【第33話】 密会 2



 部屋から出ないように言われているので屋敷の中は歩けない。それならばと、退屈のあまり外に出たシャールが伯爵に見つかってしまったの? そんな考えが頭をよぎり、震えていた薄い背中や噛み締めていた唇を思い出す。


 ――助けに行かなくては――早く。


 そう思うや否や部屋から飛び出していた。



 シャールとおぼしき人影は、屋敷の正面玄関メインエントランスから外れた横手の樹木の茂みの影の中にいた。


 正面玄関メインエントランスは人の出入りがある。誰と顔を合わせてしまうか分からないので通ることはできない。それならばと厨房へ足を向ける。幸いにも廊下では誰とも会うことはなかった。


 厨房には食材などを搬入するために、裏庭に面している裏口がある。その裏口を使えばいい。ケインになにかご用ですかと尋ねられたが、食器を下げにきたと言った。ケインも慌ただしくしていたので、その隙に裏口から裏庭へ出る。屋敷の横を通り抜けて表の庭へとまわった。


 月明りだけが頼りだったが、今夜の月は影を創ることができる。それに勝手知った我が家の庭。目を閉じながらでも歩くことができる。

 強いて言うならば靴は履き替えてくればよかった。高いヒールの靴では土の上を歩きにくい。踵が土にめり込んでしまう。もっと言うならば上着も羽織ってくればよかった。ドレスいち枚では夜の庭は空気が冷たく、さすがに寒い。


 この空気の冷たさに頭を冷やされて冷静になっていた。シャールが大変! と、勢いだけで思わず部屋を飛び出してきてしまった。だけど、あの白い影ともうひとつの人影がシャールと伯爵であるという確証はなにもない。


 寒さのために両腕を抱えた。見つからないようにできるだけ小さく背中をかがめて、足音を忍ばせて歩く。小枝を踏まないように、衣擦きぬずれの音をさせないように、二つの影まで近づいた。


 かろうじて会話を聞き取ることができそうな距離で、樹木の繁みの間にしゃがみ込んで身を隠す。

 小枝の隙間からそっと覗いて聞き耳を立てた。いざなにかがあったときには、飛び出せば十分に間に合う距離でもある。覗き見も盗み聞きも、年頃の一応貴族の令嬢としてどうかと思う。いや、それ以前に基本的に人間としてダメだろう。だけど、今は緊急事態。まずは本当にシャールと伯爵なのかを確認する必要がある。違っていたのならごめんなさいと心の中で土下座して即座に撤退である。


 「……尊敬できる方だと思っていたのに……」


 声が聞こえてきた。小さく、くぐもって聞こえる。普段よりもかたい気がするがシャールの声に間違いない。


 「……すまない。でも、どうしても君を……」


 ……挨拶を交わしたときに聞いたこの声はベナルブ伯爵。


 二人の姿は月明りが落とす枝の影に隠されてしまっている。まるで影絵のようだ。


 会話はところどころ聞き取れないが、なんとかなるだろう。あとは出ていくタイミングを見計らいシャールをこの場から連れ出せばいい。いざというときにも、飛び出せる。


 「だったらあのような方法……取らなくても……。正式に申し……いたら……。我が家は男爵家です。伯……申し入れならお断りは……。……どれだけお父様やお母様やお姉さまが……皆が大変な……してきたか……おわか……ますか?」


 ……ん? 


 「……それは……君も含めて……をさせてしまったことは……。君と私では歳も……離れて……。社交界では私の……まことしやかに囁かれて……。もちろん……事実無根……、男爵殿が……許すとは……なかった。……絶対に断れないようにと……。……成婚したら……最初の約束……戻す……」


 「今さらそんな……。それにお父様は噂だけ…人…判断…………ことはなさらないわ」


 なに……これ……?


 「ひどいことをしたのは……。君を、……を傷つけて……本当に申し訳ない。しかし、……噂は本当に酷いもので……。……シャール、わかってほしい。どうしても……手に入れたかった。諦められなかった。あの日に、柱の影に恥ずかしそうに隠れた可愛らしい君の事が……」


 「わたしも、優しく微笑んでくださった伯爵様のことがとても心に残ったの。うちの領地を救ってくれた、わたしの……こんなにも素敵な方だったなんて……」


 感情がたかぶったのか二人の声が先ほどよりも大きくなっていた。


 「ではシャール、私と……」


 「……それでもいいと、思っていたわ。……でも、今は……」


 「……シャール?」


 「伯爵様、あなたはずるいわ。自分が傷つかない方法だけを探しているみたい。それに手に入れたいだなんて……。わたしはモノじゃない。そんなにわたしが好きなら正々堂々と求婚すればよかったの。……それだけの話よ」


 シャールの声の調子が変わった。鈴のの響きは消えた。怒気を強めるでもない静かな物言いに返って冷たさを感じる。

 ……ああ、シャールが本気で怒っている。


 「……今さら言い訳はしない。その通りだった。……愚かなことをしたと、悔いている。……どうか私を許してはくれないだろうか?」


 「……わたしだけが勝手に許す訳にはいかないの」


 さらさらとした衣擦れの音と高いヒールのある靴で草を踏みしだく音がした。シャールが伯爵に近づき爪先立ったように影が上に伸びた。すると伯爵の頭が傾られて二人の腕が回り……影が重なった。


 !!!? 





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