【第44話】 ただ望めばいい 2



 歩くのが辛いからという理由をつけて、夕食を部屋に運んでもらうことにした。しばらくはそれを理由に部屋で食事を取ろうと思っている。お父様とお母様はまだしも、ベナルブ伯爵と顔を合わせるのは、気まずい。


 ベルが食事を運んでくるとヴィーリアもついてきた。ここで一緒に食事をするらしい。足の白い包帯に目を留めたベルに具合を尋ねられて、良心の呵責を覚えながらも軽く捻っただけなので心配はいらないと答えた。それを聞くとベルは安心したのか表情をやわらげた。


 二人で向かい合っていつもより遅めの夕食を終えると、指を鳴らしてヴィーリアが紅茶を淹れてくれた。飲むたびに美味しくなっている。意外と凝り性なのかもしれない。


 「……協議は終わったの? 伯爵はきちんと話をしてくれた?」


 気になっていたことをようやく訊くことができた。


 包帯を巻いてくれた後、ヴィーリアは執務室に戻っていた。


 「そうですね……。後で男爵が貴女を訪ねるようなので説明があるでしょう」


 「え? お父様がくるの?」


 「話があるそうです」


 「……」


 協議内容の説明とは別に、執務室へ転がり込んだ件で叱られるのだろうか。

 確かにあれは稀にみる醜態だった。扉にもたれかかっていたのなら開かれたら倒れ込むのは必然。不可抗力のようなものだと、言えなくもない。ブランドもつまづいて足を捻ったとかなんとか言い繕ってくれていたはず。ああ、でもグラスをどこかに置いてきてしまっている……。執務室以外には考えられない。


 ……うう。叱られるのは気が重いけど仕方がない。わたしが悪いのだから。


 心の中でため息をつき、気になっていたもうひとつのことも訊く。


 「見習い司祭様はどうして屋敷に戻ってきたのかしら? ……それに、あんなに近くにいたのに首がちりちりする感じはなかったの。弾かれるような感じもしなかった」


 「まあ、そうでしょうね。契約前ですから」


 ヴィーリアは澄ました顔でお茶を飲んでいる。


 「契約を済ませなければ力もありません。ただ神殿の人間というだけです」


 ……見習い司祭様は司祭長様から金糸の刺繍が入ったローブを授与されることで、晴れて司祭様になれるとかなんとか聞いたことがある。ローブを授与されて司祭様になるには、その前にヴィーリアのいうところの契約を交わしているということなのか。


 それならば見習い司祭様には気をつけなくても大丈夫なのでは? と訊いてみると「私のものに神殿が干渉してくること自体が鬱陶しいのです」と、心の底からいとうように眉をひそめた。ヴィーリアのこんな表情も珍しい。


 「……それで見習い司祭様はどうして屋敷に?」


 「馬車で二人を町まで乗せた報告と忘れ物だと聞きました」


 二人を町まで乗せた……。

 シャールとフェイだ。なんとなくそんな気はしていた。まだ暗いうちから屋敷を出て丘を下って町まで歩くのは大変だもの。ましてや大きな荷物も抱えている。そういえば……。


 「……今朝、シャールとフェイが家を出たのを知っていたでしょ?」


 少し不満げに紫色の瞳を見つめた。


 「……」


 「どうして教えてくれなかったの?」


 「訊かれなかったものですから」


 悪びれることもなく微笑む。

 ……そうだ。こういう性格だった。


 「知っていたら馬車を止めたとでも?」


 そう問われると、言葉に詰まる。


 シャールが望んだことなら、それをめさせるつもりも権利もない。だけど……。


 「どう、かしら? ……ただ……なにか」


 「では問題はありませんね」


 いつものように平然と言う。それはそうなのかもしれないが、シャールが家を出て公都に行ったとお母様に聞いたときからなにか……もやもやとした釈然としないものが心の隅にくすぶっていた。


 「……なにかもっと力になれることがあったかも」


 「おやめなさい。貴女が知らなくても知っていても貴女の妹は家を出たのです。気が付いていたら自分がなにかできたかもしれないなどという甘い驕った考えは捨てなさい。勝手な罪悪感は傲慢なだけです。貴女は……」


 「……」


 言い方があると思う。だけど……ヴィーリアの言うことは……たぶん、間違いじゃない。


 心の隅にくすぶっているものの正体は、まだ、なにか自分にできることがあったのかもしれないという勝手な後ろめたさ……なのだろう。


 「また……そんな顔を」


 「……ヴィーリアのせいだもの」


 嘘ではないが八つ当たりでもある。ヴィーリアだけなのか、または人の理の外の者というのは全てこうなのか。性格に少しの嗜虐性を感じてしまうのは気のせいではないはず。


 ヴィーリアは席を立ち、わたしの隣に座った。長い指が黒檀色の髪を耳にかけた。そのまま耳の形をなぞり、頬をたどって唇を摘ままれる。


 「それは光栄です。……ですが、唇を噛むのはおよしなさい」


 指がするりと唇の間に割り入り、噛むのを止めさせる。そのまま三本の指はついてもいない歯形を消すように下唇を優しく撫で、軽く摘まむ。冷たい指先の感触がくすぐったい。


 本当に油断も隙も無い。


 「……やめ、んん」


 やめてほしいと開いた唇を途中で手のひらに隠された。もう片方の手で自分の唇の前に人差し指を立てる。ヴィーリアの顔が近づいて深い紫色の瞳が細められた。


 「貴女はただ……望めばいい」


 ……? 

 契約事項の再確認だろうか?


 「つまり……起こり得るすべてのことに貴女が責任を持つ必要はないということです」


 「……」


 本当なら手を振り払わなくてはいけない。いつもならとっくにそうしているはずだ。


 それなのに腕を動かせない。


 部屋の扉がノックされた音ではっと我に返った。


 「ミュシャ。私だ」


 すっと席を立ったヴィーリアが扉を開けた。 




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