさまがそれは美しく、儚く、非常に興味深いのです」


 人の理の外の者からしたら、ということなのだろう。紫色の瞳は熱を帯びたように深くけて、わたしを見つめていた。

 ……ヴィーリアが朔の闇から現れたことを改めて思い知らされる。


 「……でも、だからといって、そんなことをしてもいいとは思えないわ」


 「貴女ならそう言うでしょう。しかし、それは私たちにはあずかり知らぬことです。人間同士で裁定すればいい」


 ヴィーリアはいつもの通り平然と言う。


 白く長い指は黒檀色の髪を一房掬って、指に絡めてゆく。深い紫色の瞳は蕩けたままでわたしの琥珀色の瞳を覗いた。

 ……わたしの中の、なにを見ているのだろうか。

 怖い、とも思う。それでも、美しいとも思ってしまう。ヴィーリアから……目を逸らすことができなかった。





 その夜は寝台に横にはなったものの、なかなか眠れなかった。いろいろなことが頭に浮かぶ。長い一日だった。


 闇の中に微かに輪郭をなす、テーブルの上に置かれたグラスをぼんやりと眺めた。


 シャールとフェイは大丈夫だろうか? 


 ヴィーリアはお父様に『七日ほどお時間をいただければ』と言っていた。アロフィス家の諜報部の報告として、伯爵の語りの真偽を伝える期限だ。


 報告を受けたお父様が伯爵とシャールの件に判断を下したら、ヴィーリアはどうするのだろう。シャールと伯爵の話し合いが実現するまではこちらにとどまっていてくれるのだろうか。それとも司祭様たちが次の地へと発つために、リモール領を去るときまでは留まるのだろうか。それともアロフィス侯爵家とライトフィールド男爵家の事業が軌道に乗るまでなのだろうか。それとも……。


 わたしの願いの成就を見届けるまではこちらにいると言った。それは一体……どこまでなのだろう。



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