【第43話】 ただ望めばいい 1



 「……わらってる?」


 「いいえ」


 「……じゃあ、怒ってる?」


 「…………いいえ」


 「間があった。やっぱり怒って……」


 「ご存じでしょう? 貴女に嘘はつけません。ただ……どうしたらこうたびたびと……呆れているだけです」


 ……うう。そんなことはわたしが訊きたい。


 情けなさと恥ずかしさで顔中が、いや、身体中が熱い。へんな汗も出ている気がする。


 紫色の瞳に物言いたげに見下ろされながら、横抱きに抱えられて執務室から部屋まで戻った。寝台に下ろされて座らされる。ヴィーリアはわたしの足元に片膝をついた。




▽△▽△▽



 執務室への扉の前でグラスに耳を充てている現場をブランドに見つかってしまい、とっさにつまづいて足首を捻って痛めたふりをした。なぜだかブランドの後ろには見習い司祭様がいた。案内されて応接間に通されたようだった。


 疑うことを知らない純粋な見習い司祭様は、親切にも痛めた足をようとしてしゃがみ込んだ。


 『ミュシャ!』


 わたしの飛んでいった平常心と危機感に反応したヴィーリアの緊迫した声を聞いた後に、執務室の扉が勢いよく内側にひらかれた。

 その結果、扉にぴったりと背中をへばりつけていたわたしは支えを失い、開けられた扉と一緒に執務室の床へと転がった。


 ヴィーリアが突然にわたしの名前を呼んで応接室へ繋がる扉を開けたことにも驚いたのだろうが、開けられた扉から転がり込んできた娘を、お父様もお母様も伯爵も何事かとあっけにとられたように茫然と眺めていた。お父様はソファから立ち上がりかけて中腰になり、お母様は両手を口に充てていた。


 伯爵も立ち上がろうとしていた。仰向けに転がったままのわたしと目が合うと、見てはいけないものを見てしまったという困惑した表情がありありと読み取れた。そして、さっと視線を逸らした。


 位置的に見えなかったけど、見習い司祭様もブランドも同じような顔をしていたことだろう。


 わたしの頭の中は真っ白だ。


 実際には数秒の間の出来事だった。しかし、それ以上に長い時間に感じられた。


 ……穴があったら入りたいとはまさにこのこと。


 ヴィーリアだけはすでに冷静さを取り戻し、いつものように平然としてわたしを見下ろしていた。そして、素早く着ていた上着を脱ぐと、足のふくらはぎの途中までまくれ上がっていたスカートにかけて隠してくれた。

 足首までの丈のあるスカートをはいていて良かったと、これほどまでに思ったことは今までにあっただろうか。いや、ない。もっと短めのスカートをはいていたらと思うと想像するだけで恐ろしい。


 そこでようやく我に返ったであろうブランドは『お嬢様は廊下でつまづかれて足首を痛めてしまったようで、こちらでお休みをしていらしたようです』とかなんとか、お父様たちに説明をしていた。


 『ミュシャ様を部屋に送りますので、皆様はこのままお話を続けてください』


 ヴィーリアは丁寧だが有無を言わさぬ口調だった。そのまま横抱きに抱えあげられる。見習い司祭様がわたしになにか言いたそうに手を伸ばしかけた。ヴィーリアはそれを無視して通り過ぎた。


 執務室から部屋に運ばれる途中、握っていたはずのグラスが手の中にないことに気が付いた。



▽△▽△▽



 「それで? 痛めた足首はどちらですか?」


 寝台に座らされて靴を脱がされる。足元のヴィーリアは片膝をついていた。足首の捻り具合でも見てくれるつもりだろうか。


 「……」


 うつむいてもぞもぞと左右の足の甲を交差させる。


 「返事がないようですので……」


 足首にヴィーリアの手がかかる寸前で両足を横に振ってかわす。


 「……」


 「……ケガなんかしてないって知ってるくせに。ヴィーリアの意地悪」


 「……おやおや。あのようなあられもない姿を晒したところを助けてあげたというのに」


 「……それは、ありがとう」


 油断したところに両方の足首を掴まれた。情けなさと恥ずかしさで火照っている肌に、冷たい手で触れられるとぞくりと肌が粟立った。


 「ちょっと……」


 「私は貴女に何度も何度も申し上げたはずです」


 足首を掴む手にも、目許めもとにも、「何度も」にも心なしか力が入ったように感じる。


 「……ごめんなさい」


 昨日と今日だけでも『なるべくひとりで行動しない』『周囲に注意を払う』『危険を感じたら、もしくはおかしいと感じたらすぐにヴィーリアを呼ぶ』という、わたしの行動指針三ヶ条を守っていない。三点目はヴィーリアが先に察知してわたしのもとに駆けつけてくれている。


 理由や言い分はあるのだが……心配をかけているのでごめんなさいとしか言えない。


 「やはり口で言っても解らないようですね。……どちらの足がご希望ですか?」


 「なにが……?」


 言いかけてはっとする。ヴィーリアの紫色の瞳が妖しく光り、口角が上がったような気がした。


 「本当に怪我をしてしまえばおひとりで歩き回ることもないでしょう?」


 さっと血の気が引いていくのがわかった。


 「いや、あの、本当に反省はしているの」


 寝台についた両腕を突っ張って、泳ぐときのように足を上下に動かして逃れようとした。精一杯の力を込める。それでもヴィーリアの手は全く弛まずに動かない。いつものことだから解ってはいた。力では敵わない。それでもなんとか手を外そうと、足を動かすために力を入れ続けた。……疲れる。でも痛いのは絶対に嫌だ。


 その間、ヴィーリアは微動だにしなかった。


 まさか……。本気じゃないよね? 


 「お嫌ですか?」


 そんなの訊くまでもない。嫌に決まっている。必死にこくこくと肯くと、ヴィーリアはため息をついて掴んでいた足首を放りだした。


 「あ」


 足首を急にポイと放され、上下に力を入れていた反動で足が跳ね上がり、寝台に仰向けにひっくり返る。

 ……今日はそういう日なのかもしれない。


 「……」

 「……」


 ヴィーリアは起き上がるのに手を貸してくれた。どさりと隣に座り、足と腕を組む。


 「まったく……貴女は……。私を待っていられなかったのですか?」


 黙って肯く。


 「自重じちょうして下さい」


 「……はい」


 扉がノックされた。

 これはベルのノックの音だ。ヴィーリアが扉を開けるとベルが救急箱を持って立っていた。「私がやります」とヴィーリアが受け取る。ベルは心配そうな様子で下がっていった。


 ……ごめんね、ベル。


 ブランドはわたしがなにをしていたのかは黙っていてくれたようだ。


 「どうしますか?」


 救急箱から包帯を取り出したヴィーリア。


 「……巻いてください」


 ヴィーリアは片膝をついて、右足首に器用に白い包帯を巻いてくれた。








* 回想部分は△▽△▽△でまとめてあります。


 

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